新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2004年09月

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はいどうも、余りの眠気からついつい使い捨てコンタクトを外すのを忘れそのまま就寝してしまった所、朝起きれば自分史上最大級の目脂がびっしりとついていたので、慌てて顔を洗ったは良いが、それ以来何故か景色がぼんやりとぼやけてしまっている、うっかり使用上の注意です。
これ以上視力が下がるのは嫌なんですが、ちょっとまじで不安に駆られている今日この頃って奴です。これからは気を付けよっと。

と言う訳で今日の更新は、テレビポリティクスについて想う事、です。つい先日の九月二十八日と、今日九月三十日、テレビ朝日系列で政治家の討論番組(リンクは今日の番組)がゴールデンタイムに放映されました。双方の番組とも同じテレビ局だからか、所謂若手政治家を集め、ご意見番としてハマコーこと、浜田幸一元衆議院議員が鎮座するスタイルを取っていました。二十八日の番組は爆笑問題が司会を務め、今日の番組は浅草キッドが司会をしていました。まぁ堅っ苦しい政治談議お茶の間に分かり易くお届けする、ってスタンスでしょうかね。相変わらずハマコーこと浜田幸一は、激昂に次ぐ激昂でお茶の間の笑いを取ってたんじゃないかと、推測されます。そして、司会のお笑いコンビは時折茶々を入れ、これもまた小難しい政治をお笑いを交える事で理解し易くする事に貢献していた、んではないでしょうか(ま、皮肉ですがね)

はてさて、この類の政治バラエティとも言える番組に共通して言える事は、「政治の大衆化」がかなりの程度深化している、と言う事でしょうか。テレビ局には真面目な政策論議をさせる気がないのではないか?と邪推してしまいたくなる番組構成でしたし、唯ひたすらに笑いを求め視聴者受けの良い番組を作る気が無いとしか思えません。その象徴が「ご意見番」こと、ハマコーでしょう。何かにつけ怒鳴り、かと言ってよくよくその話を聞いてみると支離滅裂な考えですし、質問に対する答えを求められた場合であっても答えは筋違いですし、困った時には「バカヤロー」の連発です。お前は吉田茂かっての…。ひたすらに感情論に走るハマコーの姿は滑稽を通り越して、最早哀れみを感じさせます。苦し紛れに細かい数字を羅列してみても、数字達を支える理念が全く見えません。番組側が用意した質問に政治家が答えるコーナーもありましたが、何千万と言う視聴者がいる番組で、有権者に耳障りの悪い事を言える訳がありません。さらに、今日の番組では質問に答える都度、会場の客の支持率を計測していました。これでは益々ポピュリズムに陥る危険性が大きくなります。勿論有権者にとって意味も無く難解な政治が良いとは思いません。ただ、だからと言って分かり易く、且つ面白ければ良いと言う訳でもないでしょう。特に、農耕民族特有の「皆が右向きゃ俺も右」的な集団心理が強く働く我が国の国民性を鑑みれば、軽率なポピュリズム衆愚政治に堕する危険性を孕んでいる事は、容易に理解出来ます。本来であれば、かかるポピュリズムを監視し安易な人気取り政治屋が闊歩しない、出来ない状態の作出に貢献すべきテレビ局・言論機関が、率先してワイドショー政治を推進しているのが、現状です。テレビ局の商業主義・視聴率至上主義もここに極まれり、と言った所でしょう。

政治は受けたモノ勝ちですか?

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はいどうも、ブログのサイトリニューアル完了を今か今かと待っていると、度重なる完了延期にちょっと納得行かないものを感じ、遂に責任者に抗議のメールをした所、その日のうちに丁重な謝罪の返信が来たので、忙しい所に邪魔しちゃって悪かったかなぁ、と反省していたのに、いつまでたってもログインすら出来ない状況に、再び納得の行かない日々を悶々と過ごす羽目になった、使用上の注意です。
いやほんと、ドリコムブログ関係者各位には、労わりの気持ちを奉げると同時に、もう少し手際の良いサイト運営を希求しまつ…。

と言う訳で今日は久し振りの更新です。(ま、このブログの更新を心待ちにしてくれる暇な奇特な方は国の特別天然記念物に指定されても可笑しく無い程希少ですがね…)

つい先日、第二次小泉改造内閣が発足しました(詳細は各社の報道を、朝日新聞読売新聞産経新聞毎日新聞)まぁ大体の新聞社は今回の内閣改造について、否定的な見方をとっています。特に民間人の閣僚がいない点、女性閣僚が減った点、森派の閣僚が増加した点等を批判の対象としているようです。中でも毎日新聞大阪版の社会面(マイニチインタラクティブでは発見出来ず)には、市民の声として各地の国民の感想を掲載していますが、上述の三点を三人の市民の声として批判させています。
「今迄は民間人閣僚がいたから政治を身近に感じる事が出来たのに、今回の改造で民間人が一人もいなく、さらに政治が遠く感じた」や、「小泉さんはどんどん民意から遠く離れて行っている」等と「市民」さんは述べていらっしゃいます。まるで政治は身近な存在である方が良い、とでも言わんばかりの報道姿勢です。

はっきり言わせてもらえれば、「大臣は民間人である方が良い」のでしょうか?これまでの民間人閣僚に対しては親近感を持てたのでしょうか?正直、使用上の注意は民間出身閣僚のお陰で政治を身近に感じられた事は、絶無です。そもそも政治は、一庶民にとって身近な存在ではないはずです。一庶民の限られた見識・視座・思想では、天下国家を大局的に観察・運営する事が困難であるからこそ、国民の代表たる代議士に主権を仮託しているのが、代表民主制でしょうに(憲法前文)。また、国民から預託された主権を行使するのですから、責任の所在を明確にしておく必要があります。その為、選挙と言う国民審査を設け、民意を得られなければ落選と言う形で責任を負担するのです。ですから、国政運営について明確に責任を負担し得る代議士が、閣僚の過半数を占める事が要求されているのではないしょうか(憲法68条1項)。自民党の所謂「抵抗勢力」からも、「民間人では責任を取れない」と言った批判が聞こえてきます(まぁ彼らの場合は自分たちに都合の悪い大臣を辞めさせたいだけでしょうけども…)。民間の優秀な人材を登用するのも確かに硬直化した政治を柔軟にしてくれるでしょうし、大原則を大上段から振りかざす気は毛頭ありませんが、兎角「民間出身大臣が良い」とする風潮は如何なものかと思います。
まぁ兎に角、「嫌なら次の選挙で自民党に投票するな」と言う事です。
付け加えるなら、「市民の声程うそ臭い響きはないネ」ですな。

追記:今回の小泉改造内閣に対する新聞各社の報道姿勢に対して、批判的な意見を述べさせて頂きましたが、だからと言ってこの改造人事について賛成している訳ではない事を追記させて頂きます。小泉総理は、派閥解体等と勇ましい事を仰ってますが、今回の改造を見る限り、出身派閥の森派優遇敵対派閥の旧橋本派冷遇の構図がはっきりと浮かび上がってきますし、副大臣・政務官人事ではより明確に派閥力学が看取し得ます。しかも総理は「適材適所」を自負していらっしゃってるみたいですが、介護福祉政策に明るい南野氏を法務大臣に起用したり、先の選挙で落選した盟友・山崎氏を「特命事項」担当首相補佐官に任命したりと、非常に分かり難い適材適所」であります。

まぁこの内閣の評価はこれからの政策立案・実行の過程・結果を見てから判断すべきですけどね。

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はいどうも、今日も爽やかに、且つ豪快に爆音で軍歌を流していた所、いきなりバケツをひっくり返したかの様な大雨が降り出し、ついでに耳を劈く轟音を立ててが落ちて来たので、蛸足配線してる安物タップ雷ガードに、一抹の不安を抱えながらタイピングをしている、使用上の注意です。
いやぁほんと、人智を遥かに超えた大自然の脅威って奴ですよ。すぐ近くに落ちたみたいで、ほんと腹に響く大音響でした…。

さて、硬いネタばっかりだと以前からの読者存在は未確認)が離れ兼ねないので、たまにはゆる?いネタをうpしてみましょう。

さて皆さん、所得税法に言う、扶養控除の制度をご存知でしょうか?被課税者に配偶者等の傍系親族や、嫡出子や両親等の直系尊・卑属、果ては里子等の非親族等、扶養している人間がいる場合に、一定の要件の元、課税標準金額の控除を認める制度です。

さて問題です。
被課税者甲は、直系尊属を扶養しています。また、被課税者乙は、里子として、血族でも姻族でもない者を扶養しています。
この時、甲乙両者に認められる控除額は、どちらが大きいでしょうか?
※両者とも青色事業専従者として給与の支払いを受け、又は青色事業専従者ではないものとし、被扶養者の年間総収入は38万円以下である、とします。

正解は、に対しては控除額58万円が、に対しては控除額が38万円が其々認められます。

ここで一言、

赤の他人を扶養してる人の方が多く控除されても良いんでない?

と言うか、己の尊属を扶養するのは人として当たり前の事、それに対して赤の他人を扶養するって結構立派な事やん?やのに赤の他人を扶養してる方が控除額が少ないなんて…。何か可笑しい気がするのは使用上の注意だけでしょうか?

だけですかそうですか…。

Special Thanks to みもっさん

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はいどうも、この所ほぼ毎日の様に硬いネタを更新していたら、普段使わない脳味噌を使ったせいか、発熱してしまい、これって知恵熱?等と下らない事を考えながら自分のブログを読み返し、相変わらず滅茶苦茶な文章やなぁ…、と反省している、使用上の注意です。
どんなに頑張っても万人を納得させ得るだけの論理性や、学問的正確性欠けたものが仕上がるんですよねぇ…。この辺が自分の限界か?(泣)

このブログは一旦公開後、訪問者様のご指摘を受けた為、ひとつ大前提を後付けさせて頂きます。それは、「今回の批判・批評の対象は団塊の世代の、さらに左翼の人間である」と言うものです。以下の文章は使用上の注意が「団塊の世代に隠れ潜んでいた左翼」に対して想う事、です。

さて、今日は朝日新聞8月31日付コラム、ポリティカ日本を読んでの想う事、です。「想う事」は批判の為の文章ではなく、自分が触発されて思いを巡らした事をつらつらと述べるだけのものです(新企画

このコラムの要旨は、昨年11月の衆院選に立候補し、小選挙区では落選しながらも、重複立候補していた比例代表で復活当選を果たした55歳の男性を取り上げ団塊の世代ももっと頑張ろう、てなものです。

そもそも、使用上の注意は団塊の世代(左翼)に対して肯定的な感情は持ち合わせておりません。彼らが学生時代に何をしたのか?そしてその後の彼らは若い世代に何を残したのか?その事を勘案すれば、彼らに共感する事は到底出来ません。
造反有理」を合言葉に己等の暴力的行動を正当化し、東大安田講堂事件では数え切れない歴史的文化財を破壊し、薄甘いサヨク思想をばらまいた末、結局は会社に就職し普通の人生を満喫している世代。学生運動に象徴される様に、自分達の権利は声高に主張する割りに、課せられた義務には知らん顔する世代。制度上の偶然にせよ、年金の受け取り逃げ世代。散々年功序列システムで美味い汁を吸い、多額の退職慰労金を手にし、左団扇でのうのうと生きていながら、日本的システムは可笑しい、小泉改革の痛みも仕方がないと、平気の平左で主張する世代。経済的利益にのみ執着し、国家観・人生哲学を蔑ろにしてきた世代。自分達の甘えた価値観を自分の息子・娘に伝え、結果的に社会の混乱・犯罪の低年齢化の一因を形成した世代。子供達を徹底的に甘やかし、我慢を知らない子供・我が儘な子供・自分勝手な子供を作り上げた世代。とにかく思いつくだけでもこれだけの印象を挙げる事が出来ました。
私の親は小学校の教師をやっていますが、団塊の世代の子供たちは話を聞いてみると本当に酷い様です。子供同士の他愛ない喧嘩に親同士が本気になって介入してくる。平日に海外旅行等と言う理由で平気で学校を休ませる癖に、地域の見回り等の学校に対する協力には努力を惜しむ。言葉遣いが乱暴になったのは友達の誰々君のせいだ、親に歯向かう様になったのは友達の誰々君のせいだ、等と筋違いの苦情を怒鳴り込みに来る。
呆れてものが言えないとはまさにこの事であろう。何かにつけ彼らはこう言う、
最近の若い者は…
じゃあ一言言わせてくれ、

「お前らが若い頃は法律・世間に守られながら、警官に人頭大のコンクリ片・火炎瓶を投げ付けてたんじゃねぇのかよ?」

世界同時共産革命なんて言う世間知らずなお題目唱えて、仲間リンチして挙句の果てには猟銃ぶっ放してたんじゃねぇのかよ?」

それでも一言言わして下さい。今の日本の経済的繁栄物質的豊かさを保った暮らし、恵まれた環境を作って頂いたのは事実です。その点については

本当に感謝してます(但し、左翼除く)。有難う御座いました&お疲れ様でした(同じく、左翼除く)。
でももう良いですとっとと引退して下さいね♪(左翼)

画像と本文は一切関係ありません。

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はいどうも、眠い目をこすりつつ、小一時間程掛けて昨日の続きを書き上げ、さぁ画像を選択して更新っと、って思ったらセッションがタイムアウトして、今迄の労作が全て亜空間に吸い込まれてしまい、一気にやる気が対消滅してしまいそうな、使用上の注意です。
殺さば殺せー!(自暴自棄

ドリコムさん…、後生ですからタイムアウトの時間をもっと延ばして下さい…(一生のお願い

さて、昨日の続きです(使用上の注意的には二回目(泣)毎日新聞東論西談について…。

今更言うまでもなく、人間はヒト科の「動物」です。そしてヒトが「動物」である以上、その行動には多かれ少なかれ「本能」が関係してきます。
動物は他者を認識する際に、「本能的」に「自己と同一の種であるか否か」、「自己と同一の共同体に所属しているか否か」、を峻別するそうです。ここで彼(又は彼女)が、対象たる他者を自己とは「完全に異なる種」であると認定すると、動物は本能的に「排除行動」に出るそうです。また、人間が他の人間に対して異種か否かを判断する基準は、外見・言語・思考様式に加えて、その体臭までも基準になるそうです。現代社会では、これらの本能的衝動(異分子の排除)は理性に依って抑制され、また、各種の情報を元に、大分類としての同種と判断するようですが、本能の部分で「排除衝動」を感じる事を完全に抑制する事は不可能だそうです(以上、引用文献失念…すいません(この辺が知的怠慢)

つまり、完全に異なる文化圏・言語圏に居住する人間同士が、真に相互理解」を深め、信頼を醸成する事は、不可能だと言わざるを得ません。従って、大局的に見て単一の文化圏・言語圏に属すると考えうる欧州ならまだしも、完全に異なる文化・言語を内包する日支・日韓に於いては、相手の心情を慮る事は可能であっても、本能的な違和感を無くす事は出来ないと言えるでしょう。
この事からも、この記者が欧州の事例とアジアを同列に論じた手法の危険性が看取されると言い得ます。

また、記者は、日本が近隣諸国の支持を得られないのは、「日本外交の不作為」に原因があるとし、「日本外交の冷たさ」をあげています。では不作為とはどう言う意味でしょうか。大辞林によると、「不作為=自ら進んで積極的な行為をしないこと」とあります。とすると、日本はアジア外交に於いて「自ら進んで積極的な行為をしな」かった事になりますが、果たしてそうでしょうか?
昨年度の実績で、世界第二位のODA拠出を行った日本が、経済支援のみならず、国際協力機構(JICA)を通じた人的支援も行っている日本が、発表の動機や内容の良し悪しはともかく、度重なる反省・謝罪談話(一例として悪名高き(笑)村山談話)を国際社会に対して発してきた日本が、国際社会の秩序ある発展と人類の平和の為の国際機関、国連に対してこれもまた世界第二位の分担金を負担している日本が、一体何故「自ら積極的な行為をし」ていないと言えるのでしょうか?
それ所か、支邦・韓国の再三に渡る不当・不遜・恥知らずな要求・圧力(一例として歴史教科書問題)にも、敗戦国として、敗軍の将として、潔く忍の一字で受け入れてきたではありませんか(要求受け入れの是非はともかく)。それでもまだ「冷たいアジア外交」と仰るつもりですか?
記者の目は節穴ですか?色眼鏡死語)でもかけているのですか?変なバイアスがかかってませんか?一体どこまで自分の生まれ育った祖国を貶めれば気が済むのでしょうか?

自虐≠他国への思いやり

自虐≠贖罪

愛国心≠軍国主義

でしょうに。

毎日新聞には、もう少し歴史的経緯文化的側面バランス感覚ある事実認識に則った記事を期待します。

追記、この記事にはひとつだけ敬意を表します。それは署名記事である点です。氏名を明かして論述する事は、報道機関として非常に責任ある態度だと思います。

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はいどうも、前日は何やらかんやらで午前4時半に就寝した所、今日午前9時過ぎに親に叩き起こされ、アッシーに任ぜられた上、散々こき使われ、漸く帰って「さぁ寝よう」と思っても目が冴えてしまって、脳が寝てても体は起きてる状態に四苦八苦している、使用上の注意です。
いやほんと、早寝早起きしようぜ?俺。体きついっすよ…(自己責任

とまぁ愚痴愚痴ブー垂れていても何も始まらないので、今日は昨日の伏線を効かせたネタをば…(タイトルがさぶいとか言う奴は歯を食いしばって一歩前へ

と言う訳で毎日新聞の九月十九日付けのコラム、「東論西談(記事原文)」について考える所を書き連ねます。

このコラムは、小泉総理が今般の外遊で、国連安保理の常任理事国入りを表明する事について、先の大戦での日本の同盟国、ドイツを引き合いに出し、「ドイツの常任理事国入りを応援するEU諸国は多く、これはドイツが周囲のあらゆる国との友好路線を取り、相互交流・信頼醸成に成功したから」だと述べ、「それに比べて日本は近隣諸国の支持を得られていない。その理由は日本の冷たい近隣外交にあり、原因は日本外交の不作為だ。」とするものであります。

先ず、この記事を書いた記者は歴史の流れを認識した上で文章を書いているのか、甚だ疑問です。そもそも大陸続きの欧州と、海を隔てた日本及び支邦・韓国を同列に並べる事は非常に危うい論理ではないでしょうか。確かにイギリスはドーバー海峡で欧州大陸とは地続きではありません。しかし、ドーバー海峡は「イギリスとフランスとの間にある海峡。イギリス海峡と北海とを結ぶ。幅32キロメートル。(大辞林)」とある通り、日本海とは比べるべくもありません。事実、英仏は過去に百年戦争とも呼称される争いを繰り返してきました。長期間戦闘(少なくとも25年スパン)が行えると言う事は、それだけ物理的・心理的距離が近いと言う事の証左に他なりません。

欧州ではゲルマン民族の大移動やノルマン人(俗に言う海賊)の活動、通商等活発に人・物・文化の交流が行われて来ましたが、日支・日韓の交流は遣隋使遣唐使朝鮮通信使等、数える程しかありません。同じモンゴリアンとは言え、文化的には完全に異なる文化をそれぞれ発展させてきたのは、火を見るよりも明らかです。何世代にも渡って混血を繰り返し、文化的・歴史的共通観念の下、国家すら統合しようとしている欧州諸国と、過去に数度の文化的交流しか持たず、共通の思考様式すら持ち得ない日支・日韓を同列に論じる記者の歴史センスが疑われます

少し長くなったので、以下次回…。
使用上の戯言史上初の分割掲載です。果てさて、ちゃんと完成させられるのでしょうか?今から不安です…。

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はいどうも、最近友人がやってるブログを教えてもらい、彼のブログを参考に読んでみると、議論の精緻さ論理の正確性引用出典の豊富さ知識のバックボーン等々、あらゆる点で自分のブログを遥かに凌駕していた為、自分の浅学さ論理の破綻対立軸の不安定等々、己の至らなさを図らずも見せ付けられ、激しく自信喪失な(いや、まぁ元々自信なんて殆どなかったんですがね…)、使用上の注意です。
いやほんと、彼のブログを読むと如何に己が表層的な議論しか出来てないかを痛感させられます。上っ面だけの薄っぺらい記述に終始してしまっている自分が何とも無価値な存在にすら思えてしまう…。気張って生温いブログ卒業宣言をしてはみたものの、彼の水準にはとてもとても届かない現実に打ちのめされた今日この頃なのであります。

とまぁ、どんどん自虐的になって行く使用上の注意でありますが、現状を悲観した所で何が変わる訳でもなく、自分の文章力・論理組み立て能力が向上するはずもないので、ここは必死に歯を食いしばって前を向きます。兎に角、何とか他人から後ろ指を指されない程度まで文章力を向上させたく、是まで以上に緊張感を持って更新を続けて行く所存であります。

今後とも、ネタ的なブログと社会派ネタ(自称)を織り交ぜて更新して参りますので、論理矛盾引用間違い不正確な記述対立軸の不成立等々、気付いた点はどんどんコメントして下さい。使用上の注意からのお願いでした。

明日はタイトルの伏線が効いてくる、予定…。
乞う御期待!!

tu0pfcl7.BMPはいどうも、ここ最近やばい位にやる気の低下に悩まされ、己がやるべき事、やった方が良い事を悉く棚上げし問題の先送りを続けてしまう典型的日本人、使用上の注意です。
一度聖域なき構造改革を行った方が良いみたいです…。

※今回の更新は、自分でも考えがまとまっていないのに、勢いで書いてしまったので、かなり論理的に無理があります(ええ、自分でも分かってますよ…)。近い内に修正する予定である旨を知って頂いた上でお読み下さい。批判もして下さって結構ですが、その点を配慮下さいますよう、お願いします。

今日は朝日新聞の社説について一言。
今日九月十八日付けの朝日新聞電子版、アサヒ・コムの社説は、■米大統領選――世界との大きな落差、と題したものであります。
その中で、同社は「米大統領選に於いて、ブッシュ陣営の優勢が伝えられる中、ケリー陣営がイラクでの一連のブッシュ陣営の政策を批判する方向へと運動方針を転換した。」と述べ、「米の大学の調査では、欧州の殆どの国家はケリー陣営を支持している。」旨を伝えています。そして、「米大統領選は米国民の大統領を選ぶ選挙である。」と前置きしながらも、欧州諸国に支持されているケリー陣営の方針転換は「米国と世界の関心を近付けるのではないか」として、暗にケリー陣営を支援する文脈を貫いています。

ここで指摘しておきたいのは、同社自身が述べている様に、米大統領選は米国民の大統領を米国民に依って選挙するものである、と言う厳然たる事実です。自分の国の代表者たる元首を選ぶ際、他国の市民が何を思っていようが、使用上の注意に言わせてみれば「だからどうした?」です。

自分の国には自分の国特有の事情があり、同盟国と言えども国益も理念も異なる以上、他国の、しかも移り気な市民の意思に、自国の選挙が左右される現象は、主権の放棄に繋がり兼ねません。そんな危険な圧力を、明示的でないにせよ、肯定する朝日新聞の論調には、到底首肯し得ません。

確かに、国際的な相互依存関係が高度に複雑化している現代社会では、近隣諸国や同盟諸国、果ては敵対関係にある国家との関係をも考慮に入れる必要性が存在する事は、論を俟ちません。当然ですが、有権者が自分なりに国際世論を考慮した上で投票行動に移る事は当然有り得ますし、候補者選択の基準たるものと言い得ます。それは基本的人権として保障され得べきものでしょう。

繰り返しになりますが、私とて、全くこれらの事情を考慮するなとは言いません。
しかし、同社の歴史教科書問題・歴史認識問題・靖国参拝問題・天然資源開発問題その他諸々の、周辺諸国との衝突に於いて、執拗に「アジア諸国の世論」なるものを振りかざし、我が国の主体的な世論形成を歪曲してきた過去を鑑みると、同社がかかる主張をすると、どうしても主権の放棄を目指している様に思えてなりません。(必要以上に日本を貶める姿勢を感じます)

こう言うと、どこか左の方から「偏狭なナショナリズム」だとか言われそうですが、自分の国の事を自分の国の事情(この場合は、自分の国視点に基づく国際情勢分析)に基づいて決めよう、と主張する事のどこが「偏狭なナショナリズム」なのか、私にはさっぱり分かりません。国際社会は国益のぶつかり合いで成立しており、どの国も自国の国益を第一に考え、物事を運ぼうとしています。そう言う国際社会の成立哲学を無視した主張には到底肯んじません。

朝日新聞にはもう少し「常識」を弁えた主張をして頂いものです。

追伸、私自身は反米主義者でもあり、今回のイラク騒動に於ける米国政府のやり方にも、賛成している訳ではありません。と、言うよりか、折角戦後営々として作り上げた国際社会の紛争解決ルールを根底から覆した米国のやり方には、憤激しております。(ま、その件に関してはまた後日、機会があれば…。

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はいどうも、生温いブログ卒業宣言をしたものの、どうもすんなりとは生温いブログからの脱却が成功せず、まぁ時には口直し的なネタもありかと言い訳を自分に言い聞かせている、使用上の注意です。
と言う訳で、今日はちょいと硬派なネタを…。

死刑制度についてのブログを見て、元サッカー日本代表監督付き通訳、フローラン=ダバディさんの発言について私の思った事を…。

死刑問題を考える際には各国の文化・歴史は関係ない」、とダバディ氏は発言していらっしゃるみたいですが、刑罰制度こそ各国の文化・歴史、引いては国民性までをよく表している問題だと、私は思います。
支邦ではその昔竹で出来た切れ味の悪い鋸で手足を切断したり、四肢をそれぞれ馬に引かせて読んで字の如く「八つ裂き」にしたりしていたそうです(だから支邦人が特別に残虐だ、と言いたい訳ではないですよ?)。西洋でも魔女は火炙りにされたそうですし、宗教上の刑罰として十字架に磔された方がいらっしゃいました。

我が国でも武士の尊厳ある死として、切腹・介錯と言う死刑制度が整備されていましたし、そこには人間の誇り・尊厳を最大限尊重したい(武士階級に限った話ではありますが)、と言う我が国の国民性が制度化されていると言えるでしょう。支邦の刑罰には儒教的な精神が表れている様に見えますし、西洋の場合はキリスト教その他の宗教的影響が窺えます。

それらの歴史的事実・文化的側面を一切無視して、逆にそれらの「影響を死刑問題に絡ませる事は一種のナショナリズム」(ダバディ氏)だと断定するのは、歴史を知らない者の世迷言である、と言わざるを得ません。
其々の刑罰の歴史・変遷・制度を鑑みれば、刑罰制度は、各国の歴史・文化・国民性の積み重ねの上に、刑の様式・方法・哲学・理念が成り立っていると解し得ます。

重ねて、ダバディ氏は「現在国際社会で必要とされるのは、国籍・国家・国境を考えずに、人間として共通の生きるルールを考える事だ」、とおっしゃいますが、私に言わせてみればそんな事は理想論であり、実現不可能な机上の空論に過ぎません。人間が感情の生き物である限り、自己の所属するコミュニティ以外の人間に対して同族意識なり、共同体意識を持つ事は不可能でしょう。

何故なら人間の感情は、自己が関係する他者に対して形成されるものであり、その関係性が及ぶ範囲の人間に対してのみ、各種の感情を抱く事が出来ると言えるからです。全く無関係な他人に対して、自分が関係する人間に対して抱くのと同等の感情を抱けますか?逆に、高度に情報化され、人・物・情報が瞬時に行き交う現代社会では、己が依って立つべき共同体の存在が、生活する上でより大きな意味を持つ様になるのではないでしょうか?人間は動物であり、動物であるか為に、帰属意識を持つものであるからです。

そして人間の帰属意識は、依然として地球全体を共同体として意識出来る程、その射程を広げてはいませんし、また、そこまで広げる事は不可能でしょう。交通手段が発達し、これだけ国家・国境が曖昧になった現在でさえ、宗教・人種・思想・信条その他の相違点に起因する、戦争・紛争が多発している事が良い傍証です。

まぁだらだらと長く書いてしまいましたが、ダバディ氏の発言には全面的に不同意である事を言いたかっただけです(ヲイ…
そしてこんな時代だからこそ、自分の所属する社会・共同体・国家の意識を強く持って、己のアイデンティティを確立すべきなのではないか、と思う使用上の注意なのでした。

追伸:ネタを提供して頂いた「ダメなものはダメ」のだっしーさん、本当に有難う。

vgxb0x7k.BMPはいどうも、最近色々と立て込んでまして、かなりの寝不足に陥っている、使用上の注意です(前フリ端折り過ぎ)

さて、2004年09月16日付けの朝日新聞電子版、アサヒ・コムで、気になる記事を見つけました。その記事は、大東亜戦争終結後、日本におられた在日朝鮮人の為に展開された、通称「帰還事業」に日本政府及び外務省・日本赤十字の積極的関与があった、と伝えるものです。(記事はコチラ

確かに日本当局の積極的関与の存在が事実であるならば、単なる事実の報道に過ぎず、朝日新聞の標榜する「客観報道」の枠をはみ出したものではありませんし、かかる関与が実際にあったであろう事は国際赤十字の文書公開から明らかです。ここで私が問題にしたいのは、日本政府の積極的関与の有無ではなく、朝日新聞の報道姿勢なのです。

彼らが当時、如何なる報道を行って来たのかは、縮刷版その他で確認出来ますが、大新聞社の持つ社会的影響力を知ってか知らずか、朝鮮民主主義人民共和国を「地上の楽園」と形容し、多数の在日朝鮮人を「欺網」せしめ、「」に「帰還」する決意を抱かせたのは、どこの新聞社でしたっけ?

政府及び国家権力が帰還事業に「積極的に」関与していた、政府だって間違ってたんだ、だから我が社が間違えるのだって仕方がないのだ、と言わんばかりの記事には、心底呆れます(穿った見方かも知れませんが…)。

そしてこの記事は、国際赤十字に文書の公開を申請した大学教授の弁として、「日本政府や日赤にも、帰還事業について説明責任がある」と語っている。」と紹介し、文章を結んでいます。朝日新聞は、頻繁に学者や知識人、自称進歩的文化人にコメントを求め、彼らの発言に自社の主張を織り込む手法を多用していらっしゃるのを目にします。

この手法自体、報道する者の姿勢として頂けないものですが、今回はさらに自社の「説明責任」を棚上げした上で、政府に説明責任の履行を求めている点に、違和感を感じずにはいられません。朝日新聞が、帰還事業に対する報道姿勢の点検・検討をし、その結果を一般国民に広く知らしめる形で説明責任を果たしたのかどうか、私は寡聞にして聞いておりませんがね(いや、まぁ確かに「寡聞」ですけど…)。

せめてこの記事の下に、関連記事としてでも「過去の点検」ページでもリンクさせていれば、朝日新聞は己の過去をもきちんと見詰めています、的なアピールになったのにねぇ…。えぇ、まぁ、使用上の注意も過去には触れて欲しくないですがね…(ヲイ

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