新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

初めまして。
しがないクリエイティブ・ディレクターをいつの間にか卒業し、
しがない広報マンにジョブチェンジした使用上の注意と申します。
しがない駄文を書き連ねては日頃の憂さを発散更新しておりますので、
御用とお急ぎではない方はお誘い合わせの上、反転離脱されたし。
曰く「我ニ追イツク敵機ナシ」。

はいどうも、

実は医師と仕事をする機会が激増している、

使用上の注意です。

ただまぁそれは転職の結果なので、詳細については黙秘する。



で、現代日本において弁護士と並ぶ高給&高社会的地位に

君臨あそばれている医師という生き物は、当然に頭が良い。

偏差値とか暗記とかのいわゆるお勉強系頭脳は当然さることながら、

頭の回転とか概念と概念をつなげる発想とか、そういう

地頭系スキルも強い人が多い、ように思う。

とするとなんの取り柄もない、強いて言えば意味のない文章なら

延々と書き続けることができるぐらいしか胸を張って他者より秀でていると

いえるスキルを持ち合わせていないイチ小市民たるオレとしては、

やはりそこにいくばくかのコンプレックスを感じてしまうですよ。



しかも、彼らの多くはハードワークを全く厭わないし、

それを軽々と乗り越える肉体的な頑健さも持ち合わせている。

それが本音かどうかはまぁさておき、患者さんのためという理念に身を捧げ、

土日だろうが深夜だろうが早朝だろうが、必要であればいくらでも働く、人が多い。

一人不夜城、一人コンビニと謳われた前職時代のオレも裸足で国道2号線を

逃げ出すような勤務体系を楽々とやりきり、あまつさえそこから

飲めや歌えのどんちゃん騒ぎを繰り広げる始末。

中堅といっても全く不自然でない年齢の、壮年医師が当直勤務明け朝一番の

会議で切れ味鋭い解釈と洞察と直感でバシバシ快刀乱麻していくもんだから、

前夜に熟睡して頭シャッキリお目めバッチリで参加しているはずなのに

灰色のアイディアしか浮かんでこないオレ、顔面ブルーレイ。

何だこれ、っていう、劣等感。



もっと言えば医師という仕事は、本質的に苦労が多い。

医療技術は日進月歩の勢いで進化しているがゆえ、勉強は怠れない。

医師になるというのは決してゴールではなく、

むしろ終わりなき修行の旅の始まりに過ぎないわけで。

もちろん勉強していればそれで良いわけでなく、

人の命を守り、救い、慈しむタスクが連日押し寄せる。

中には理不尽なクレームをつけてくる患者さんもいて、

精神的なストレスも並大抵ではない。

だってちょっと聞いてくださいよ、旦那。

医師が診察の合間にペットボトルのお茶を飲んだとして、

それを見た患者さんが「仕事中にお茶を飲むとは何事か」

なんて言ってくるわけですぜ?

いくら何でもそれはひどいでしょ?

でも、実話なんですよ、奥さん。



そりゃね、高給もらって当たり前でっせ。

多少の役得があっても良いじゃありやせんか。

医師は辛いよ。

横で見ていてそう思う。

ただ、だからこそ、それがゆえに、

自分のショボさが強調されて凹むわけでもある。

オレも、先生方に張り合って頑張ろうっと。

対等のパートナーとして二人三脚、車の両輪になれるよう

やれるだけ頑張ってみてーよ(山崎まさよし

よし。



それじゃ。

はいどうも、

気を緩めた瞬間に1年が経過していた、

使用上の注意です。

前回の更新からまるまる1年。

お元気ですか? by 井上陽水

まぁこちらはあれから色々とありまして、

どこへ行っても置かれた場所で咲き誇るべく懸命にトライ&エラーを繰り返しつつ、

賢明な読者諸兄はもうお分かりのように結局馬車馬人生からは逃れられず。

今日も明日も明後日も、この命尽きるまでガシガシ働き続ける毎日です。

件名に「【悲報】残業規制の影響ど真ん中」とか付けかねない勢い。



それはさておき、結局のところ今を遡ることウン年。

月間残業時間が三桁オーバーも何のその。

厚労省から公的に心配してもらえる生活を送っていたあの頃と比較して、

業務として拘束される時間は確かに減ったのだ、けれども。

その内容というか内実というか実質の部分では今も結局

現場作業員のレベルを超えることができず。

若さという有限の価値をすり減らしてしまったために無理も効かず。

豪速球で鳴らした本格派のエースピッチャーが、

運動能力の衰えとともに変化球と投球術で打たせて取る技巧派へ

モデルチェンジするがごとく、社会人もレベルアップなり

場面転換なり進化なりを遂げねばならんわけで。



抜群の反射神経でことごとくエースストライカーを止めてきた

カテナチオディフェンダーだって、動体視力やら筋力やらの低下に

あわせて身体能力任せのディフェンスから洞察と読みと経験とに

裏打ちされた先読み型マジシャンディフェンダーに生まれ変わるように。

片付けても片付けても止むことのない雪のように降り積もる案件を、

またとにかく脇目も振らず片付ける毎日を卒業すべきなのですよ、オレも。

一人の大エース、絶対的守護神に頼るチームづくりは、

その大黒柱の衰えとともにやがて衰退する。

創業者というカリスマ亡き後、どれほどのベンチャー企業が生き残るのか。

いつだって誰だってどんなときだって、やっぱり人は昨日の自分より明日の自分が

賢くなったり知恵が付いたりスキルを学んだりしないといけないんです。



いつまでも、あると思うな、溢れるエナジー(字余り



手数で勝負する時代は過ぎた。

パワープレイで難局を乗り切るトレンドは終わった。

これからはNEW・オレ。

ニューオレ。

ニュレ。

一つ一つの案件のディレクションではなく、組織のディレクションを。

現場現場で辣腕を振るうプレイヤーではなく、

大所高所からパズルを組み立てるプロデューサーに。

全力疾走で駆け抜けるスプリンターから、

局面ごとのペースを変幻自在に操るマラソンランナーに。

人の成長に終わりなし。

人の進化に終わりなし。

人の革新に終わりなし。

終わりなき、ニュレ。

ニュレ。

はいどうも、

久し振りに夜更かしをしてみたら

やっぱり夜はろくな考えが浮かばない、

使用上の注意です。



この数年、色々と人生の舞台が転回したこともあって、

周辺環境がまさに激変したなぁ、とか思ってみたり。

大きかったのは、転職。

人生の中で20代から60代までの40年以上を費やす仕事は、

つまり人生の半分を使って取り組む一大事業なのであるのは間違いない。

ただ、その事業が終始一貫同じ舞台で踊り続けなければならないものでもなく、

海外の労働者は気に入らない舞台をさっさと自ら降板してまた新しい、

自分に相応しいであろうと思われる舞台へ移ってしまう、らしい。

翻って日本では、感覚的にはつい十年ほど前まで、

一度踏んだ舞台を降りることは許されず、

降板者はさながら人生の落伍者かのように扱われ、

「お前なんてどこの会社に行っても通用しない」なんて、

一度も舞台を変えたことのない先輩役者に根拠のない憶測でしかない

謂れのない非難を浴びるしかないという悲惨としか言えない状況が続いたわけで。



それを思えば彼らの言に言う“落伍者”の仲間入りをしたオレなんて人間は、

結局逃げ出した負け犬だの根気のない今時の若者だの

拾ってやった恩を仇で返す不忠義者だの言われても、

負け犬らしく尻尾を丸めてくーんくーん鳴いてることしか

できない社会的弱者であった、だろう。

感覚的に、十年ほど前ならば。

それでもまぁ今もなお、極々一部の極めて保守的で日本的労働慣行の宿痾とも

いえるような方々は、やっぱりオレを貶して貶めて憎んで恨んで

遠慮会釈も容赦も情けもない言葉という名の刃で切り刻もうとする。

オレは大根でも玉ねぎでもねぇっつーの。



結局何が言いたいのかというとオレは、前の舞台に関わっていた

幾多の人間に対して、オレという人間を別の舞台に立っても通用する

役者に育ててくれた恩義を忘れたことはないし、

これからも忘れることはない、と誓いたいところだが、

その恩義に縛られてあのままあの時の舞台に立ち続けていたらオレは多分、

とても大切で二度と手に入らない何かを失っていたと思うし、

舞台を変えるという一大決心をしたお陰でオレは、

その何かを今手に入れつつあると実感している、ということ。

だからもし、今自分が立っている舞台に疑問やら不安やら不信やら不満を

持っている若い人がいたならば、まずは外の世界を覗いてみると良いよ、と。

そしてぶーぶー言いながらでも良いから今の舞台で一生懸命汗をかいておけば、

別の舞台なのか今の舞台なのかは分からないけれども

いつか必ず役に立つ日が来ると思うよ、と。

縛られず、後ろを向かず。



年を取ると説教臭くなる、というのはホントなんだな。

それじゃ。

はいどうも、

驚くことに早くも2015年が終わろうとしていて

自分の加齢と老化と記憶力の減衰に驚き呆れる、

使用上の注意です。

ついこの前、始まったばかりじゃないか。

それがどうしてこんなにも押し詰まっているのか。

おかしい。

どう考えてもおかしい。

これはもしや、オレの記憶が途中で削除されている?

( ゚д゚)ハッ!

まさか、米軍の陰謀?



というわけでこの1年を振り返って、

反省と内省と自省と猛省に勤しんでみたい。

いやぁ、まぁ、今年も色々とありました。

ただ、色々とあったはず、なのではあるが、

最近本気で記憶力が衰えてしまってしかたがない。

本気と書いてマジと読ませるかどうかはまぁ良いとして、

臍で茶が沸くレベルに覚えられない覚えていられない。

何となーく薄らぼんやりとした記憶のような何かが

灰色の脳みその奥底の内部の深奥に、薄っすらと積もっている感覚。

全ては曖昧な感じで「そんなこともありました、っけ?」ぐらいの記憶力。

だから1年の振り返りといっても具体的などうだとか

現実的なこうだとかは一切ないのでそのつもりで。



と、ここまで書いたのが2015年12月29日。

で、現在は2016年1月10日。

これはまさか、DIOのスタンドっ?

The Worldが発動していたのか?

ってぐらいに消し飛んでいる。

記憶も。

時間も。

そしてなぜかお金も。



一年の計は元旦にあり。

と言われても、元旦ははや昔の話になりにけり。

去年(2015年)も一年色々ありました。

楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、悔しいこと。

それでも結局人は与えられた限りある寿命を全うすべく、

ただ行く川の流れのごとき留まることを知らない時間の流れに身を任せ、

根無し草のようにあっちへプカプカこっちへプカプカ、

今日も明日も明後日も、生きていく。

今年(2016年)はもっと楽しくもっと嬉しく、

もっと笑えてもっと弾けて、

“もっともっと”な一年にしたいなぁ。

間違っても「ほっともっと」ではないし、いわんや「ホモ」でもない。

「ほっともっとフィールド」略して「ホモフィー」でもないので、

あしからず。



そんな一年、できるかな?

いややるんだよ。

それじゃ。

はいどうも、

2015年もいよいよ押し詰まってきたので

なんだかんだで多角的な視点が大切なんだ、

とかそういうことを言ってみたい、

使用上の注意です。

“社会”という大波と暴風が逆巻く嵐の海に漕ぎいでて早10年。

酸いも甘いも辛いも苦いもよく分からない不思議な味も、

それなりに味わってきた、と思わなくもない。

悶絶するほど酸っぱい出来事や気絶するほど苦い体験や、

変な汗が滝のように流れる辛いイベントを通り抜けてきたわけで、自分なりに。

つーか改めて振り返ってみて、文字化してみるとなんだか

マイナスな体験しかしていないような、

気もしないでもないが気にしない。

とにかく、10年間の有難うを込めて

まだ将来に光り輝く無限の可能性を秘めた後進に贈りたい。

『何事も裏表よね』

という哲学を。



例えば法の抜け穴をかいくぐって

グレーゾーンを脇目もふらずひた走る企業なり組織があったとして。

そこで働く人たちはやっぱりサービス残業とかサービス休日出勤とか

サービス有給放棄とかしてるわけで。

従業員としては青息吐息で全力前進するしかなく、

というかそうしないと仕事が回らない。

仕事が回らなければ業績が上がらないのであって、

業績が上がらなければ、多いとか少ないとかは別にしても

サラリーが手に入らない。

だからサービス業的勤労生活を送ることに対する

不平とか愚痴とか不満とかボヤキとか不信とかはとにかくまぁ一回

ぐっと胸の奥にしまいこんで、

グレーゾーン全力疾走型企業に青春を捧げるしかないわけです、ええ。



と、こうやって描写すると数年前から突然流行りだした

ブラック企業のレッテルが想起されるわけであるのだが、

この裏面を探ってみる。

つまり、物事を多面的に捉えてみようという試みだよ、ワトソン君。



当然ながら従業員個人にとって無理な勤務は、心身の疲労を拡大再生産する。

そしてそういうグレーゾーン全力疾走型企業ってのは得てして

サラリーも大変お買い求めやすい価格に仕上がっているのであるからして、

物質的な充足もあまり期待できない。

何が社会のためだ、何がお客様のためだ、何が幸福な人生だ。

ここまでが表面。

だが、まぁちょっと待て。

全くの逆方向から上記の現象を観察してみるに、

彼は疲労と困憊とストレスと何種かの基礎疾患と引き換えに、

常人でない仕事量という経験値を得ている、ことは間違いない。

余人を持ってして代えがたい仕事、というのはなかなかあるものではないが、

だからといって人一倍仕事ができる凡人というのはどれほどいるのだろうか。

その意味で(ある意味無理やりというか自由意志とは関係なくではあるが)

凡人が凡人たる仕事量の数倍にものぼる仕事をこなした彼または彼女は、

もはや凡人ではなく超凡人とでも言うべき存在にレベルアップしたのであって。

テレレレッテッテッテー(ドラクエ風

だ。



別にブラック企業を肯定するつもりはない。

かといって全否定する必要もないような。

問題は自ら火中の栗を拾う覚悟を決めた、

自由意志に基づく就労・勤労であるか否か、ではなかろうかと。

結局、いかにして良い面に目を向けるか。

いかにして前向きに行動できるかが、その後の人生を変えるのではないかと。

物事の裏表を見つめてみるに、そう考えた次第。

依って件の如し。

それじゃ。

はいどうも、

何となくTumblrをのんびり眺めていたら

無性に文章が書きたくなった、

使用上の注意です。

普段オレ達が何気な〜く生きているこの社会は、

実は様々な才能で溢れていて、それが惜しげもなく披露され続けている。

それが現実なのではなかろうかと。

それが証拠にTumblrには、クスリと笑えたりニヤリと笑えたり

う〜むと考えさせられたりマジか…と驚愕させられたり、

体の一部がHot!Hot!になったりやべぇ早く寝なきゃと焦らされたり、

そんな引用や転載や独自創作やニュースや画像が次から次へと流れていて、

もはやそれを全部消費することなんて不可能であって

群がる情報をちぎっては投げちぎっては投げしているうちに

“あっ”という間に深夜2時。

まさにスタンド。

まさにThe World。

jojo14




ただ、そうやって世界の片隅でひっそりと生きるこのオレの、

ざわつく心をさらにざわざわさせてくる名も無きタレントフルな一般ピーポーは、

よくよく考えると情報発信手段と類まれな才能を併せ持った人間なわけで。

条件的にはかなり目の細かいフィルターを通過した人たちであり。

世界中の人口から考えると本当にごくごく僅かな割合でしかないし、

今この瞬間飢えと病気で死の淵に直面しているどこかの国のある人は、

実は手段さえあれば世界を変えうる才能を発揮していたかも知れず。

言い換えれば、情報発信の手段を持っている世界中の限られた人たちの中でも、

さらに“他にはない才能”を持った人たちが繰り出す情報だけでさえ

こんなにも時間を忘れさせて没頭させる魔力を持っているのであるからして、

それ以外の“その他大勢”に便宜上分類されてしまっている

埋もれたタレントが真の実力を発揮してしまったら…。

オレの一日は24時間で全く足りなくなるに違いない。



とはいえ、どれほどに珠玉の情報であったとしても

それが数えきれないほど集まってしまった時、

一瞬にして全てが等しく砂のひと粒に成り果てる。

九十九里浜の真砂の中からたったひと粒を見つけ出せ。

と言われてもできるわけがないし、それが世界規模で行われてしまえば

早々に白旗を掲げてふて寝を決め込むしかないのは自明の理。

今夜オレがその情報に出会えたのは、安っぽい言葉のチョイスではあるが、

奇跡としか言いようがない。



奇跡だ。

おぉ、奇跡だ。

どれほど言葉を費やしても全くもって山場と落ちと意味を含まない

このブログを、ここまで読んだあなたは奇跡の人だ。

奇跡の人に、幸多からんことを。

大変申し訳ございませんでした。

それじゃ。

はいどうも、

ニュースは突然降ってくる、

使用上の注意です。

情報洪水社会と呼ばれて久しい現代社会において、

全く意識しない角度から脳天直撃セガサターンと

降って湧いてくるのがニュースであって、

むしろあらかじめ詳しい内容が分かっていることが

手元に届いたところでそれはニュースではなく、

確認であるとか、報告であるとか、そういう類の情報なわけで。

これだけ情報が氾濫し、反乱している中であっても

古来からニュースはニュースとして数多の人類を直撃してきたわけですよ。



ニュースは突然降ってくる。

二度寝の至福を満喫していようが悦楽の波に溺れていようが

悲しみの縁にくれていようが怒髪天を衝いていようが、

ニュースは突然降ってくる。

その中身は、千差万別。

待ちに待った朗報もあろう。

泣きっ面に蜂のごとき悲報もあろう。

内容もよく分からない速報もあろう。

そして中には、不意の訃報もある。



この世に生を受けて30と数年。

人間50年と謳われた敦盛の時代はいざしらず、

男性の平均寿命が70を越えるこの時代に、

なぜ彼は逝ってしまったのか。

「早すぎる死を悼む」とか「悲運の死」とか「悲劇の逝去」とか、

言葉はどれも力不足を否めない。

何をもってしても、その死を言い表すことができない。

ような気がする。



とはいえ、さはさりなれど。

結局残されたヒトはしばらくの時間を置いたとしても、

これまでと同じ時間を過ごさざるをえない。

ある人は仕事に励み、ある人は子育てに追われ、

またある人は旅の続きを歩み出す。

そして残されたヒトもまた、逝く。

それで良い。

それで良いじゃないか。



彼が生き、彼が逝ったことを胸に刻み、

いつもと変わらぬ日常をつつがなく過ごす。

それが一番の供養になるんじゃないかね、多分、きっと。

それさえ自己満足に過ぎないんだろうけれど、生きねばならん。

生ききらねばならん。



そしてまた、ニュースは突然降ってくる。

冥福を祈りつつ、

精一杯の意を捧ぐ。

はいどうも、

いつの間にかジョブチェンジしてから1年と半年を過ごしていた、

使用上の注意です。

つまり、広報マン2年生もその半分が過ぎたわけで。

不安と緊張で押しつぶされそうな背中を

ピカピカのランドセルで守りながら、

よたよたと通学路を歩いていたあのか弱い少年もいつの間にか、

かけがえのない存在になるであろう仲間たちと僅かばかりのの世知と、

ほんの少しの自信を胸に、溢れんばかりの笑顔をこぼしながら

颯爽と歩いている、イメージでお願いします(何を?




そう。

知ってる人は知っている。

知らない人は覚えてね。

おいらはボイラー。ミ○ラのボイラー。

使用上の注意こと○○は、

2014年の4月に以前の職場を離れまして。

その後訳あって5月からはとある職場で広報マンとしての第一歩を

踏み出したわけですよ、頼りなく、よたよたと。

あ、○○にはオレの本名が入ります。

で、あんまりこう、前の職場についてあぁだこぉだ書こうとすると

どうしても余計な誤解を招きそうな気が捨てきれず、

ブログという公開の媒体で自由に筆を滑らせるのもどうかと、

自問自答しつつ自重しつつ自粛しつつ生きること早1年と半。

そろそろまぁ時効ではなかろうかと考えてみて、

ふと思い立ったが吉日。

そうだ、京都行こう。

そうだ、書いてみよう、的な。



といっても別に前の職場に対して何かをどうこう言うつもりもなく、

ただただ「転職してたんですよ」という事実を、顔も名前も知らない

法律学的に全く正しく言うところの“善意の第三者”へお知らせしてみようかと。

それだけの話。

なので改めてお断りを述べる。

前職関係者の皆々様、何かを期待しているのであれば今すぐ離脱されるが良い。

ここ(ブログ)は貴兄らにとって別段何かを得られる場所にあらず。

唯一、使用上の注意こと○○が、

「あぁ今日も元気に生きているんだなぁ、ムダに」

と思えることが収穫といえば収穫かも知れない程度の立ち位置ですよ。

あ、○○にはオレの本名が入ります。



閑話休題。

1年と半を、全く別の環境に身を置いてみて思う。

世間は広いようで狭く、社会は冷たいようで温かい。

そして人生は長いようで短く、平坦なようで凹凸。

順風を満帆に受けて滑るように海面を行くときがあれば、

逆風と大波が逆巻く嵐の海をひたすらにやり過ごすときもある。

楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。

人生万事塞翁が馬であり、禍福は糾える縄の如し。

あの頃の生きた証は、今もオレの中で手触りを持って生きている。

今の自分で良かったと、思えるならそれで良いじゃないか。

未来の自分に期待しながら、タバコでも吸おう。

それじゃ。

はいどうも、

昨日は偉そうにこんなことを言っておきながら

結果は反対派の勝利ということで穴があったら入りたい、

使用上の注意です。

アナがあったらハイりたい。

ということはアナハイ?

アナと焼酎のミックス?

美味しそうな、不味そうな。

なんとも言えない気分。

そして、参考画像は大人の事情により割愛する。



まぁあれだ、ここは素直に謝ろう。

偉そうなことを言って済みませんでした。

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これからはひっそりと生きていきます。

昔の人は言いました。

出る杭は打たれる。

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それじゃ。

はいどうも、

久し振りに晩酌をかっくらいながら

住民投票の結果をwktkしながら待っている、

使用上の注意です。

出口調査の結果では賛成派が多数を占めそうな勢いだそうだけれども、

期日前投票の結果如何では真反対の結論に至る可能性もあるそうで。

とはいえ、都構想がどうだとか橋下市長の政治手法がどうだとか、

大阪の発展がどうだとかそういう話はするつもりもない。

というかできない。

所詮あっしはしがない一市民でしかありませんから。



そうではなくて、今回の住民投票で思うのは、

今の日本における政治活動ってのはある種広告業界とよく似ていて、

いかにメッセージをシンプルに尖りきるかがポイントなのかなぁって。

情報の流通量がもうそれこそ文字通り数百倍に増えた現代で、

広告情報と同じく政治に関する情報も腐るほどあるわけで。

日々情報の洪水に飲まれてアップアップいってる消費者は、

ほぼそのまま有権者であるからして処理できる情報量はほぼ同じ。

となると必然的に政治的コミュニケーションは

現代の広告コミュニケーションと同様のスタイルを取らざるをえない、

ようなそうでもないような。



『明日の広告』っつー本で看破されてたけれども、

広告コミュニケーションは情報の受け手に対して「聞けよコノヤロー」が

通じる時代なんてとっくの昔に終わりを告げていて、

むしろ今は「聞いてくださいお願いします」って感じだと。

しかも「オレが言いたいのはコレとコレとコレとコレと、

ついでにコレも聞いてけよコノヤロー」がまかり通っていた昔と違い、

「みなさんが知りたいのはズバリ、コレですよね」的なコミュニケーションに

変貌してしまっている、とのことで。

このコミュニケーションのシンプル化+ベネフィットアピールが、

政治の世界にも起きているのではなかろうか。

いわく、「オレを当選させたらコレとコレとコレとコレと、

ついでのコレも実現してやるから票を寄越せコノヤロー」という世界だったのが、

今や「みなさんが実現して欲しいのは、ズバリコレですよね」と。



で、何が言いたいのかと言いますと今回の住民投票で

賛成派のアピールと反対派のアピールを比べてみたところ、

賛成派の活動に軍配が上がるのではなかろうかと。

活動期間中に触れ得た情報を元にざっくりと双方の言い分をまとめると…

賛成派:大阪市を発展的に解消して未来の大阪を作りましょう

反対派:歴史ある大阪市がなくなる、市税が府税に吸収される、
    住民サービスが低下する、現状は別に二重じゃない etc…

てな感じではなかろうかと。

で、そう考えるとやっぱり、アピール上手は賛成派の方だったのではないかと、

そう愚考するわけで。

住民投票の結果はどうあれ、

政治的アピール勝負の結果は賛成派の勝利だったよね、っていう。



思うに、賛成派が上手くメッセージを絞り込むなら…

「今までスミマセン。これから頑張ります」

じゃなかったかなー。

賛成派の主張にいちいち個別で反論するから論点がぼやけたよねー。

以上、政治的コミュニケーションと広告コミュニケーションが

似通っているよね、っていうお話。

それじゃ。

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