新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

初めまして。
しがないクリエイティブ・ディレクターをいつの間にか卒業し、
しがない広報マンにジョブチェンジした使用上の注意と申します。
しがない駄文を書き連ねては日頃の憂さを発散更新しておりますので、
御用とお急ぎではない方はお誘い合わせの上、反転離脱されたし。
曰く「我ニ追イツク敵機ナシ」。

はいどうも、

最近“書きたい欲求”が薄れつつあるような気がしている、

使用上の注意です。

念のため予め申し上げておくが、

“カキたい欲求”ではない、決して。

そんな下ネタを自らのブログ冒頭から堂々と掲載できるほど、

大きな人間ではないのですよ、私は。

それともちろん、“牡蠣鯛欲求”でもないので悪しからず。

つーか牡蠣鯛欲求ってなんだよ。

鍋に牡蠣と鯛を突っ込んでぐつぐつ煮たい欲求か。

一兆歩譲ってそんな欲求があるとすれば、

心理分析的にどうなんだね、フロイト君。



そういえばさっき、“フロイト”を変換しようとして

“風呂意図”が出てきたけど本題とは全く関係がないので

あまり深く掘り下げないようにしたい、ぜひ。

風呂意図を一度でも掘り下げようものなら今日のテーマはどこかへ飛び立ち、

後にはカオスな文章が残るだけに決まっているのだから、絶対。

だから決して風呂意図に触れてはならぬ触れてはならぬ。

触らぬ神に祟りなし。鰆に髪も計りなし。早良親王に祟りあり。

「祟りじゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

ほら、もう低温火傷しかけてる。



話を強引に戻そう。

“書きたい欲求”が最近薄れつつあるような気がしている話ですよ。

もちろん“カキたい欲求”は衰えを知ら、ってゲフンゲフン…。

い、以前は読書量が増えれば増えるほど

つまりインプットされる情報量が増えれば増えるほど出したい欲求が、

つまりアウトプットしたくなっていた。

まぁ文章表現欲求という世界において、ムラムラしていたわけだ。

で、出したいなら出せば良いとばかりに、

ブログという名の箸にもかからぬ駄文を

せっせせっせと量産してはインターネットの大海に晒してきたわけですよ、旦那。

それなのに。

最近は色々とアレがソレしてこうなって時間ができて、

読書量が飛躍的に増えたにも関わらず、

ブログの更新はとんとご無沙汰。

これでもかこれでもかと挿入される情報の大洪水。

それでもぴくりともしない筆運び。

これは一体どういうことだ。



まさか、これは、ひょっとして。

最近年齢の割にソッチの欲求が高まってきているなぁと思っていたが、

もしや情報発信という欲求が体内で誤変換されているのでは…。

“カキたい”や、“牡蠣鯛”や、“風呂意図”のように。。。

となれば今の俺に必要なのはブログ更新などではない。

もちろん自分で自分を慰める秘められた行為でもない。



IMEの再インストールだ。

さぁ、インストールディスクを探すことから始めよう。



えぇっと、、、次回から真面目になります(多分)。

それじゃ。

はいどうも、

最近読書ペースが早くなっている、

使用上の注意です。

まぁ話せば長くなるのだが色々とアレがソレした結果、

読書時間が増えた。それも圧倒的に。

今までの自分は来る日も来る日も仕事がテッペンを回り、

倒れこむように帰宅しては僅かな休息をむさぼり、

そしてまた翌朝には何食わぬ顔して出勤する毎日だったのであるからして、

いつ本を読めと?的な。

ただ、そんな話はどうでも良い。

それもまた今では良い思い出に近いので。

ソレがあるから今がある、と本気で信じてもいるし。

これ以上は語るまい。



で、だ。

読書量が増えると当然お財布さんがポロポロと涙を流すハメになる。

なぜか?

お金さんがハイペースで旅立つので、

あっという間に俺の財布はウルトラ・ライト・サイフに変身するからだ。

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※これはウルトラ・ライト違い

ここで俺は閃いた。

「そうだ、古本屋に行こう」

と、至極当然の結論に落ち着き、喜び勇んで古本屋のドアをくぐる俺。

そこに広がっていたのは本好きのためのエルドラド。

1冊100円(税抜)という夢の様な価格で、

少し恥ずかしそうに並ぶ本たちの姿である。

俺の心は早鐘のように鼓動を重ね、雲の上を歩くように浮き立つ足。

目はお目当ての本を探してアッチへキョロキョロ、コッチへキョロキョロ。

これは噂のキョロ充かと(誤った)独り合点を打ちながら店内を彷徨う俺。

しかも最近の古本屋は、在庫処理やらなんやらで10冊以上の購入なら

70%オフとかいう狂気の沙汰としか思えない価格設定で勝負してくるから困る。

結果、1回の買い物で20冊以上の本を購入する俺。

で、むさぼり読む俺。



ところが、だ。

かつて読書に感じたような高揚感とか満足感とかカタルシスとかが、

イマイチ薄い。

来る日も来る日もページを捲っては小さなため息をつく。

「なぜだ?なぜこんなにも感動が薄い?

 俺はもっと心動かしたいんだ!もっと心震わせたいんだ!

 もっと心揺さぶりたいんだ!!!」

まぁ叫ぶだけでは能がない。

ここはひとつじっくりと原因を考えてみようじゃないか、ワトスン君。



以前:本は書店で新品を購入→毎回何がしかの感動

現在:本は古本屋で中古品を購入→何か違う

以前ならば平均して80点以上の感動を手に入れていた、ように思うが、

今は良いとこ65点。

ひどい作品になると「二度と読むか!」となり果てぬ。

なぜか。

以前と現在を比較するに、やはり違いは新品なのか中古なのかということ。

しかし、新品だから感動できて中古だから感動できないなんてことはない。

良い作品は一度誰かに読まれていようがいまいが良いのであって、

属性の変化によってその価値が揺らぐことはない、はず。

ふむぅ。



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キュピリリ~ン!

ここで俺は閃いた。

新品=高い=金に限りがある=購入する書籍は厳選する=ハズレが少ない

中古=安い=たくさん買える=守備範囲を広げて買っちゃう=ハズレも多い

そうか、そうなのか、そうだったのか!!

読書家としてまたひとつ階段を登った気分である。

曰く、『古本といえども購入の選択ハードルは下げるべからず』。

書を求めんがため、書を捨てて街へ出た甲斐があった。

さぁ、今日も今日とていざBOOK OFFへ。

よ~し、今回も順調に無駄な時間を過ごしたぜ。

それじゃ。

はいどうも、

東京からこんにちは

使用上の注意です。

ひょんなことから東京出張が決まり、順調に予定をこなしたが

夕方に少し時間が空いたところで酒を飲み交わす遠方の友もなく、

ただ一人値段の割に量の少ない晩飯をぼそぼそと食べていたら、

あまりの人脈のなさに少し愕然とした。

どんだけ友達すくねーんだよ、と。



まぁそれはともかく。

わざわざ東京まできてブログ更新かよと思わないでもないが、

めったにない東京出張だからこそそこで感じたこと思ったことを

ゼロとイチの電子データとしてこの世に残しておきたいような、

そうでもないような。

多分、東京に来たという非日常感に浮かれているんだ、俺は、多分。

だからとんぼ返りという悲劇に仕上がった東京出張の、

夜を共に過ごす友がいなくても平気。

平気だもん。



というかなぜに、仕事でやって来た東京で己の人脈のなさを嘆かねばならんのか。

そうだ、アイツのせいだ。

古くからの戦友にして腐れ縁のあいつが、

当初約束していた飲みのアポイントを前日になってぶっちぎりやがったせいだ。

まったく、こんなことなら最初っからアイツじゃない例のあの子とか、

別のその子とか、最近知り合ったこの子とかに声をかけるべきだった。

前日にキャンセルされて、じゃあ明日の夜空いてる?なんて

問いかけてみたところで、帰ってくるのは「急すぎますよ」の大合唱。

うん、知ってる。

知ってるけど、声をかけずにはいられないじゃん。

だって急に予定がぽっかり空いちゃったんじゃん。

俺だってみんながそれぞれの道を歩み、

木曜の夜を親愛なる誰かと過ごしているんだろうなぁ

なんてことぐらい分かるじゃん。

でも、寂しいじゃん。

一人で大阪にとんぼ返りなんて、虚しいじゃん。

悲しいじゃん。

悔しいじゃん。



間違った東京言葉を連発しながら自分を慰めていると、

終電の新幹線がスルリとホームに滑りこんでくる。

闇夜を切り裂くヘッドライトは煌々と照らされ、

悲しみに沈む俺を一瞬明るい光に包んで、流れ去った。

徐々にスピードを殺した鋼鉄の斜体はホームドアの

開口部と寸分の狂いもなく止まり、次の刹那

ドアを固定していた圧縮空気の抜ける音がする。

プシュー。

今か今かと乗車の時を待つ乗客たちに聞こえないよう、

その音に合わせて俺はため息をつく。

そしてカバンの持ち手を握る手に力を込めた。

ほなな、東京。

また来るわ。

次はもっと笑ってさいなら、や。



のぞみは名残惜しそうに警笛をひとつ、長めに鳴らして滑り出す。

プシュッ。

気の早い乗客の一人がビールのプルタブを引く音がした。

言葉になりそうでならない、言いようのない、

たくさんの思いを胸の中に抱えて、俺は一人帰る。

時速数百キロで。

それじゃ。

はいどうも、

自転車ツーキニストをひっそりと引退していた、

使用上の注意です。

まぁ色々ありまして、ね。



そんなこんなで現在は立派に電車通勤をこなすイチ社会人として

日々懸命に汗を流す私こと使用上の注意。

となると必然的に、自転車ツーキニスト時代に購入したセミドロップハンドルの

シングルスピード(ギアがひとつしかないスポーツサイクル)

今ではほとんど乗られることもなく、マンションの自室前に

ひっそりとたたずむこととなる。

しかし、主がその手綱を取ること日が少なくなったとしても、

彼(自転車)は毎日黙って“その日”が来るのを待っている。

再び雄々しく駆け回る姿を主に見せる日がくることを、

彼(自転車)は待っている。

鉄のように冷たい彼(自転車)の体(クロモリフレーム)からは、

彼自身(自転車)のそんな切なくも熱い想いが伝わってくるようだ。



とはいえ。

さはさりながら。



これでもかと愛情を注いだ我が愛機(自転車)といえども、

乗りこなす機会が激減してもなお猛々しさを失わない立ち姿を誇れども、

何の色眼鏡もかけずにまっすぐと見つめればそれは自転車に過ぎず。

自分にとって特別なツールでさえ、他人にとっては単なる財貨。

いや、極論すれば購入して数年の時を重ねた自転車など

減価償却はとうの昔に終わってしまっているのであるからして、

帳簿上の価値はゼロ。

毎日通勤の足として我が街を駆け抜けたジョニー・ザ・ダッシュ(自転車)も、

主以外の人間からすればもはや物言わぬ鉄のオブジェ。



むぅ、それではあまりにもジョニーが不憫ではないか。

もっと彼(自転車)に思いを馳せてみても良いのではないか。

もっと彼(自転車)を愛でる機会を増やしても良いのではないか。

もっと彼(自転車)との思い出を心に刻んでも良いのではないか。

と、そう愚考しながら今日も、

電気で走る鉄の化け物に揺られている。

今度の休みはジョニーに跨って、久し振りに風を感じてみようか。

長い長い下り坂でブレーキを一杯握りしめながらゆっくりゆっくり

下ってみても
後ろに載せるキミは影も形もないけれど、

日の当たる坂道を駆け上ってみてもかつて約束を交わした

キミなんて人はどこにもいないけれど、

オレにはジョニーがいるじゃないか。



週末の昼下がり、

泣きながら自転車で車道を爆走する三十路男を見かけたら、

恐らくそれは私だ。

そっと見送って欲しい。

何も言わず、

何も思わず。

それじゃ。

はいどうも、

意思疎通というのは本当に難しいものですね、

使用上の注意です。

というか簡単に“意思を疎通する”といってはみても、

それってつまり相手が何を考え何を思うかを発した言葉や態度・表情から推測し、

こちらの考えや思いを歪みなく過不足なく誤解なく伝えるってことですから、

はっきり言って無理ゲー。

大体「歪みなく過不足なく誤解なく」気持ちを伝えられたら

この社会から犯罪はなくなるんじゃねーのかと。



いや、ちょっと待て。

犯罪の中には金銭苦とか生活困窮とかの

コミュニケーションとは無関係の原因から発生する類のものもあるのだから、

犯罪が全くなくなることはない、か。

より正確に言えば怨恨や痴情のもつれ的なコミュニケーション不全が

大いに関与するタイプの犯罪はなくなるかも知れない、か。

まぁそれにしたって

「目が合ったから腹が立った」20歳無職、とか

「あの子はオレのことが好きなはずなのに無視されたから殺した」21歳無職、とか

そもそも意思疎通のかけらも成立していない状態で起こりうる犯罪も

考えられるのであるからして、

意思疎通が完全に成立したとしても防げる犯罪はさらに限られてしまうのであり、

結局世の中の犯罪の多くは意思疎通と無関係に発生しているような気がしてならず、

いくら意思疎通を完璧に仕上げたところで不幸な人たちは減らせない、か。



と、こうやっていつの間にか犯罪被害者の不遇に思いを馳せている時点で

オレが当初思い描いた“意思疎通は難しい”というテーマが

薄らぼんやりとぼやけてしまってはみたものの、

やっぱり“考えや思いを無加工で伝えきる”意思疎通は難しい、

という持論が強化されたという訳の分からない論理構造に仕上がってみた。

とはいえ、意思疎通が難しいという話から始めて

次に言語を上手く操ることのできない赤子との意思疎通はもっと難しい、

という話を展開し、最後は赤子が発する僅かなシグナルを推測し慮って

右往左往した挙句何にも得られなかったよテヘッ、的なオチに持って行こうと

思っていたのだが、この体たらく。

思ったことをただ伝えるのがこんなに難しいとは、、、

伝える作業の難易度が思いの外高いことに、

思い悩む今日このごろである。



賢明なる読者諸君。

諸君らの中にコミュニケーションで悩む御仁がいたとすれば

ぜひ次の言葉を胸に刻んで欲しい。

『余計なことは言うな』

それじゃ。

はいどうも、

台風というやつにそれほど恐れを感じない、

使用上の注意です。

生まれつき地方の新興ベッドタウンで育ったために

氾濫する河とか用水路とかに縁がなく、

土砂崩れが予見される土の急斜面も

暴風に煽られて飛んでいきそうになる古い雨戸も瓦も、記憶の中にない。

従って台風とは学校が休みになるかならないかを決定づける気まぐれな存在、

以上でも以下でもなく、恐怖の対象ではなかった。

台風と聞かされておぼろげに思い起こされるのは、

ステンレス製の雨戸を閉じきった薄暗い部屋で

ごうごうと吹き渡る風の轟音に耳を傾けながら

幼い姉と二人で両親の帰りを待つ夕暮れどきのワンシーン。

それは恐怖と紐付けられた感情であるはずもなく、

ただただ絶対的な庇護者たる親の帰宅を待つワクワクと、

非日常的空間に身を置くことの高揚感。

それが、俺の台風に関する原体験。



とはいいながら、過去に台風が我が国にもたらした被害は

十分に恐怖の対象となるべき規模を持っているのもまた事実。

パッと思い浮かぶだけでも、古くは伊勢湾台風や室戸台風があるし、

近年も毎年のように台風で死者が出ている。

それに、アスファルトによる舗装が行き渡り、

里山や鎮守の森が姿を消しつつあるこの日本の、

国土としての保水力は驚くほどに弱体化しているのであるからして、

短時間に大量の雨水をもたらす台風はやはり、

恐れられてしかるべきなのではなかろうかと思うわけですよ。



にも関わらず、だ。

治水や護岸工事がある程度進行した都市に人口が過密気味なのもあり、

河川の氾濫やら土砂崩れの危険にさらされる人は

確実に減少している、と思う。

第一次産業に従事する人口が減っているということはつまり、

いわゆる「田んぼ(または用水路)の様子を見てくる」という

死亡フラグを立ててしまう人もまた、同じく減少しているのであろう。

それに、そうした統計的な危険性だけでなく、

強い雨が打ち鳴らす水音や、強い風が扉を打ち付ける音も、

気密性の高い現代家屋において人の恐怖心を煽るだけの威力を持っていない。

結局、今となっては台風も一部の子どもたちが翌日の学校を休む大義名分を

与えるかも知れない福音の使者とさえ待ちわびられる存在でしかなく、

そうした経験を持つ大人の割合が増えるに連れ

台風の台風たるアイデンティティは少しずつ崩壊していっている、

のかも知れない。



で、あればこそ。

祇園精舎の鐘の声には諸行無常の響きがあるそうだが、

何事も変化の魔の手からは逃れられず、

台風という自然現象でさえ例外ではない。

だからこそ、“変わりゆく”という前提で物事を捉え、

解釈し、再構成して新しい価値を生み出さねばならんのだ。

とか何とか、絶妙の変化球で日本を直撃した台風19号の、

猛烈な雨と風を安全な室内からぼんやりと眺めながら考えた、

昨日の夜。

それじゃ。

はいどうも、

意外と涙もろい、

使用上の注意です。

まぁ人一倍感受性が強いというか感情移入が上手いというか、

弱ってる人困ってる人の辛く苦しい心にそっと寄り添い、

自分の痛みとして捉えてしまうクセがあるんですな、僕には。

なんとも心優しい生き物であることだろうか、この僕は。

「嘘つけ」とか言う奴は8年ほど高野山で修行でもしてくるが良い。



というか、常日頃「お前は冷たい」だとか「人の心がない」だとか、

「冷血漢」だとか「鉄面皮」だとか口を極めて罵ってくる親友Aには、

心の底からの反省と悔悟とを要求し、もって転向を求めたい気分だ。

「おぉ○○よ、お前は人の痛みを我が事のように捉えてしまう、

 何と心の優しい生き物であることだろうか」とか、言わせてみたい。

ふむ、他人に言わせたいセリフといえば「ぎゃふん」しか

思い浮かばない傾向にあるこの俺にしては、

なかなか高等で複雑な要求に仕上げてみましたがどうですか?

あ、「○○」には使用上の注意の本名が入ります。



それにしても我々が生きるこの世の中には、何と痛みの多いことか。

東西南北上下左右、不幸に満ち溢れておるのじゃよ!

子を殺めてしまう親がいるかと思えばその一方で、子に殺められる親がいる。

小学校時代のいじめっ子が中学に上がるといじめられ、

高校ではその他大勢となり、大学デビューを頑張ったと思えば

就職に失敗してしがない派遣社員を続けている。

好きでもない女とろくでもない結婚をした末に、

食えない子どもが生まれてはイケてない人生を嘆く男がいる。

かと思えば好きでもない男とろくでもない結婚をした末に、

食えない子どもが生まれてはイケてない人生を嘆く女がいる。

ふと自分の周囲を見回してみれば、何と痛みの多いことか。

気を抜けばそれらの痛みが放つ禍々しいオーラの渦に飲み込まれ、

俺の心はミクロン単位で砕け散っては虚空の彼方に吸い込まれそうなのに、

俺は他人の苦痛をも抱え込んでしまう。

自らの懊悩をも抱えつつ、だ。

悲しい。

悲しいぞ。

悲しすぎるぞ。



いくら禍福は糾える縄の如しと言われようと人生万事塞翁が馬と諭されようと、

結局この世の中から辛いことは消えてなくならず。

多少の幸福に心癒されたとしても、

それ以上の速度と質量で襲いかかる他人のものも含めた苦痛は

俺の心を蝕んでいく。

生きるとは、行であり修行であり業であろう。

逃れられぬ。

滂沱の涙を流しながら、

それでもなお前を向かねばならず、

なお他人の痛みを直視せねばならぬ。

生きるって、しんどいにゃー。

それじゃ。

はいどうも、

何となく思い立って

Wikipediaはどんな言葉も6回クリックすればたどり着ける

とかいう法則に挑戦してみた、

使用上の注意です。

いや、決してヒマなわけじゃないよ。

いや、マジで。

いや、実はちょっとヒマ。



ともかく、早速スタート。

今回は適当に思いついた言葉を結んでみようじゃないか、諸君。

┏START:医療事故

┗GOAL :司法試験

まぁ「医療事故」から「司法試験」ということで、

法律的な記事をまずは目指すことにして…



┏START:医療事故

和解

┗GOAL :司法試験

和解

和解(わかい)とは、当事者間に存在する法律関係の争いについて、

当事者が互いに譲歩し、争いを止める合意をすることをいう。

by Wikipedia

ん?何かひょっとして早くもゴールが見えてきてねーか?

こっから裁判関係のキーワードを拾ってみれば、イーシャンテンな気が…



┏START:医療事故

和解

弁護士法

┗GOAL :司法試験

弁護士法

弁護士法(べんごしほう、昭和24年6月10日法律第205号)は、

弁護士制度を定める日本の法律。

by Wikipedia

おいおい、もうリーチじゃねーか。

なんという神速。

なんという拙速。



┏START:医療事故

和解

弁護士法

司法修習

┗GOAL :司法試験

司法修習

司法修習(しほうしゅうしゅう)は、日本の司法試験合格後に法曹資格を

得るために必要な裁判所法に定められた「司法修習生の修習」の通称である。

by Wikipedia

ほいきたドン。

リーチ一発ツモメンタンピン、ドラ3丁とくらぁ。

おいおい、倍満じゃねーの

8,000点オールでオナシャス(何故か麻雀が始まり、しかも自分が親の設定)。



…。

というわけで当初の予定ではアッチへ行ったりこっちへ飛んだり、

ロマン溢れる一大スペクタクル巨編となるはずだった今日のエントリも、

これにてあっさり終劇。

たったの4クリックでゴールしちゃったんじゃあ世話ねーや。

しかも道中なんの意外性もないと来た日にゃあ旦那、、、

やる意味あったの?これ。

それじゃ。

はいどうも、

内容も、無いようで、

あるから怒(ど)、やぶからぼー、

使用上の注意です。

いきなり何を言うとるんやとお思いの読者諸兄は、

今すぐ「ア・セッションプリーズ 歌詞」でggrksググれば分かる。



それで思い出したが「話せば分かる」と言ったのは犬養毅であったけれども、

世の中には話しても分からない御仁が溢れているのであって。

ここで具体的に誰かと名指しで紹介するのはさすがにとかく具合が悪いので、

そこはまぁテキトーに曖昧にぼんやりと「そういう人もいるんだよ」

的なことさえ分かって貰えればそれで良い。

別に俺だって「問答無用」なんて叫びながら手にした拳銃の

引き金を引き絞るほど冷酷無比な人間でないのであるから。

それに、いくら怒髪天を衝くほど腹が立って腹が立って辛抱たまらず

「嗚呼、俺に殺人許可証さえあれば…」ぐらいに思い詰めるほど

にっくきアンチクショウが俺にいたとしても、

その彼が虫刺されの痒みに悩んでいるその場に居合わせたなら、

「痒いところにはムヒだよね」といって微笑みながら

アンメルツを差し出すぐらいには無害な人間ですよ、ぼかぁ。



と、こうしてブログを書き始めてからさらに思い出したんだが、

つい先日遅ればせながら、というか何を今更というか、

村上春樹の『ノルウェイの森』を読んでみた。

恐らく世界でも指折りの後追い読者だろうけど

そんなことはどうでも良い。

多少なりとも読書を趣味と掲げる人間ならば知らない人はいない村上春樹の、

かつ村上春樹を知っている人ならば知らない人はいない『ノルウェイの森』。

あんまりにも有名で、あんまりにも売れていて、あんまりにもメジャーな作品。

それゆえに東洋一の天邪鬼とさえ賞賛される俺にとっては鬼門中の鬼門。

まぁ単に「だってみんなが読んでる本は読みたくないんだもん」とかいう

中二病をこじらせていたのではあるが、いくら何でも

上下セット200円で販売中ならいつ買うの?

今でしょう(古すぎて逆に新鮮だ、と強弁してみる)。



で、字数もアレだから簡潔に結論を申し述べる。

やっぱり俺、村上春樹はちょっとダメだ。

確かに文章は上手い。

世間がそう評価するように、メタファーも効いてる。

文章表現の新たな可能性を見せられた思いだったし、

ぐいぐい引きこむ力があった。

そしてジャズやクラシック音楽、英米文学の知識も深く、

登場人物も魅力的。

それでも、やっぱり俺には受け付けない。

別に性描写が多いとか、主人公のモテっぷりがひどいとか、

鬱展開がどうだとか、そういうのは良い。



ただただ

「俺ってこんなに考えてるんだぜぇ」

「俺ってこんなにカッコ良いんだぜぇ」

「俺ってこんなに深いんだぜぇ」

「俺ってこんなに深く人を愛せるんだぜぇ」

と自慢されてるように感じてしまう。

まぁアレだ、俺の感受性と文章読解力が低いんでしょ、多分。

世界的に売れてるんだから、これは俺がアレなんだ、きっと。

人を心の底から深く愛したことない俺が悪いんだ、恐らく。

( ゚д゚)、ペッ



結論:村上春樹的世界観を理解できずんば人にあらず、

   的な同調圧力になんか負けてたまるかー。

おっと、誰か来たようだ…

それじゃ。

はいどうも、

どうにも夏バテが本格化中、

使用上の注意です。

ただでさえ暑いのは苦手なのに、

その上この蒸し暑さとくればバテるのも道理。

記憶の混濁さえ起こってくるってものである。

だからこんな画像もアップしちゃう。

DropShadow ~ 20060125

多分、バテてたんだよ、きっと。

それじゃ。

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