新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2007年08月

はいどうも、

本番の弱さには定評のある

使用上の注意です。

練習では無類の強さを誇りますが。








という訳で本日の戯言は当初予定されていた

越冬燕 ?ある愛の物語?」を変更して、

ノンフィクション風フィクションブログ」。



雨の音で目が覚めた、ような気がした。

波長の合っていないラジオを聴いているんだろうか。

ぼんやりとそんな考えが浮かんでくる。

周りを見渡すと大量に生産された工業製品のような人々が、

皆前を向いてパイプイスに座っていた。

そんな中で一人、下を向いて座っている。

するとまるで自分が規格不適格品の烙印を押されたような、

悔悟とも諦観とも、喜悦ともいえない感情で満たされていく。

このまま人生という出荷ラインから弾かれて、

他の廃棄物と一緒に処理されるんじゃないか。

そこまで考えてやっと、今の自分が置かれた立場を思い出す。

偉い人の話を聞く為に座っているという現状を

もう一度認識しておきながら、またもや僕の意識は徐々に薄れていく。



「ボケを活かすも殺すもツッコミ次第」。

昔から全校集会や朝礼が苦手だった。

大して面白くもない話を大して面白くもない場所で、

大して面白くもない自分が聞かなければならない事。

それが苦痛で仕方がなかった。

だから僕はいつも、校長先生やバイト先の店長に

心の中で突っ込みを入れた。

どんなに出来の悪いボケも、

たった一言のツッコミで生き返る。

お笑いタレントが言っていた言葉だ。

だから私は人の話に突っ込みを入れ、密かに一人で笑う。

彼、または彼女の大して内容のない話に、

笑いという彩りを添える事で僕は、苦痛をやり過ごす。



「人の話を聞かない人間はろくな人間にならない。」

人が人に向かって話をするという事は、

何らかの情報を伝達する事が目的なのであって、

そこには何らかの意味なり意義なりがある。

だからこそ他人の話は聞かなければならないし、

他人が話す内容を租借して自分の血肉とすべきだ。

先生や親はそう言って、僕の不真面目な態度を批難した。

いつしか僕は、他人の話に突っ込む事を控えるようになった。

だけどそれは他人が話した内容に突っ込みを入れ、

その事が原因で大きな失敗をしたから、ではない。

そう、それは昔付き合っていた彼女から、

別れと引き替えに教えられた教訓、だ。



恋愛のフィナーレは、いつの間にか終わっている。

「私の話、聞いてるの?」

いつの日だったか、彼女は怒りながら僕にそう言った。

何度目かさえ覚えていない程多かった喧嘩の、一番最後。

(聞いてなかったらこんな神妙な顔なんてするかよ)

この期に及んでも僕は、彼女のいつもとは違う

金属のような怒気に気付かず、心の中で突っ込む。

そして、如何に僕が悪いのかを切々と訴える

彼女の姿を眺めているだけの僕を見て、

彼女の中で最後に残っていた温もりが消えた。

僕の悪癖は兎も角、自分自身が彼女を

大切な存在だと考えていたのは間違いない。

だから僕は決意した。

この癖を直そうと。

それが無理なら控えようと。



社会人になると、親切すら自分で招き寄せなければならない。

他人の話を聞かないで失敗をしたとしよう。

やるべき手順を間違えたとか、

注意すべきポイントを見過ごしていたとか、

他人の話を聞かないでいると必ず失敗する。

そこでは「聞いてませんでした」という言い訳が通用しない。

学生であればもう一度聞けば良いだけの話であっても、

社会人は違う。

誰かが一度でも教えてくれたり話してくれたのなら、

それはもう“知っているもの、理解しているもの”として扱われる。

だから、人の話を聞くというスキルは、

実は人が頭で捉えている以上に重要なものだ。

だが、“常に人の話を聞いている”というスタンスを取っていれば、

聞き落としてしまっても許されるケースがある。

何故なら「いつもしっかり聞いている奴なのに珍しいな」とか、

「まぁ人間だからたまにはミスもあるだろうな」といって、

失礼・無礼よりも先に奇異・同情が話者の心に去来するからだ。

つまり、“同じ話をもう一度してもらう”という親切を受けるには、

“私はいつも人の話を聞いています”という

アピールを常日頃実践しなければならない。

社会人は自己責任とよく言われるが、

他人の親切を引き出せるか否かすら、

自己責任という訳だ。



そして物語はループする。

今度はスッキリと意識が戻った。

全身の神経が研ぎ澄まされ、

髪の毛にまで気持ちが張り巡らされる。

僕は一生懸命話者の話に耳を傾ける。

話の中身に突っ込みを入れる事はできるだけ抑えつつ、

全身を使って話を聞く。

正直内容はちっとも面白くないし、

それどころか全く以て自分に関係がない。

それでも一生懸命話を聞いていると、

段々聴覚が鋭敏になってきて周囲の音が聞こえてくる。

誰かがメモを取る音。

誰かが咳払いをする音。

誰かが指を鳴らす音。

そしてエアコンから聞こえてくる風切り音。

(サー)と音を立てながら、

吹き出し口からは冷たい空気が飛び出す。

お陰で会場は適温で保たれている。

退屈な話、適温、昼下がり、食後。

つい先程まで張りつめていた僕の意識が、

あっけなくゆっくりと音もなく、三度遠のいていく。

視界が暗くなる。

世界は暗闇に包まれる。

相変わらずエアコンは冷気を吐き出している。

(サー)という、波長の合っていないラジオのような音を立てながら。



以上。






う?ん、長いな。

ご精読有難う御座いました。

なお、このお話はフィクションです。

現実の人物・団体とは一切関係御座いません。

勿論、「僕」は私じゃないですよ?本当に。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

人生は

お金が全てではなく、

物質的充足が全てでもないし、

恋愛が全てという訳でもないが、
























































そのどれもが
必要だ


使用上の注意です。

金だ金だ金だ!

金持ってこい!!








という訳で本日の戯言は当初予定されていた

ゴジラv.s.近所の中華屋で働いてる無愛想な店員」を

変更して、「職場恋愛を考える。」。



だがその前に先ず、断っておく。

別に私が社内恋愛で悩んでいる訳ではない。

全く以て関係ない。



さて、某アンケート調査に依れば若手社会人は男性の凡そ60%、

女性でも凡そ45%が社内恋愛に肯定的な考えを持っている、らしい。

積極的に社内恋愛をしたい層と、

場合によっては社内恋愛も受け入れる層の割合は判然としないが、

大雑把にいえば半数が肯定的だといえるだろう。



またとある研究によると、

物理的な距離は心理的な距離に影響を及ぼす、らしい。

つまり、物理的な距離が近ければ近い程、

心理的な距離が近付くという事だ。



成る程、会社というある種閉鎖的で限られた関係性の下で頻繁に、

場合によっては毎日顔を合わせていれば距離も近付くであろう。

前述のアンケート調査を見れば、

その研究結果にもある程度の信頼を与える事ができる。



しかし、しかしである。

果たして本当に“物理的な距離は心理的な距離に影響を与える”のか。

そして同僚としてある一定以上の頻度で顔を合わせていれば

恋愛関係になり易いといえるのか。

私には甚だ疑問である。

これは統計だとかアンケートだとか、

研究だとかいう学問的・科学的アプローチで

解決できる種類の問題ではないのではないかと、

私などは思うのだ。



仮に上述の疑問が、

何れも「Yes」だとしよう。

それならば何故、

















































あの子は僕に
振り向いて
くれないのか


納得の行く説明を、

いや、何でもありません。



社内恋愛?

何ですかソレ?

美味しいんですか?



恋人と二人っきりで残業?

正直仕事がはかどりません。



会社終わりに二人っきりで晩ご飯?

そんなお金はありません。



Never 社内恋愛!
Fuck'n 社内恋愛!
No more 社内恋愛!




最後にもう一度お断りしておくが、

私は社内恋愛に断固反対する。

べ、別に、羨ましくなんてないんだから。

゚д゚)、ペッ

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

気付けばブログエントリ数の

月間更新記録を更新していた

使用上の注意です。

何故突然こんなに更新記事が増えたのか。

それは、

























































弊社の役員に
聞いてくれ


スペシャルサンクス GJ。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、



人一倍の

































寂しん坊

使用上の注意です。

いや、マジで。








という訳で本日の戯言は当初予定されていた

交差点を歩いていたら靴下が。」を変更して、

快適をプロデュース。」。



そもそも、“快適”って何だ?と。

漢字の意味からすると“快くて適した”という意味だが、

その具体的な中身は時代と人と状況と場合によって異なる。

これまでの“快適な暮らし”といえば、

ステロタイプとの批判もあるだろうが、

「広くて設備の整った家」での生活が挙げられる、と思う。

しかし時代は変わり、

今や一億総火の玉中流である。

ある程度の広さと設備を持った家は、

一面として“普通”と言わざるを得ない。



そんな状況下にあるこれからの時代、

新しい“快適”を模索すべきではないのか、と。

物質的な豊かさの時代は終わりを告げ、

これからは『精神的資産』の時代なのではないか、と。



そこで私は提案したい。

今の社会、そしてこれからの社会に必要な“快適”とは、

寂しくない社会

を指すべきなのだと。



人口が増え、他者との接点が増えた現代社会。

しかしその実人と人の繋がりは薄れ、

地域コミュニティは既に緊急事態にしか必要とされていない。

それだけに、集団の中での孤立が進行しているのだ。

ならばこそ、街という本来孤立の対極に位置する空間に居住しながら、

言い様のない孤独感を抱える人間の虚無感を充足する事こそ、

新たな時代の“快適”なのだと、いうのである。



つまり、これからの時代にあるべき商品・サービスとは、

人と人との繋がりをプロデュースするモノであって然るべきなのだ。



具体的にどんな商品・サービスなのか。

そのヒントは来月27日から名古屋で開催される

メッセナゴヤ2007』にある、かも知れない、多分、きっと。



だってほら、このキャラクターからして癒やされるってもんだ。

それに、国内外の370を超える企業が、

“新時代の快適”を提案してくれているらしい。

1社位は、現代人の寂寞としたハートを暖めてくれるだろう。

私はそう願いたい(勝手に)。



とにかく、だ。

繰り返し主張する。

これからの社会に必要な“快適”とは、

寂しさを埋める何か』なのだと思う。

だから、誰か私に、





















































コンパを
セッティング
してくれ


取り敢えず寂しさを紛らわすためにも、

そして私の心の隙間を埋めるためにも、

喪黒腹蔵を呼ぼうメッセナゴヤ2007』へ

足を運んでみようかと思う今日この頃であった。






あ、一緒に行く人いねぇや…。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

( ゚Д゚)ネムヒー

使用上の注意です。

済みません。

というか、人待ちです。

かなり、人待ちです。

なかなか来ません。

今年のおみくじでは、

「待ち人:来る。楽しみに待ちなさい」

と書いてあったのに、全く来ません。

そして全く楽しみでもありません。

これはどうした事だ。



そして、私が本当に待っている人は、

来ない事が確定しました。

全く、どうなってるんだ。



人生が、
思い通りになると思ったら、
大間違い。


今日の教訓です。

なんだこれ。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

アンチ首都派

使用上の注意です。

いや、特に他意はございません。

何となくです。








という訳で本日の戯言は当初予定されていた

ゴジラv.s.ASIMO」を変更して、

ゲーム内広告を考える。」。



先日こんな記事を発見した。

 以下引用
↓↓↓↓↓↓

「ゲーム内広告は効果あり――米調査」

 米Microsoftの子会社でビデオゲーム広告ネットワークのMassiveは8月8日、ゲーム中に表示する広告の影響に関する調査結果を公開した。調査は調査会社Nielsen Entertainmentが担当している。

 調査は北米在住のゲーマー600人以上を集め、2つのグループに分ける形式で行われた。両グループともにElectronic Artsのカーレースゲーム「Need for Speed Carbon」をXbox 360でプレイしてもらい、一方のグループは単にゲームをするだけ、もう一方のグループにはプレイ中にMassiveが提供する広告を表示した。その後で、両グループに対し広告とブランドに関する同一の質問を行い、回答の違いを比較したという。

 その結果、広告を見たグループでは、見ていないグループと比べてブランドの認知度が平均64%上昇し、ブランド評価は平均37%アップ、購入を検討する率は41%増となった。


↑↑↑↑↑↑
 以上引用

詳細はリンク先の記事をご覧頂くとして、

簡単に結論を言うと「ゲーム内広告は効果が高い」という事だ。



そもそも、これまでの広告といえば

不特定多数の一般消費者に対して露出を繰り返し、

深層意識下にブランドイメージを刷り込ませた上で、

購買行動へと導くものであった。

これを“マス広告”としよう。



しかし、ゲーム内広告は決して“マス”が対象ではない。

該当するゲームを購入した人だけが、広告の対象である。

ゲームによっては100万人以上がその対象なのだが、

これまでのマス広告に比べれば微々たるものである。

とはいえ、カーレースのゲームを買う人に

車が嫌いな人はいない。

が、世の中には車の嫌いな消費者が一定数存在している。

マス広告は、対象者の属性・嗜好を無視してしまうが、

ゲーム内広告はそれがない。

これを“ターゲッティング広告”と呼ぶ。



その上、ゲームという行為はある程度の集中を要する。

マス広告が例えばテレビの“ながら見”で

見過ごされがちなのと比較して、

対象者が集中して画面を注視している方が

ブランディングに於いて有利なのは言うまでもない。

これを“コンセントレイト広告”としよう。



つまり、属性・嗜好に合わせたターゲッティング広告と、

対象者の集中力を活用するコンセントレイト広告、

両者のメリットを併せ持つのが、ゲーム内広告という訳だ。



で、最近巷間を賑わす『セカンドライフ』。

マスコミが報じている程盛り上がってるようには

見えないこのセカンドライフだが、

マーケティングツールとしてもまだまだ不完全な気がする。

何故なら、依然としてターゲッティングが不明確だからだ。

まぁ、現時点でセカンドライフにのめり込んでいるような

アーリーアダプターは、パソコンやネットの世界に興味がある、

または詳しいというターゲッティングが可能ではあるが。

そこはまだまだ市場としての規模が十分ではない。



セカンドライフに欠けているものとは、

結局の所“市場規模”なのかも知れない。

とはいえ、そうなるとマス広告で良いじゃん、となる訳で。

如何に参入コストがマス広告よりも格段に低く抑えられるといっても、

そこに十分な費用対効果が見込めなければ意味がない。



まぁ、マスコミが言う程セカンドライフは効果的な

セールス・ブランディングツールではない、と。

そんな感じの事をたまには真面目に考えてみた。

おぉ、マーケティングブログっぽい!!

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

生まれついての

天の邪鬼

使用上の注意です。

私の辞書に『素直』という言葉はない。








という訳で本日の戯言は当初予定されていた

ON対決 2007」を変更して、

絶対に落ち込まない3つの方法。」。

年間で3万人以上の人間が

自ら命を落とす国、日本。

鬱病の患者が増え続ける国、日本。



借金苦、生活苦、夫婦関係、上下関係、

恋愛関係、ありとあらゆる原因が、

人を狂わせる。



そんな“狂った世の中”へ、

処方箋を出そうじゃないか。

絶対に落ち込まない3つの方法とは、























































1.気にしない
2.こだわらない
3.考えすぎない


以上。

ま、それができれば苦労はしないのだが。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、





















































ただいま

使用上の注意です。

いや?、疲れました。

旅行から日曜の夜に帰って来たのですが、

疲れてしまってそのまま泥のように眠ってしまいました。

そして昨日は仕事をして、

ブログを書く気力もなく。

まぁ、道中記はぼちぼちと。



で、今回の旅は不感症を癒やす旅でもあった訳で。

日常に潜む面白き事に心動かそうと。

いや?、
















































人生って
しょうもねぇ…


駄目じゃん!俺!!

いや、まぁ冗談です。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

タイヤ泣かせて
女泣かすな


使用上の注意です。

ヤンキーかいな。

なんて自分ツッコミ。








という訳で本日の戯言は、

当初予定されていた「南極v.s.北極 時間無制限一本勝負」を

変更して、「不感症。」。



25を超えると人生は、繰り返しが多くなる。

壊れたコンポの様に、

リピートを繰り返す人生。

朝起きて、仕事に行って、仕事して、

昼飯食って、仕事して、帰ってきて、晩飯食って、寝る。

パターン化された、人生。



すると人間の脳は、不感症になる。

何気ない日常生活に潜む、

ちょっとした驚きや感動を見過ごしてしまう。

規則的なリズムを乱す、不協和音とさえ認識してしまう。

だから人は、旅に出る。

退屈で決まり切った日常をぶち壊し、

未知の世界へ人は乗り出していく。
























































行ってきま?す。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、





















































汗疹が
治らない


使用上の注意です。

痒くてたまらんですたい(何故九州弁?)。








という訳で本日の戯言は、当初予定されていた

扇風機と送風機の違いについて」を変更して、

女性に謝りたい事。」。

まぁつまりアレだ、

言い訳と言い逃れと責任転嫁を恥ずかしげもなく、

白日の下に晒してみようという、アレなアレだ。



連絡をしない

連絡を中々取らないのは、

仕事で一杯一杯だから。

メールが来て「後で返そう」と思っていたら、

気付けば深夜の2時。

こんな時間に返事をするのは失礼だから明日返そうと思っていたら、

気付けば1週間経っていた、とか。

あるじゃん?



愛情表現をしない

愛情表現を中々しないのは、

照れ屋さんだから。

面と向かって「好きだよ」とか、

面と向かって「愛してる」とか、

恥ずかしくて顔から髭が生えるよ(当たり前)。

とにかく、恥ずかしさMAXな性格、とか。

あるじゃん?



会話中にリアクションが薄い

会話中にリアクションが薄いのは、

話の内容を分析したり考えたりしてるから。

君の話が意図する所はどこか、

その話を通じて君は何を主張したいのか、

そして君の真意は何なのか、

そんなよしなしごとを考えている訳だ。

決して話を聞いていない訳ではなく、

寧ろ一生懸命聞いているから、とか。

あるじゃん?



浮気性

浮気性なのは、

遺伝子を残そうとしているから。

ってか、
















































ゴメン

いや、別に現時点で特定の誰かに言ってる訳、ではない、念の為。

男なんて、悲しい生き物ですよ。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

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