新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2007年03月

はいどうも、






































球春到来

使用上の注意です。

いよいよセ・パ両リーグ、プロ野球が開幕ですね。

まぁパ・リーグは既に開幕していたのですが。

私のご贔屓チーム阪神が所属するセ・リーグが、

昨日開幕したのですよ。

広島に完敗しましたけども。



それは兎も角、本日の戯言は「麗らかに徒然と。」である。

春が来た。

春が来た。

今年もようやく、春が来た。

長かった。

長かった。

今年の冬は、長かった。



凍てつく空気。

突き刺さる風。

白く色づく息。

震える体。

止まる心。



でも、春が来た。



踊る心。

全力でペダルを踏む。

風を切る。

古い自分を引きはがすかの様に、

スピードを上げる。

ヘッドフォンから漏れる音が、

更に心を弾ませる。



街を走る。

人混みを脇目に、

街を走る。

車列を縫って、

街を走る。



軋むスポークも気にしない。

鳴るブレーキも気にしない。

人目さえも気にならない。

走る、疾る、奔る。

迸る気持ちを解放させる。

これまでの自分とは違う、

洗いたてのシーツのような、

真っ白で汚れなき自分が、

新鮮な空気を求めて姿を見せる。



徐々にホワイトアウトする世界。

光が広がり、景色を白く包んでいく。

このままどこまでも走り続けたい。

このままどこまでも飛び続けたい。

このままどこまでもこぎ続けたい。









ふと気付くと、暗い部屋。

何も変わり映えしない、自分の部屋。

暗い、暗い部屋。

のそのそと起き出すと、

酷く寒い。

芯まで冷えいく心。



あぁ、春は遠い。



それじゃ(#゚Д゚)/~~



※注意
どこまでネガティブ?

はいどうも、

最近お気に入りのフレーズは、














































So,Fuck'n what?!

使用上の注意です。

直訳すると、

「だから何だよクソったれ」



それは兎も角。

本日の戯言は「ステキ思考で徒然と。」である。



何を考えていたのか、

何を感じていたのか、

何を喜んでいたのか、

そんな事は関係ない。

今ここに自分がいて、

今ここに自我があり、

今ここに生きている。

ただそれだけで良い。

ただそれだけで満足。

ただそれだけで充分。



何を経験してきたか、

何に傷付いてきたか、

何に悲しんできたか、

そんな事は関係ない。

今そこにキミがいて、

今そこでボクを見て、

今そこに生きている。

ただそれだけで笑う。

ただそれだけで落着。

ただそれだけで最高。



いくら離れていても、

どれだけ断られても、

何回曖昧にされても、

同じ星にいるだけで、

同じ国にいるだけで、

同じ街にいるだけで、

全てが満たされるさ。

キミが流す涙だって、

ボクが全て乾かそう。

キミが負う傷だって、

ボクが全て癒やそう。

キミが寂しくたって、

ボクが全て笑わせる。



だからボクの願いは、

たったひとつなんだ。

この星に生きる事を、

この国に生きる事を、

この街に生きる事を、

許してくれませんか。



それじゃ(#゚Д゚)/~~

※注意

最近やたら病んでる文章が続くが、
別に病んでいる訳ではなく。

ただ芸風を広げている途中だと
思って頂ければ非常に助かる。

はいどうも、






































グレーライフ

使用上の注意です。

その心は、

何事も白黒はっきりしない



という訳で本日の戯言は「久し振りに徒然と。」で。



人生は、いつも想像の斜め上。

人生は、いつもちょっと予想外。

人生は、いつも。



思い通りにならない人生。

思いも寄らない人生。

ままならない人生。

だけどそれが人生。



提案して説得して説明して待機して、落胆。

提案して説得して説明して待機して、落胆。

提案して説得して説明して待機して、落胆。

そして時に、困惑。



進んでいる実感の湧かない毎日。

動いている実感の湧かない毎日。

変わっている実感の湧かない毎日。

日々新たな発見と、新たな結論と、新たな悲嘆と、

新たな創造と、新たな経験と、新たな感慨が生まれる、毎日。

それなのに、精神のルーティン化が止まらない。

“精神の死”。

緩やかな絶滅。



瑞々しい感性を失った心と、

刻一刻と衰え行く肉体が奏でるは

レクイエムか。



最早己の存在意義をすら、鎮めるか。



鎮魂の歌。



深く、静かに、どこまでも、沈む心。

さりとてそこに何かある訳でもなし。

水底は暗く、一筋の光明すら差さぬ。

鉛と化した魂を、サルベージする術もなし。

深く、静かに、どこまでも、沈む魂。



深海の果てに何を見る。

朽ち果てた魂は何を感ずる。

錆にまみれ、蝕まれたコアは何を生む。

次代への架け橋は、ついぞ架かる事なし。

我思う、故に我なし。



仄明るく光る水面を見上げ、

手に入らぬものをこそ求め、

息すら出来ぬ深く静かな自我の海底から、

私は何をクリエイトできるのか。



他者をも巻き込み、

私は何をもたらすのか。

嘆きの悪魔か微笑みの天使か。



世は事もなし。



それじゃ(#゚Д゚)/~~

※注意書き
純粋なるフィクション。
精神を病んで等いないので、ご安心を。

はいどうも、












































妄想大好き

使用上の注意です。

が、“妄想の世界”でも















































BADエンド

どうやら筋金入りのネガティバーみたいです。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、



関係各方面に深くお詫び申し上げますが、



私は元気です

使用上の注意です。

済みませんねぇ、えぇ。

何つーか、

自分が弱る事とか凹む事は

喉元過ぎれば何とやらでケセラセラなんですけれども、

その時に頼る相手がいないという事実に、

キタね(何が?)。



何だろーなー、この感じ。

結構初めてだ。



やっぱそれだけ知らず知らず誰かに頼ってたんだなぁ、と。

今まで気付かない所で誰かに助けて貰ってたんだなぁ、と。

今回はそれが分かっただけでも収穫ですよ、と。

まぁ「気付くの遅ぇ!」とか「若ぇ!」とか、

「ガキかよ!」とか諸々突っ込まれそうですが…。



でもさー、こんな弱った感丸出しの文章を

全世界に向けて公開しちゃって良いものか。

正直ね、「おめぇの下らん愚痴なんぞ読みたかねーんだよ」とか、

「構ってチャンかよ」とか、

「心配して欲しいだけじゃねーか」とか、

「気を引きたいだけなんじゃねーの?」」とか、

そんな感じですよねー。

まさにその通り

仰る通りですよ、全く。



お目汚し済みませんねぇ。



という訳で本日の戯言は「急速浮上してみた。」、

って感じ、みたいな、というか?

つまり、一見ドツボを抜けたかのように見えて、










































依然一人

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

使用上の注意です。

今日はすんなり始めましょう。

たまには、ね。



という訳で本日の戯言は「自分に潜り込んでみた。」である。

思う所を唯徒然と、

文法も文脈も意識しないで、

論理も矛盾も気にしないで、

ただただ筆を走らせてみたい。



自分の泣き声で目が覚めた事がある。

すすり泣き等という生易しい泣き声ではなく、

嗚咽を漏らす等という生半可な泣き声ではなく、

まさに号泣といっても過言ではない、

自分の泣き声で目が覚めた事がある。



誰かから電話が掛かる。

その誰かは悩んでいる。

その誰かは私に相談を持ち掛ける。

延々とその誰かは私に悩みを打ち明ける。

私はその誰かの話を聞き、考え、想像し、共感し、

肯定し、否定し、怒り、嗜め、宥め、応援し、支持する。

いつの間にか夜は更けている。

一通り膿を出し切ったその誰かは満足し、受話器を置く。

何十回と繰り返された光景。

私は他人の悩みを解決出来た満足感に浸りつつ、

同時に一抹の不満を感じる。



誰かの悩みを解決する、誰か。

誰かの悩みを聞いてあげる、誰か。

誰かの不安を和らげてあげる、誰か。

誰かの相談に乗って助けてあげる、誰か。

その誰かを救う誰かは、誰?



ふと気付いた事がある。

私は他人に相談しない人間であるという事だ。

大抵の、というか九割九分まで自己解決してしまう。

今まで私はそんな自分を誇りに思っていたし、

そうやって出来た精神的な余裕で他人の悩みを聞き、

そこで他人を救ってあげられていると思っていた。



ただ、それは自惚れに過ぎなかったかも知れない。

それは過信に過ぎなかったかも知れない。

それは錯誤に過ぎなかったかも知れない。

それは自信過剰に過ぎなかったかも知れない。

知らず知らず私は、他人を傷付けていたのではないか。

相談を持ち掛けてくれた人に、

善かれと思ってかけた助言・言葉が、

その誰かをもっと傷付けていたのではないか。

そんな当たり前の事実を、ある人に指摘された。



その時、泣きそうになった。



今までの己の過ち(それが事実にせよ妄想にせよ)に

気付いた私は、泣きそうになった。

だが、そこで私は泣かなかった。



ところが次の瞬間、私の両眼から大粒の涙がこぼれ落ちた。

と同時に、泣き声を我慢できなくなった。

私は大声で、泣いた。



泣く。



数年振りの経験。



号泣。



数十年振りだった。






なぜ私はここまで号泣したのだろうか。



人は弱った時に、誰かへ相談を持ち掛ける。

人は悩んだ時に、誰かへ相談を持ち掛ける。

人は泣きそうになった時、誰かへ相談を持ち掛ける。

それはつまり、“誰かを頼る”という事だろう。

だけど私はどんな時でも、

誰かを頼った事がなかった(少なくとも精神的には)。

そしていざ自分が本当に弱った時、

誰にも相談できない、

誰にも頼れない事に気付いた。



友人が弱った時、悩んだ時、泣きそうになった時、

私に相談を持ち掛ける事が多かった。

だけど、私は誰を頼っていいのか、分からない。

誰が私を救ってくれるのか、分からない。

誰に相談していいのか、分からない。

本当の自分をさらけ出せる相手が、分からない。



そう思った時、私は号泣した。



自分の本当の弱さを、自分の目で、

自分の肌で、自分の耳で感じてしまった。

正直な話今、私は自分がどうするべきなのか、

皆目見当も付かない。

でも、ひとつだけ分かった事がある。



『人は、一人では生きていけない。』という言葉は、

間違いなく真実だという事である。



それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、




























































もう、












春ですね。


使用上の注意です。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

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