新・使用上の戯言

初めまして。しがない会社でしがないプランナーをやってるしがない「使用上の注意」と申します。 御用とお急ぎでない方は皆さんお誘い合わせの上、ぜひぜひご覧になってやってください。 しがない記事を更新していますゆえ。。。

分裂気味の生存証明と、実存証明。

はいどうも、

新年あけましておめでとうございます、

使用上の注意です。

え?何?今更?

うっせー知ってるよ、それぐらい(暴言)。

何だかんだと怒涛の第1四半期を無事乗り越えて、

俺は生きている。

それが言いたくて、ただ言いたくて、タイプする。

う~ん、健康って有り難いよね。

このまま朽ち果てていくのかと、

回らない頭にのしかかる睡魔と闘いながら

薄らぼんやりとした意識で悟ったのが年明け3日。

そこからもただひたすらと業務に明け暮れ、

家庭内の不和も近所との軋轢も襲い来る刺客の魔の手も振り払い 、

俺は生きている。

正直に言えば近所との軋轢もなければ

殺意爛々と襲いかかる刺客もいなければ、

まぁ家庭内不和で少し体力と精神力を浪費したぐらい。

でも、業務過多は間違いない。

殺されるかと思ったぜぇ、近代資本主義社会に(大げさ)。



それはともかく、ようやく振替休日を取得する余裕も出たこの頃、

それでもやはり、あ、いや、これ以上は言うまい。

仕事の報酬は仕事。

でも、仕事で腹が膨れる訳もなし。

仕事の報酬は金銭と、そして次の仕事、だよねぇ、理想として。

昔の人は言いました。

評価は後からついてくると。

ただ、その後ろってのはせめて肉眼で目視できるぐらいの

距離を保ってくれないと困るよね。

今のところ俺の後方視界は果てしなく五里霧中。

ついてきてるのかいないのか、もはやそれさえ確認不能ときたもんだ。

こうなると完全にワーキングチキンレース。

ついてきてるのかいないのか曖昧であやふやで漠然とした

模糊なる存在・評価を、どれだけ気にせずアクセルをふかせるか。

未整備な悪路だろうが川だろうが山だろうが、

はたまた道さえなかったとしても、アクセルベタ押しでどこまで突っ走れるか。 

俺はブレーキの壊れたワーキングマシン。

ブレーキがブレークしたワーキングマシン。

ブレークドブレーキ。

ブレークダウンブレーキ?

ブレーキブレークダウン?

というか、ブレーキって何でしたっけ?



とか言いながら日常業務では精神的な防衛機制が働くあたり、

俺の弱さとヘタレさと駄目さと小物っぷりと小市民っぷりが

遺憾なく発揮されている気がしないでもない1月末。

具体的にどんな防衛機制がどのように、どんなシーンで

どの程度発揮されているかは、社外秘。

それを公開すると俺の立場が音もなく崩壊して

奈落の底へ真っ逆さまですから。

大人になると色々なしがらみとか遠慮とか配慮とか考慮とか、

とにかく様々な事象・要素を慮る必要に迫られる訳でして。

それらの有象無象を意識しながら発言を重ねるうち、

いつしか本音は虚数空間の彼方へ霞んで消える。

言いたいことも言えないこんな世の中はポイズンらしいが、

極寒の地でいつ来るやも知れぬソリを待つ気分。

まさにソリ待ち。

ポイズン。



そんなこんなで散文的な一日が幕を開け、

取っ散らかった思考がグルングルンと頭を回る。

ただひとつ言えるのは、どれだけ考えがまとまらずに

種々の思考の断片が脳内を駆け巡ろうとも、

それがグルングルンと回転を続けている以上回転の中心軸は

存在するのであって、それが俺を俺たらしめる唯一無二の根拠であるから、

いつまでたっても俺は俺で在り続けられる。

思考の分裂は人格の分裂にあらず。

つまり、ブログの文章がどれだけ支離滅裂だとしても、

相変わらず俺は平壌運転で北上中。

付近の人員は十分に警戒されたし。

それじゃ。

ジョブズクエスト 〜そして伝説へ〜

はいどうも、

ここ数ヶ月鬼のような忙しさで体を壊し、

それでも満足の行く結果が得られずに毎夜

枕を濡らす使用上の注意です。

もうね、諸行無常のヨダレありですよ(濡らすモノ間違い)。

しかも何気に現在進行形でデスマーチを行進中ですしおすし。

誰かその、高らかに鳴り響く進軍ラッパを止めてくれ。

否も応もなく四六時中鳴ってるもんだからそろそろ耳鳴りがしそうだよ。

止めてくれたやつには漏れなく、素敵な何かを差し上げよう。

マイデスクの引き出しに眠る賞味期限のアヤフヤなお菓子(中国製)か、

マイ案件ケースの奥に眠るそろそろクレーム化しそうな案件か、

好きな方を選ぶが良いよ。

いずれにせよ(俺の)素敵な未来がやってくる。

ファンファーレとともに。



それはさておき、安眠と引き換えに作業時間を確保する

激務の日々を過ごした結果として、僅かながら収穫を得た。

それがApple社のiPhone 4Sであり、iPad2であり。

まぁ前者はマイファーストiPhone・3GSちゃんの2年縛りが

終わってそろそろ機種変でもしようかと考えていた中での

購入だったので、ある意味必然的なできごとかも知れん。

しかし、正直この私がiPad2を購入するとは思ってもいなかった。

なぜか。

我が家の財政を司る最大にして最恐の存在・嫁が原因か?

いや、違う。

なぜなら過去に嫁は「iPad2が欲しいんなら買っても良いよ」と、

夏と秋に2回ものたもうたからだ。

その都度(嫁の唐突な優しさに訝りながら)

iPad2購入熱が俄かにヒートアップしたのだが、

いざ某ヨドバシカメラの店頭で実際のiPad2を触ってみたり、

各種のレビューサイトや個人のブログを見てみると、

「これ、俺の生活にどう使う?」という疑問が湧いて出て、

結局活用シーンが想像できないという理由で自ら購入を却下してきた。

それがどうだろう。

生活スタイルもワーキングスタイルも特に変化を経ない今、

何故か俺の手元にはiPad2。

アレほど考えてやっぱりいらねーやとなったiPad2が、

ここにある不思議。

「メジャーに行くぐらいなら野球を辞める」とのたまった

某ダルビッシュが曰く、「人は変わるものだ(意訳)」。

まさにその通り。

変化は天才に固有の現象にあらず。

いやむしろ、日々の生活に汲々としている平民にこそ、

変化は訪れるのではなかろうか、頻繁に。



俺は変化した。

ある意味進化した。

そしてまた同時に、退化した。

ハードウェア的には全く新しい環境を手に入れた俺の

労働環境は、劇的な進化を遂げたのだ。

その一方で、不要不急な商材を意味もなく

購入してしまうという、死に至らざる病が悪化した。

え?分かりにくい?

つまりドラクエ風に言えば

「使用上の注意はiPad2を手に入れた。

しかし、iPad2は呪われていた!

使用上の注意の物欲耐性が低下した」ってことよ。

これぞ進化に付随する退化。

同時並行的に矛盾することなく並立する変化の態様。

それは、ノマド的ワーキングマンへの第一歩。

遊牧民的な働き方がもたらす、より生産効率の高い日々。

Apple謹製の純正ワイヤレスキーボードと、Incaseの

iPad2スタンド兼用キーボードケース、そして純白のiPad2。

あと、iPhone4S、ノートPC。

これで外出中でもWi-Fiと携帯の電解強度が続く限り、

仕事ができる作業ができる原稿が書けるメールができる。

モバイルルータでもあればもはや敵なしではあるが、

それをするとパンドラの箱を開けかねんので自重する。

ありとあらゆる災厄が己の身に降りかかりかねん。



でも、こうやって自分の仕事環境を自腹で(←ココ重要)整備していくと、

どんだけ仕事したいねんコイツとか思われそうだね、しかし。

別に俺はワーカホリックでもないし社畜でもないし、

どちらかというと家庭を優先して温もりある人生を送りたい派なのに。

それなのに、致命的な性質を持っている訳ですよ、俺って。

アクセルしかない車を想像してもらえれば良いよ。

ブレーキがないのだから、減速するにはエンジンブレーキオンリー。

当然サイドブレーキもない。

制動距離がすげー長いのね、俺。

だから「からだだいじに」って言われても、方法を知らん。

「ガンガンいこうぜ」しか知らん。

で、結局棺に入れられて引きずられて王様にこう言われるわけだ。

「おぉ使用上の注意よ情けない。ウンタラカンタラ…」。

早く自由になりたいなぁ、遊牧民のように。

ワーキングスタイルの話でなく、生き方の上で。

あと、自らの性質からも。

と、自由を求めて去る。

それじゃ。

赤裸々な自己弁護で自らの発言を虚飾する。

はいどうも、

良いコトを言おうとしても結局、

当たり前のコトをそれっぽく言ってるだけ、

使用上の注意です。

そりゃまぁたかだか30年とちょっとしか生きていない

(まだまだ)若造なこの私ですから、発する言葉に

深い含蓄とか考えさせる寓意とか学ぶべき教訓なんてあるワケがない。



しかし、どれだけ薄っぺらい経験であったとしてもココまで30年を

過ごしてきたのだから、“形式的に”29年年以下の人たちにとっては

先輩である事実を無視することはできない、社会的に。

だってほら、年上の人があまりにもアホウな発言を繰り返していれば、

その人を尊敬したりお慕い申し上げたりしたく、なくなるでしょ?

それは困る。大いに困る(オレが)。

だって、様々なフィールドの多彩な角度からたくさんの

敬意を集めた方が色々と捗るじゃないか。

助けて欲しい時とか困った時とか苦しい時とか辛い時とか、さ。



で、どれだけしょうもない人生だったとしても時間量としての

人生経験という意味では自分よりも年下の人たちがいる以上、

彼らの(たとえ仮初めであっても)尊敬を集めることが

己の保身と安心立命に役立たせるために必要とあらば、

軽佻浮薄な経験値を目一杯重厚長大なものに見せかけるよう

それなりのトーン&マナーで偉そうにぶち上げるワケデスネ。

だから年上の人が何かをもったいつけて話したとき、

その内容を深く吟味してはいけない。

言葉の裏側を探ってはいけない。



ん?いや、勝手に深読みしてもらった方が良いのか?

特に裏の意図を込めて発言していなくても、

受け手が勝手に有り難い意味を付加してくれれば良い、のか?

それも良いかもね。

何だか展開がグダグダすぎて

オチさえも付けられなくなってきたが、

解釈次第で人生の苦悶が晴れるはずだから頑張って欲しい。

その境地に至れるかどうかは、全てキミ次第だ。

それじゃ。

自由な原稿作成とベクトルに縛られた原稿作成。

はいどうも、

課題の仮題は『過大な期待と蘭奢待』にしたったい、

使用上の注意です。

こういうロクでもない韻踏みが好きです、たまらなく。



ただ、そうやって大した意味も意義もない言葉の連なりを

意識的に紡ぎ続けるって、実は結構簡単なスキルでして。

世界で最も習得が困難だと言われている日本語で、

日常何の苦もなく意思疎通を図っておられる諸兄であれば

少しの意識と語彙と、あとは時間さえあればできる所業なワケデス。

なぜならこの文章には意味も意義も求められていないから。

言い換えればクオリティの良し悪しに責任がない、というコトでもある。

当然インターネッツというこれまでにない開放性を

持った公共の場での発言であるからして、何を言ってもいい、

という無責任な態度は許されないが、面白い面白くないは関係ない。

それが腹を抱えて笑い転げるほど高いクオリティを持った文章であろうと、

読むだけ時間の無駄だと憤るほどの駄文であろうと、書くのは自由。

限りなく無限に近い無責任と自由度が、

ライティングの難易度を極限まで下げてくれる。

だから、適当に知ってる単語を並び替えて繋ぎ合わせて

不可思議で懐疑的な態度を定義付けながら疑義を差し挟む文章を書き連ねれば、

”あっ”と言う間に形となる(但し意味はない。意義もない。オチもない)。



その意味で、まったくの個人がブログ上で吐き出す限りにおいてこの

ライティングという作業は、最もお手軽でお気軽で尻軽な

ストレス解消法として、相当のポテンシャルを秘めている。

だって好きなコトを好きなように思いつくままに書き連ねれば、

読者の有無に関係なく自身の思想なり哲学なり思考なりが具体的な

存在として具現化して残っていく(ような錯覚を得られる)のだから。

自分が生きた証とやらを求めがちなヒトにとって、これは楽しい作業だ。



ところが、だ。

このライティングという作業に”仕事”という

ファクターが加わったとき、その性質は180度変質する。

文字列の中に、意味と意義とオチとメッセージを込めなければならないからだ。

しかも、決まった文法とルールとマナーと温度感を絡めつつ、である。

さっきまでの無限の自由度はなりを潜め、代わりに我が物顔で

周囲を睥睨するのはクライアント、か。



「文章を書くのが好きだからライターになりたいんです」。

という人と知り合うときがある。

彼または彼女の”好き”というのが一体どのレイヤーで

語られているのか、いつも気になる。

キミは自分とは全く異なる口調とキャラクターと思想と哲学と

言葉遣いとテンポで、キミ自身が思ってもみない事実やときに

真実でさえない事実を声高に叫ぶ作業、つまり仕事としての

ライティングを好きだと本気で言えるのかね?と。



仕事は仕事である。

そしてプロフェッショナルは常に80点以上の

アウトプットを吐き出し、それを続けてナンボである。

「文章を書くのが好き」と言う理由でそれを生業にしようと

夢見ている青少年がもしいれば言いたい。

もう少し、考え給へ。

文章を書くのは手段であり、過程でしかない。

キミの目的と、望む結果は何だ?

文章を書くことか?

それとももっと別のことか?

その問いかけの先にある答えの方を、大切にし給へ。

それじゃ。

世界の真理に気づいたかも知れない。

はいどうも、

趣味はネットサーフィン(笑)

使用上の注意です。

いつの時代の流行やねんと。

むしろ遅いわと。

古いわと。

アフォかと。ヴォケかと。



そんな感じで見つけたインターネッツの記事。



【以下引用】

小沢事件は「国策捜査」


CIAと通販取引のあるオレからすると

このスレかなり笑えるよ

小沢の件は国策捜査

スケートボートだから

裏では日本は解体、のっとられることになってるのに

情報弱者のにちゃんねらは

真の巨悪もわからないで踊らされてて

まったくにちゃんねらは笑えるよ藁

【以上引用】



CIAに通販部門があったことでまず驚き、

小沢先生がスケートボートという新しい遊戯具的存在なのかと感心した、

訳がない。

精一杯好意的に解釈したとしても、通販取引=司法取引?

まぁスケートボートはスケートボードでなく、スケープゴートだわな。

それにしてもおもろい発想ができる人間がいるもんだなぁと、思うよね。

何をどう考えたら通販取引が出てくるのか、正直嫉妬するわ。

ってか、何が買えるんだろうか?



やっぱりお決まりのスパイセットか?CIAだけに。

付けヒゲに帽子、マスクと超小型集音マイクがついて

お値段驚きの398,000円!!

金利分割手数料はCIAが全額負担!!

これはもう、買うしかありませんよ!

的なタ○タ社長を思い浮かべてしまった。

ところが意外と意外に普通の商品を売ってるのかも知れん。

だって彼らは世界一の諜報機関だぜ?

世界をまたにかけて飛び回るスパイたちの、親玉ですぜ?

敵を欺くにはまず味方からって言うぐらいだから、

表向きは普通の通販会社を装うわけですよ、CIAが。

中でも売れ筋はMDプレイヤー(今時)。

お値打価格の1,980円。

大変お求めやすい価格設定に加えて、

今ならスペシャルディスクがついてくる!



とかいうセールストークに騙されて心ひかれ、

浮き足立つ心を必死に抑えてMDプレイヤーを買ってみる、CIAから。

注文以来、まだかまだかと心待ちにしていたら、遂にきた!

はやる心をこれまた抑え、梱包材を解いて中身を取り出し

電源をつないでスペシャルディスクをそっと、挿入する。

恐る恐る再生ボタンを押してみたら…

「おはようフェルプス君。

 キミも知っての通り、アフガニスタンは今混沌を極めている。

 その理由は、我がアメリカに牙を剥く

 タリバンの存在が大きいのは言うまでもない。

 そこでキミの使命だが、今すぐアフガニスタンへ飛び、

 タリバンの指導者ムハンマド・オマルを消して欲しい。

 例によって、キミもしくはキミのメンバーが

 捕らえられ、あるいは殺されても

 当局は一切関知しないから、そのつもりで。

 なお、このテープは自動的に消滅する。

 成功を祈る。」

そこまで再生が進んだ瞬間、突然MDプレイヤーは

白煙をもうもうと立ち上げる!



( ゚д゚)ハッ!

CIAの通販部門は、世界中で新人を発掘するための隠れ蓑?!

まぁ、オチの品質に当局は一切関知しないからそのつもりで。

このブログは自動的に消滅し、たら面白いなぁ。

それじゃ。

目からウロコがボロボロと落ちるところを想像してみよう。

はいどうも、

Σ(゚Д゚; )ハッ

ブログなんて、毎日1,000字以上も書かなくて良いんだ!

使用上の注意です。

大宇宙の真理を発見した気分だ。

これはひょっとして、最高に「ハイ!」ってやつかぁぁぁぁ?

うん、言い過ぎた。



ともかく、毎日更新は途絶えた(より正確に、かつ

私の名誉のために言い換えれば「途絶えさせた」)今、

確かにデスマーチが鳴り響いている、高らかに、誇らしげに。

だからこそ1,000字以上の原稿なんて書く必要はない。

体調と相談しながら適当に適度にテキトーに、

更新していけば良いだけの話であって。

肩の荷が降りた気分ではあるが、気づくのが遅いとか言われそう。



でもね、ちょっとよく考えてみてくださいよ、旦那。

自ら重荷(1,000字オーバー原稿の毎日更新)を背負い、

日々の業務に負けず妄想の翼を羽ばたかせる生き様って、

カッコ良くない?モテると思わない?思わない。思わないな。

でもでも、そうやって積極的に負荷をかけることで

成長は倍加するハズなんだ、きっと、多分、恐らく、思うに。

それゆえに、私の選択は間違っちゃいない。

前提をあやふやなものにしただけに、結論もあやふやだけど。

それでもなお、書きたい意欲が衰えぬ限り、書き続けるのである。

何が言いたいのかよく分からない文章を。

ハッハー。

それじゃ。

悲愴感をこれでもかと演出して同情を買いたい話。

はいどうも、

ついにキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

使用上の注意です。

春が来た、わけじゃないですよ、奥さん。

悪魔が来て笛を吹いた、わけでもないですよ、お嬢さん。

当然上司が来て肩を叩いた、わけでもないのです、旦那さん。

え?何が来たのかって?

それは、デスマーチ。

悪名高きデスマーチ。

案件案件デスマーチ。

原稿原稿デスマーチ。

残業ざんgy、おっとこれ以上はいけねぇいけねぇ。

とにかく、クリエイティブ業界のみならず多種多様な世界に

悠然と迫り来ては、屍を累々と積み上げていくのがデスマーチ。

あとにはぺんぺん草の一本も残っていやしない。

誰が名付けたか、“死の行進”ってのはホントにナイスなネーミングだね。



いや、ネーミングセンスを讃えている場合じゃない。

本気でヤバい。

これはイヤな予感がする。

むしろ、イヤな予感しかしない。

何とかしないと何とかしないと何とかしないと、

また内臓を壊しちゃう♪

もうあの痛みを味わうのはたくさんだ。

激痛に眠りを妨げられるのはコリゴリだ。

治療費だって薬代だってバカにはならないサラリーマン。

自分の健康だけでなく、家計の健康だって守らねばならんのだ。



だから、ここに宣言する。

声高々と全世界に向けて発信する。

いつもよりテンション高めにお届けする。



毎日更新は、しばらくお休み致します。

流石に連日数千字単位で、ときには数万字を超える原稿を書かねばならぬ毎日で、

約1,000字強とはいえ毎日ブログを書くなんて、それなんて苦行?

嗚呼、デスマーチがやってくる。

Dm(ディーマイナー)でデスマーチがやってくる。

しかるのちAm(エーマイナー)に転調して、暗転。

死にたくないよぅ。

それじゃ。

社会人の心構え論からなぜか飛び出る思い出話。

はいどうも、

追いかけられるより追いかけたい、

使用上の注意です。

やっぱさー、ほら、社会人は常に前向きポジティブに

仕事を追いかけるべきであって、間違っても締切とか

締切とか締切とかに追いかけられてちゃイケンのよ。

仕事に追われる毎日は、それこそどげんかせんといかん。

仕事の報酬は仕事、ってよく言うけど、

抱えた案件を常にハイスピード・ハイクオリティで片付け、

かつ次の案件を追いかけた方が自分の成長とか周りの

評価とか、やりがいとか満足感が違うんだろうさ。

だからこそ、追いかける人生を送りたい。



とはいえ、現実はさにあらず。

高々と理想を掲げても実際にそれを実践するには、

血のにじむような努力と頑健な肉体とストレス耐性と

要領の良さと周囲を巻き込んでも嫌がられない可愛げと

論理構成力と事務処理能力とコミュニケーション能力と

速いタイピングスピードと高いモチベーションと

理解力と表現力と、あとは鈍感力?とか、そんな感じで

多種多様な“スキル”が要求されるわけで。

そんな完璧超人がいるのかしら?と疑問に思っても良いですか?

ってか、そんなやついねーよ、的な泣き言のひとつも

こぼしたくなるってもんだよコンチクショー。

が、しかし。

それでもやらねばならん。

絶対に負けられない(案件との)闘いが、そこにはある。

だって日々働いて案件をこなすしか、今のところ

おマンマを稼ぐ手立てがないのだからして。

そう、私はしがないサラリーマン。

だけど夢見るサラリーマン。

いつか完璧超人として周囲の羨望と評価と妬みと嫉みと

その他諸々を一身に集める存在でありたい。

いや、後半部分は不要だが。



とにかく、だ。

サラリーマンに限らず社会人は、仕事を追いかけねばならない。

が、現実の私はそんな理想に程遠い位置にいて、

むしろ迫り来る締切から逃れるために日々全力疾走を続けては

息を切らせて倒れこむ寸前でレッドブル、的な毎日を送っているわけで。

だからこそ、引き続き「追いかけてやる」という気概だけは

持ち続けたいなぁと願う今日この頃なわけですよ。

そう、私はハンター。

仕事を追いかける肉食系男子。

来る日も来る日も案件を追いかける案件狩人───。



と、そんな“追いかけ”トークでふと思いだした。

あれは高校の卒業式。

前にも書いた通り私は片思いの人に告白する勇気もなく、

卒業式という最後のチャンスでさえ告白できなかった己の

不甲斐なさと悔しさに若干の涙目を隠しつつ一緒に友だちと

連れ立ってチャリで校門を駆け抜けようとした、そのとき。

校門の前には同じクラスの女子が3人。

その中の一人は高校3年間で一番仲が良かった女の子。

当然私の片思いも知っていて、色々と相談に乗ってくれた女友達。

遠目からはそんな彼女を他の2人が励ましているように見える。

ここで、普段は惰眠をむさぼっていて肝心なときに機能しない

私の恋愛センサーがピンときた。

「第二ボタンだ」。

…。

その後二人はどうなったのか。

答えは私の実家に今も眠る当時の学ランが知っている。



ヒント:追いかけられるより追いかけたい。

それじゃ。

文章能力向上のための回り道こそ、近道。

はいどうも、

ついにこの時がきた、

使用上の注意です。

毎日更新するネタもエネルギーも枯渇寸前ですよ。

それでも何とかひねり出すのが物書きの宿命であって。

安易にはいそうですかとやめられぬのが物書きの運命。

まぁ締切がないのとクオリティが求められないのが

唯一にしてかなりの救いであることに間違いはない。

が、それでもある程度自分で納得の行く文章を書こうと

思ったら、それなりの仕込みと推敲と労力と時間と

手間と、あとは羞恥心を捨て去る勇気が必要なのですよ。



何度か話したかも知れないが、良い文章を書く秘訣なんて

お手軽なノウハウはこの世のどこを探してもない、と思う。

これさえ抑えておけば誰もが笑い、泣き、感動し、

惜しみない硝酸の嵐賞賛の嵐をもたらす、なんてことはない。

誰もがもがき苦しみ、自分の内的世界をほじくり返しては

少しずつ形成していくのが文章だと思うわけだ、私は。

で、結局自分の内的世界にしか答えがないのだから、

問題はどれだけ知識と経験と知見を自らの脳みそに

詰め込めるかが、ネタの豊富さや展開力・文章力に

直結するわけなのですよ、ワトソン君。

クリエイティブの大先輩が言うには、

ヒントは外に、答えは中に、だそうで。

絶えず外からのヒントを摂取し続け、かつ

内なる咀嚼を続けることで、答えができあがる。

自分の中に、いつの間にか。



そう考えると、こうして毎日毎日くだらなくて

愚にもつかない文章を飽きずに更新している私の中では、

一体どんな答えが用意されているのだろうか。

毎日文章を書く中で、どんな答えを吐き出し続けたのだろうか。

一瞬これまでの文章を読み返して分析でもしてみようかと

思ったが、面倒なので時間がないので別の機会に回そう。

賢明なる読者諸氏におかれては、薄々感じていることだろう。

この私の底の浅さや視野の狭さ、知識の偏り、論理の綻びに…。

それでも私は書き続ける。

そこにキーボードがあるからさ。



まとめる。

良い文章を書く方法。

とにかく、外の世界からあらゆる情報を取り込むことがひとつ。

ひたすらに情報を取り込み、自らの引き出しの数を増やすが良い。

そして、とにかく内なる世界の叫びに耳を傾け、

それらに文字という力を与えて具現化することがもうひとつ。

つまり、文章を書き続けろということで。

結局はどれだけの情報を取り込み、どれだけの答えを

文章化するかが、原稿作成能力向上の秘訣なんだろうなと。

急がば回れ。

一朝一夕に能力は身につかない。

私の文章武者修行もしばらくは続くだろう。

だって、これっぽっちも上手くなっていないのだから。

う~ん、これだけ読書に励んでブログを毎日更新しても、

この致命的な面白くなさはどういうことだ。

首をかしげながら去る。

それじゃ。

男が女々しくなって、何が悪いのかしら?

はいどうも、

女々しくたって良いじゃない、

使用上の注意です。

女性の風上にも置けない女々しさを誇ります。

というか、最近の男性は女性化しているらしい。

右を見ても左を見ても、やれ男性が草食化したとか、

肉食男子が減ったとか、女遊びより趣味を優先するだとか、

出世よりも堅実に金を貯めたいだとか、家庭やプライベートの安寧を

優先さたいだとかいう、男性についての報道を目にし、耳にする。

確かにウチの会社の新入社員諸君を眺め回してみても、

先輩諸氏と比べて肉食度というかガツガツ度というか、

ガメツイ度というか、その辺の指数が低い気がしないでもない。

とはいえ、そんな一部のトレンドを“男性の女性化”と言い切ってしまう

メディアのスタンスに若干の違和感を持ちつつも、これだけ色んなところで

言われれば気にしないワケにもいくまい。



というか、最近の男性は人生そのものがハードモードではなかろうか。

終身雇用・年功序列があっけなく崩れ去り、働いてさえいれば

安定が約束された時代は過去の遺物と化した。

と同時に女性の社会進出が進み、管理職・経営層にまで

女性が登場するシーンも珍しくない。

それでもなお、「男性は外に出て稼ぐべきだ」という考え方は

一定程度の社会的影響力を残しているし、女性の側でも

結婚して専業主婦になりたいという願望が(少なくとも私の周囲で)根強い。

ということは女性のうちの何割かは現実に男性にとって

労働上のライバルとして立ちはだかり、かつその一方で

何割かは男性の稼ぎに期待する層として残っているということであり、

日本的雇用慣行が崩壊して雇用が保証されないまま、女性という新たな

ライバルが増えているにも関わらず扶養義務を背負うケースが増えてきた、

ということでもある。

加えて(当然痴漢の存在が諸悪の根源であるにせよ)女性専用車両や

痴漢冤罪問題で善良なる男性は不当に権利を抑制され、映画館に行けば

レディースデーがあってもメンズデーはなく、日常生活でさえ

男性にとっての“ハードモード”が繰り広げられる毎日…。

語弊を恐れずに言えば、女性の方が優遇されるケースが増え、

それと引き換えに男性の立場が相対的に低下した。



それゆえに、男性であること自体が

彼の人生の難易度を上げている、かも知れなくて。

であれば、男性性を維持する必然性を男性が感じなくなって

男性性を敢えて誇示しない傾向が生ずるのは必然ではなかろうか。

当然、選挙権や男尊女卑思考など、女性がいわれなき差別の

被害者であったことは、これまでの歴史で証明されている。

その揺り返しとしての、男性受難であれば甘受せよとの

声があっても別段不思議ではない。

が、生物的強者としての権利を剥奪されつつある今、

その義務を「免れさせろ」というのは当然の叫びであって。

男性が男性性を捨て、よりニュートラルな立ち位置(例えば、

より女性に近い存在としての男性)に我が身を置くのも無理はない。

利益もないのに苦役を進んで甘受することほど

バカな話はないのだから。



ここで、過去の雄々しき男性性を今再び

男性が取り戻すべきか否か、という問題がある。

しかし、この社会情勢・トレンドは恐らく、

今後も維持・拡大・強化されるだろう(なんとなく)。

男性諸兄らもそう思うだろう?

であれば、諸君らはいたずらに“男らしさ”を

追求しなくても良いのである。

女々しくたって良いじゃない。

だ。

それじゃ。
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