新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2004年12月

はいどうも、パッキャパラパー!おぅ!駄目だ!声が小さい!(って分かる人おるんかね…)、使用上の注意です。

初っ端から分かる人にしか分からないネタを披露してみましたが、詳細が気になった方は面倒なので自力で調べて下さい(超不親切)。ヒントはこのページの左上にある怪しげな画像ですよ(マスク着用で「はてな印」の帽子、耳に素敵な突起物を付けた素敵宇宙人の画像)。

と言う訳で早速今日の戯言、ん?、さくさくさくさくさくさく、すった?っとぅっ!(何だか漫画ネタばっか…)

人と言う生き物は悲しい生き物だ。

突然何を言うのかとお思いかもしれないが、ある意味真理を突いた言葉かも知れない。人は互いに傷付け合い騙し合い罵り合い命を奪い合ったりしている。あまつさえ人は、おのが住処たる地球をも滅ぼす存在ですらある。

そんな悲しい生き物である人が、しかしその弱さ故に、作り上げたもの。それは「都市」。都市は人を惹き付け、そしてその事がまた、人を互いに苦しめ合わさせる。弱さ故に都市を作り上げ、互いに肌を寄せ合うべき場所で互いに傷付け合う人間。

何と愚かでさもしく悲しい生き物であろう…。一人では生きていけない癖に、一人と言う孤独には決して耐えられやしない癖に、常に他者と依存し合っていなければ生命さえ保てない癖に、人は他者を傷付ける

都市とは、そう言う人の弱さを補い癒やす為に作り上げられた。孤独と言う苦痛を少しでも和らげる為に、作り上げられた。しかし、人が集まるからこそ、人は相互に苦しめる。何と言う二律背反であろうか…。

私はこの事を考えると、身悶えする程の悲しさに襲われる。そしてどう仕様もない切なさに襲われる。余りにも強く、そして余りにも弱い人間。弱さを補う為の、新たな闘争の場所、都市。街とは一体何なの為に存在するのか、その答えは誰にも分からない。

そんな都市に掲げられた一葉の看板を、ある日私は見た。


























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強姦多発っておい!

周囲は人と車がひっきりなしに行き交っている。近くにはオフィスビルが林立し、公共施設も多々ある。そんな場所で強姦多発とは、





















嗚呼、愚かなる人間よ!
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世も末だ…

はいどうも、今日も今日とて自分で設定した就寝限界時刻(=この時間までには絶対寝るぞ!と決めた時間)を過ぎ、いつまで経っても規則正しい生活は愚か、人間としての生活すら覚束無い駄目男、使用上の注意です(泣)。

小中高校時代多少人より遅刻が多かったものの、概ね規則正しく昼型の生活をしていたのが、今となってはその過去自体、自分7大不思議のひとつであります。え?何々?7大不思議の他の不思議も教えろ?

黙秘します(キッパリ)

思い付きで7大不思議」とか言ってるんじゃありません。他の不思議をここで公表すると、私の現実世界での品位が著しく貶められるので、完黙業界用語で何にも話さない事)させて頂きます。悪しからず

さて、そう言う事で、心の底から早く寝たい使用上の注意(なら早く寝ろ)がお送りする本日の戯言は、「創価学会、これ如何に?」である。と言ってはみたが、この団体に関しては正直あまり書きたくないのが、私の偽らざる本音である。

宗教と言うのは非常にデリケートな問題であるし、末端の信者達に悪い人はあまりいないものでもある。それでも敢えて今日、この「創価学会」を取り上げ、批判しようと思ったのは、単にネタ不足タブーを恐れてはより良い日本は作れない!との崇高な理念が私を突き動かしたからである。

毎度の事ながら前フリとして言い訳を述べておくが、私は創価学会の信者個人を攻撃する気は毛頭ない。飽くまでも宗教法人としての創価学会そのものと、学会から全面的支援・支配を受ける政党としての公明党を攻撃しようとしているだけである。

その事を前提にした上で、以下本文。先ず、自称「進歩的文化人」達が大好きな反米国家フランスでは、この宗教団体は「反社会的な言質、権力への干渉、非合法な経済活動」等が理由で、「カルト教団指定」を受けている事実を摘示しておきたい。

何だかどこかで聞いた様な理由だと思わないだろうか?そう、団体規制法に基づいて依然として公安調査庁の観察下に置かれている「アーレフ(旧オウム真理教)」の特徴に、非常によく似ているのだ。

まぁ「アーレフ(旧オウム真理教)と似ているから危険だ」等と言うつもりはないが、自由・平等・博愛をお題目に掲げる”あの”フランスが、危険な宗教団体として認定している事実を鑑みると、何をか況や、である。

さらに、創価学会と公明党の関係について回るのが、政教分離原則問題憲法20条1項・同条3項)であろう。政教分離と言えば、国家(政治)と宗教団体(宗教)は分離されているべきだ、と解釈する人が多いが、その解釈は正確ではない

政教分離原則をその成り立ちから考慮し、厳密に解釈するならば、「国家は特定の宗教・宗派に対して便宜を図ったり、或いは逆に図らなかったりしてはならない」と言うべきであり、必ずしも「政治と宗教の分離だけを言うのではない

一言でこの原則を表現するならば、「国家は宗教・宗派の差別的取り扱いをしてはならない」とでもなろう。この考え方から行くと、創価学会が宗教法人として特定の政党を支持し、又は支援する行為自体に、何ら問題はない

しかし、池田大作名誉会長はかつてこんな発言をしている。「警察だって、動かしているのは竹入・井上(※公明党員)だよ。」「創価学会批判の本が出るというので、私が田中さん(※角栄 当時自民党幹事長)に頼んで仲介に動いてもらった」「佐藤さん(※栄作 当時総理大臣)は、関係者の証人喚問要求に、のらりくらりと時間かせぎをしてくれた。国会の委員会採決も先送りしてくれるなど、いろいろ配慮してくれた」etc…(※引用者註&引用サイト)。

これでも創価学会は「政教分離原則に違反していない」と言うのであろうか。と言うか、池田氏自身が「こう言うと、また政教一致と言われるけどね。教義を実現するためには、政治の力が必要です。そういう目的で公明党を作ったのだから。それは変わらないですよ。」と言っている。

…。

…。

ん?待てよ
























Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)エッ?!
おもっきり違憲やんけ!!


ってこたぁ何だ?創価学会と公明党は真っ正面から憲法に反し違憲・無効なのに堂々と活動してるって事か?常日頃「憲法を護れ!」と叫んでいるヒステリーオバハン集団真面目な政党社民党の皆さん、
























今すぐ
公明党に噛み付け!

以下続く…。

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はいどうも、現実生活では大阪の梅田にあるスカイビル頻繁に行く生活をし、そこにある日本最大級のクリスマスツリーをわざわざ消灯後に写メールし、恋人持ちの友人に送りつける嫌がらせユーモアがマイブームの、使用上の注意です(ハハハのハー)。

クリスマス?異教徒の創始者死んだ日だろうが復活した日だろうが、俺には関係ねー。つか、一億五千八百二十五万飛び三百十四歩譲ってキリスト教徒だとしても、聖なる夜を










性なる夜にすんなやこのバカップル

と言いたいのです。僻んでなんかいません絶対僻んでません。死んでも僻みません。欲しがりません勝つまでは、ですよ。私が勝った暁には、大手を振って欲しがる事にします。「おい、そこのバカップルどうやったら勝てるんですか?滝涙

さて、と言う訳で僻みモード全開で(結局僻んでる男)幕を開けた本日の戯言は、「男と女」である。使用上の注意こと私は、バイトで大阪のとある結婚式場の駐車場で働いている。そこでは毎週の様に色々な「男と女」が新たな人生の門出を祝う姿が見られる。

出席者も羨む美男美女の新婚さんもいれば、明らかに「おめぇそれ中に何かいんだろ?」的な腹を抱えた新婦もいる。こう言う「物事の順序」をどこか誤っているカップルの場合、心なしか新郎の表情が冴えていないのが気になる所ではある。

そんなこんなで私は毎週土日ほぼ一年半に渡って一日平均6?10組の新婚さんを車の陰から見送り、延べ400組程の「男と女」が旅立つ様を見てきた事になる。こうやって改めて計算すると、数の多さに自分でも驚きを隠せない

中でも印象に残っている「男と女」は、上田さん仮名、♂)と高木さん仮名、♀)である。と言うか、彼等程印象に残る「男と女」は、私がこのバイトをしていようがいまいが恐らく皆無であろう。それ程までに彼等の生き様は私の心の奥深くに刻まれている

だって、
























結婚式当日に新婦(高木さん)が来なかったんだもん♪

上田さん仮名)、あなたのあの魂を抜かれた様な顔、今でも鮮明に覚えています。と言うか、忘れたくても忘れられません…(泣)。人間って、本気で絶望したら、あんな顔になるんですね♪とても勉強になりましたよ。

あの後も大変でしたね、上田さん仮名)。出席者に申し訳なさそうに事情を説明して回るあなたのご両親の背中面白過ぎて哀れ過ぎて直視できませんでした。だって、家族ぐるみで七年間も付き合ってたんですもんね。親御さんの心痛、察するに余りあるものがありますよね♪

式の当日に花嫁がこないなんて、映画かドラマでしか見れないと思ってました。それがまさか自分の眼前で繰り広げられるとは、とても面白いもの珍しいものを見させてもらいました。本当に有り難う御座いました。あれから無事立ち直れたんでしょうか。それだけが気掛かりです(いやマジで)。

上田さん仮名)、人生生きてさえいれば多分)何か良い事ありますって!お気を落とさず、過去は忘れて、前を向いて、頑張って下さいね?兎に角「前向きに!」がキーワードですよ!だって、


















後ろ見たらつら過ぎて死にそうですもん♪


いやぁ、「男と女」って、本当に面白い不思議な関係ですよね。俺も気ぃ付けよっと、冗談抜きで(冷や汗)
スペシャルサンクス→式場の社員のおばちゃんチクリ屋情報提供

はいどうも、
































中国3000年の歴史」だぁ?!
現在の「中国」を意味する漢民族の国家なんて、高々92年しか続いてねぇよ!


使用上の注意です。日本の様に、ほぼ一貫して同一の民族が支配・統治した国ならまだしも歴史の断続性と言う点に於いて他に右に出る国がない様な地域を捕まえて、3000年やら4000年、事もあろうに5000年はないだろう。

どうしても「3000年の歴史」と言いたいのなら、
































「ユーラシア大陸東岸3000年の歴史」

とでも言って下さい。以上、何となく沸々と湧いてきた怒りどこにぶつけて良いか分からず、事もあろうか全世界の不特定多数の皆々様にぶつけてしまった浅はか男、使用上の注意でした。

はいどうも、訪問者様が増えた時は小躍りして喜び、逆に激減した時は日本海溝よりも深く落ち込む人間嫌いの寂しがり屋、使用上の注意です。

最近は一日平均60HIT近辺をうろちょろしていますが、何とか平均3桁HITを達成出来る様に、これからも己の発言に無責任に責任を持ってやって行こうと考えております、多分ね頑張るよ、僕

と言う訳で本日の戯言は時間もあまりないのでサクーっと更新してとっとと寝ます

朝日新聞電子版12月9日付けの記事に「調査船活動は「公海で正常な調査」 中国外務省表明」との記事がありました。何を考えているのか、またもや支那が厚顔無恥にも程がある振る舞いをしています。

そしてそれを受けた日本政府は、「海洋調査船巡り、中国公使に抗議 外務省」(朝日新聞同日付記事)とある様に、日朝協議大車輪の活躍を見せている藪中アジア大洋州局長が支那公使を呼びつけ、抗議をしました。

と思ったら何と、「中国の海洋調査船、沖ノ鳥島沖で海洋調査 海自機が確認」(朝日新聞12月10日付け記事)と、抗議した舌の根も乾かないうちに36回目のEEZ侵犯行為が報道されました。
























Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)エッ?!
喧嘩売ってる?


と思ったのは私だけでしょうか?支那側は、沖ノ鳥島は国際法上EEZを設定出来ない」だと主張している様です。確かに見ようによっては沖ノ鳥島は「岩」と見えなくもありません。何せ満潮時には「二つのキングサイズベッドの大きさしかない岩」(毎日新聞11月27日付け記事)ですし。
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しかし、沖ノ鳥島が「岩」なのか「島」なのかは措くとしても、「島」であると主張する国家が存在する限り、一応はその主張する国家に対しての配慮を見せるのが、礼儀ある外交姿勢ではないでしょうか。

外交は自国の国益を前面に押し出して展開するものだ、との意見もありますが、今回に限らずこれまでの支那の、「自国の国益のみ」を何かにつけてごり押しするだけの外交では、相手側の譲歩を引き出す余地もありません。と言うか、

























勝手ばっか抜かしてんじゃねぇよ
( ゚Д゚)ヴォケ!!


てめぇらの主張ばっか通ると思ったら大間違いだ馬鹿野郎!いつまでも冊封時代の夢見てんじゃねぇよこの傲岸不遜の傍若無人!

靖国問題では「支那人民の感情に配慮してくれ」だの言う癖に、こっちに対する配慮は無しかよ?こるぁ!原潜問題でも東シナ海の油田問題でも、己が都合悪くなればだんまり決め込みやがってこんボケ!っざけんな(#゚Д゚) ゴルァ!!

おっと、眠気の所為でつい本音が…。

と、とにかくですなぁ、支那にはもう少し「自重と遠慮」を覚えて頂きたい。そうやって常に自分勝手な主張ばかり展開していては、否が応でも日本人の中に嫌中感情が醸成され、逆に対日本外交に支障を来すだけですよ?

分かりまちたか?支那ちゃん。

TB先:いかるが様 「★★★ 桜魂 ★★★
atsu様 「沖ノ鳥島は「島」です

はいどうも、ここにきて立憲君主制と民主主義の整合性が分からなくなってしまった法学学士、使用上の注意です(恥泣)。

そうです、そうなんです。そもそも立憲君主制とは、「世襲あるいは選挙制の君主を元首とする君主制をとるが、君主がもつ権力が憲法によって制限されている政体をいう」のですから、何も問題はなかった訳ですよ…(ウィキペディア)。

馬鹿だぁ、俺って…多謝:ぶんだば

さらにウィキペディアで権威を調べた所、「権威:「人を強制し、服従させる力」のこと」とあったので、「あれ?天皇に権威を持たせたら国民を「強制し、服従させる力」を与える事になるんでない?それって民主主義を根底から否定するじゃん!」と思った次第であります。

権威」と言う言葉に語弊がある様に感じられたので、他に適当な言葉を探しているのですが、中々見つかりません…。「正当性根拠」とか「日本そのもの」・「家元」と、考えれば考える程何か方向性を間違えてしまうのでありました…。

要するにお前は何を言いたいねん?と聞かれれば、天皇陛下は矢張り「日本国民統合」を表象する存在であり、我が国をひとつにまとめる為に必要不可欠な、えぇっと、何つうか、そのぉ?、つまりぃ、そう、




















「象徴」なのですよ!


ってどっかで聞いた事のある言葉ですな…。ま、良いや細かい事は気にしないのが長生きの秘訣です(ある意味真実)。とにかくですなぁ、天皇制に関しては現在のまま改正する必要はない、と言う事を言いたかった、ようですどうやら父方の祖母に依ると…(ってお前の事だよ)。

とここで、天皇は「元首」なのか?と言う新たな疑問が湧いてくる訳です、これが。ったく、解消しても解消しても次から次に疑問が湧いて来て、めんどくせぇったらありゃしねぇ…。まぁ兎に角、私の本音はさて措き元首なのかどうか?

と言うか、「千と千尋の神隠し」に出て来る湯婆婆と銭婆って






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Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)エッ?!
おすぎとピーコがモデルじゃねぇの?


フハハハハハ、その疑問には気が向けばお答えしようじゃないかぁっ!

す、すいません…出直して来ます…

はいどうも、色々あってやや迷走気味の、使用上の注意です。これだけは言っておきます。皆さん、
















安易な発言は控えましょうね?お前に言われたくはない

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と言う訳で本日の戯言は気分を改めてかる?いネタを更新しようと思います。皆さんは「山伏」と言う存在を御存知でしょうか?サクーっと調べてみると大辞林には「山伏:山野に起き伏しして仏道修行に励む僧」とあります。

まぁ分かり易く言えば奥深い山々に籠もって修行するお坊さんの一種、とでも言えるでしょうか。古くから我が国では「修験道」と呼ばれる宗教が存在し、彼の有名な後醍醐天皇等は修験の力で以て空を自由に飛んだ、そうです。

一口に説明すれば、自然崇拝のアニミズム等の原始宗教から派生し、雄大な自然の営みの中に身を置いて極限まで肉体を酷使し、己の存在を見つめ直す事で悟りを開こうとする宗教と言えるでしょう。

そんな修験道を極めんとするの事を、「山伏」と俗称している訳です。読んで字の如く、「山に伏す」生活をする彼等の修行は、一般人には理解の範疇を超えた度し難い苛烈なもの、らしいのです。逆に言えば、
















そこまでしないと悟りは開けない

と言えるのかも知れません。この高度に、且つ複雑に発展した現代文明社会の下、人知れず峻険な山々に籠もり、ストイックに己を律し、唯ひたすらに修行に励む山伏。人一倍自堕落な生活に甘んじている使用上の注意は、彼等の姿勢に尊敬の念を抱かずにはいられません。

山伏ってスゲェ…

そんなある日、使用上の注意が大阪のキタと呼ばれる繁華街を彷徨っていた時の事。むせ返る様な人混みの中、明らかに異彩を放つ装束に身を包んだ男が一人、歩いているではありませんか…。そう、あの過酷な修行を身上とする山伏が、

大阪のど真ん中を闊歩していたのです!

ある意味かなりレアな光景です。写真でしか見た事のない山伏が、写真と寸分違わぬ姿形で街を練り歩いていたのです!まさに病める現代社会に突如として現れたメシア救世主)。その御姿は神々しさすら漂わせ、雄々しく大地を踏みしめているのです。

直ぐさま興味本位で山伏追跡モードに入った使用上の注意が目にした光景とは?!
























コンビニで立ち読みする山伏…

ってオイっ!

全然ストイックじゃねぇっ!因みに彼が立ち読んでいたのは「週刊新潮」…)その瞬間、使用上の注意が抱いていた山伏に対するイメージが、音を立てて崩れ去ったのは言うまでもありません。もうこうなるとイメージ崩壊は止まりません。暫くするとどこからともなく携帯特有の電子音が…。

「もしもしぃ?」電話を取る山伏























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俺の尊敬の念を返せ…(怒泣)

TB先:obousankana様 「お寺が大好き!

はいどうも、昨日一昨日の戯言を読み返してみると、どう読んでも
















民主主義を否定している

としか解釈出来ない事に気付いた手遅れ男、使用上の注意です(泣)。権力の正当性を天皇に求めてどうすんだよ、俺…。

アハハー、やっぱちゃんと自分の中でまとめてから書かなきゃ駄目だよねー。つい勢いで「憲法ビジョン」なんて書き始めたもんだから、自分の主義・主張の内部ですら整合性を持たせられない羽目になっちゃうんだよねー。ほんと反省しなきゃ駄目だよねー…(自我崩壊寸前)。
















ねー(滝涙)

訪問者様各位にお願い致します。昨日と一昨日の戯言の続きは、もう投げ出したい今後自分の中で考えがまとまってから更新する事に致します。その旨、どうか何卒ご理解頂きます様、重ねてお願い申し上げます…。申し訳ありませんでした
















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超反省&後悔中…

はいどうも、昨日の戯言を読み直してみると、全体的に天皇陛下を頂上に位置付ける国粋主義の方々の主張と大して変わりがない事に気付き、「あれ?俺って極右?」と自分の主義が曖昧になってしまっている、使用上の注意です(泣)

えと、今日は時間の都合で詳論は避けさせて頂きますが、一言だけ言わせて下さい。











私は天皇陛下を権力の頂点に配する政治体制を主張する、

極右主義者ではありませんよ?

語弊があった様なので、改めて天皇制について説明しておきます。私が提唱する天皇制についての憲法ビジョンは、国内の最高権威としての天皇制であり、権力の頂上としての天皇制では決してありません

今はちょっと細かい事を弁明する時間はないので取り急ぎ告知だけ更新させて頂きました。

はいどうも、

















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Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)エッ?!
PSPってピッキングステーションポータブルの略やろ?


使用上の注意です。いやぁ、てっきり全国の窃盗団御用達ピッキングツールを軽量コンパクトにまとめ、携帯性を高めたキットの事だと思ってましたよ。流石はソニーコンピューターエンタテイメント、「良い子と良い大人に」のキャッチフレーズは伊達ではありません

と言う訳で、夕方になって漸く更新した昨日の戯言での宣言通り、本日の戯言は日付変更更新です。先程までは昔好きだったドラマ、マンハッタンラブストーリーを観て一人切なくケラケラ笑っていたのですが、一度スイッチが入ると戯言執筆モードです。

さて、良い加減本題に入らないとブラウザの戻るボタンを連打され兼ねないので、以下本題。いつもいつも某新聞社某国家に対する反論・異論を掲載している「使用上の戯言」であるが、今日は少し趣向を変えてビジョンを語ろうと思う。

当戯言も、いつまでも反対ばかりで、仕舞いには反対の為の反対に陥っている某政党みたいな事にはなりたくはないし、つい先日も、自民党憲法改正素案を一旦は提出したものの、撤回し再度提出の運びとなった事もあり(朝日新聞127日付記事)、時期的にもタイムリーな話題ではなかろうか。

先ず始めにお断りしておくが、私はプロの評論家でも法律学者でも、ましてや憲法の専門家でもない。そんな私がダラダラと書き連ねる憲法論に、議論の精緻さ・憲法史の知識説得的な論理運び等あるはずもない

また、逐条的に憲法を解説・提案するのは非常に面倒くさい私の器では困難なので、ここでは概念的な憲法ビジョンについて述べるに止めたい。前文から始めて最終103条まで逐一改正案を考えていては、いつまで経っても戯言が終わらない

さらに、「イデオロギーの対立の時代は終わった」とは、巷間よく聞かれる言質であるが、私はそうは思わない。人間が人間である以上、他者との価値観・イデオロギーの対立は決して消え去る事はない、と思う。そこで、私は敢えて「イデオロギーありき」の憲法論を展開したい。

しかし、だからと言ってこれらの言い訳に甘え適当な議論をする気は毛頭ない。私は憲法の素人として、そして在野の保守イデオロギストとしての立場を逸脱しない範囲で、一生懸命に「憲法」を考えたい。その辺を頭の片隅に留め置きながら読んで頂きたく思う。

天皇制について

先ず始めに取り上げるべきは矢張り『天皇制』であろう。我が国では古来より天皇を頂上とする統治体制が採られて来たのは紛れもない事実である。我が国の伝統と慣習を保守すべき「保守イデオロギスト」としては、どうしても避けては通れない制度である。

私は天皇制について、現状維持かそれよりも若干元首的な権能を付与するべきだと考える。一部の国粋主義者の間では、天皇を全権力の掌握者として定義する主張もあるが、日本有史始まって以来、天皇が全権力を掌握した時期は飛鳥・奈良・明治時代と、昭和の一時期だけである。

その他の時代では、(異論はあるだろうが)政治の実権は天皇以外の者が握っていた。従って、我が国では天皇は権威」ではあっても「権力」ではない統治形態こそが、保守すべき伝統」ではないかと、考えるのである。

日本人は遙か昔から権力の一極集中を忌避し、集団指導体制に依って国家を運営してきた。勿論、平安遷都を為した桓武天皇や将軍家独裁を目指した足利義満、旧勢力の一掃を図った織田信長等、一部例外的な時代もあったが、結局は収まる所に収まってきたのが事実である。

通史的に日本史を覧れば、我が国では実質的な政治権力が誰の手にあろうとも、形式的な権威は常に天皇家に存していたと言っても過言ではない。つまりは、天皇とは実質的政治権力の正当性を裏付けるお墨付きであると言える。

その点、1945年の敗戦で戦勝国(主にアメリカ)に押し付けられた憲法ではあるが、天皇を「日本国民統合の象徴」とした現憲法の第一条は、我が国の政治形態をよく表現した、中々に優れたものであると評価出来る。

その為私は保守イデオロギストの立場から上記の様に、天皇制に関しては「国民統合の象徴」としての現状維持を提唱するのだ。また、若干の元首的権能と言うのも、単に形式的なものに限る。まさに天皇家は、君臨すれども統治せずを地でいく存在であるべきなのだ。

こう書くと、「立憲君主主義なぞ時代錯誤も甚だしい」だとか、「平等を標榜する民主主義を根底から覆す」だのと批判されそうであるが、私は問いたい。


















民主主義が最高の統治制度だなんて誰が決めた?

と。国家を統べる制度等と言うものは、時代や国家・国民に依って向き不向きがあって然るべきであり、一概に何が良くて何が駄目だと決められる性質のものではない。大切なのは、国家の下に暮らす国民が一番幸福を感じられる制度とは何か?ではないだろうか。

仮に、独裁制度を敷いたとして、その体制下で国民が真に幸福を感じる事が出来るのであれば、私は独裁制をも否定しない。但し、独裁制は権力者の暴走を招き易く、結果として国民に多大な皺寄せが行く可能性が大きい為、その導入は慎重であるべきだ、とは思う。

以下次回。

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