はいどうも、
本番の弱さには定評のある、
使用上の注意です。
練習では無類の強さを誇りますが。
という訳で本日の戯言は当初予定されていた
「越冬燕 ?ある愛の物語?」を変更して、
「ノンフィクション風フィクションブログ」。
雨の音で目が覚めた、ような気がした。
波長の合っていないラジオを聴いているんだろうか。
ぼんやりとそんな考えが浮かんでくる。
周りを見渡すと大量に生産された工業製品のような人々が、
皆前を向いてパイプイスに座っていた。
そんな中で一人、下を向いて座っている。
するとまるで自分が規格不適格品の烙印を押されたような、
悔悟とも諦観とも、喜悦ともいえない感情で満たされていく。
このまま人生という出荷ラインから弾かれて、
他の廃棄物と一緒に処理されるんじゃないか。
そこまで考えてやっと、今の自分が置かれた立場を思い出す。
偉い人の話を聞く為に座っているという現状を
もう一度認識しておきながら、またもや僕の意識は徐々に薄れていく。
「ボケを活かすも殺すもツッコミ次第」。
昔から全校集会や朝礼が苦手だった。
大して面白くもない話を大して面白くもない場所で、
大して面白くもない自分が聞かなければならない事。
それが苦痛で仕方がなかった。
だから僕はいつも、校長先生やバイト先の店長に
心の中で突っ込みを入れた。
どんなに出来の悪いボケも、
たった一言のツッコミで生き返る。
お笑いタレントが言っていた言葉だ。
だから私は人の話に突っ込みを入れ、密かに一人で笑う。
彼、または彼女の大して内容のない話に、
笑いという彩りを添える事で僕は、苦痛をやり過ごす。
「人の話を聞かない人間はろくな人間にならない。」
人が人に向かって話をするという事は、
何らかの情報を伝達する事が目的なのであって、
そこには何らかの意味なり意義なりがある。
だからこそ他人の話は聞かなければならないし、
他人が話す内容を租借して自分の血肉とすべきだ。
先生や親はそう言って、僕の不真面目な態度を批難した。
いつしか僕は、他人の話に突っ込む事を控えるようになった。
だけどそれは他人が話した内容に突っ込みを入れ、
その事が原因で大きな失敗をしたから、ではない。
そう、それは昔付き合っていた彼女から、
別れと引き替えに教えられた教訓、だ。
恋愛のフィナーレは、いつの間にか終わっている。
「私の話、聞いてるの?」
いつの日だったか、彼女は怒りながら僕にそう言った。
何度目かさえ覚えていない程多かった喧嘩の、一番最後。
(聞いてなかったらこんな神妙な顔なんてするかよ)
この期に及んでも僕は、彼女のいつもとは違う
金属のような怒気に気付かず、心の中で突っ込む。
そして、如何に僕が悪いのかを切々と訴える
彼女の姿を眺めているだけの僕を見て、
彼女の中で最後に残っていた温もりが消えた。
僕の悪癖は兎も角、自分自身が彼女を
大切な存在だと考えていたのは間違いない。
だから僕は決意した。
この癖を直そうと。
それが無理なら控えようと。
社会人になると、親切すら自分で招き寄せなければならない。
他人の話を聞かないで失敗をしたとしよう。
やるべき手順を間違えたとか、
注意すべきポイントを見過ごしていたとか、
他人の話を聞かないでいると必ず失敗する。
そこでは「聞いてませんでした」という言い訳が通用しない。
学生であればもう一度聞けば良いだけの話であっても、
社会人は違う。
誰かが一度でも教えてくれたり話してくれたのなら、
それはもう“知っているもの、理解しているもの”として扱われる。
だから、人の話を聞くというスキルは、
実は人が頭で捉えている以上に重要なものだ。
だが、“常に人の話を聞いている”というスタンスを取っていれば、
聞き落としてしまっても許されるケースがある。
何故なら「いつもしっかり聞いている奴なのに珍しいな」とか、
「まぁ人間だからたまにはミスもあるだろうな」といって、
失礼・無礼よりも先に奇異・同情が話者の心に去来するからだ。
つまり、“同じ話をもう一度してもらう”という親切を受けるには、
“私はいつも人の話を聞いています”という
アピールを常日頃実践しなければならない。
社会人は自己責任とよく言われるが、
他人の親切を引き出せるか否かすら、
自己責任という訳だ。
そして物語はループする。
今度はスッキリと意識が戻った。
全身の神経が研ぎ澄まされ、
髪の毛にまで気持ちが張り巡らされる。
僕は一生懸命話者の話に耳を傾ける。
話の中身に突っ込みを入れる事はできるだけ抑えつつ、
全身を使って話を聞く。
正直内容はちっとも面白くないし、
それどころか全く以て自分に関係がない。
それでも一生懸命話を聞いていると、
段々聴覚が鋭敏になってきて周囲の音が聞こえてくる。
誰かがメモを取る音。
誰かが咳払いをする音。
誰かが指を鳴らす音。
そしてエアコンから聞こえてくる風切り音。
(サー)と音を立てながら、
吹き出し口からは冷たい空気が飛び出す。
お陰で会場は適温で保たれている。
退屈な話、適温、昼下がり、食後。
つい先程まで張りつめていた僕の意識が、
あっけなくゆっくりと音もなく、三度遠のいていく。
視界が暗くなる。
世界は暗闇に包まれる。
相変わらずエアコンは冷気を吐き出している。
(サー)という、波長の合っていないラジオのような音を立てながら。
以上。
う?ん、長いな。
ご精読有難う御座いました。
なお、このお話はフィクションです。
現実の人物・団体とは一切関係御座いません。
勿論、「僕」は私じゃないですよ?本当に。
それじゃ(#゚Д゚)/~~
本番の弱さには定評のある、
使用上の注意です。
練習では無類の強さを誇りますが。
という訳で本日の戯言は当初予定されていた
「越冬燕 ?ある愛の物語?」を変更して、
「ノンフィクション風フィクションブログ」。
雨の音で目が覚めた、ような気がした。
波長の合っていないラジオを聴いているんだろうか。
ぼんやりとそんな考えが浮かんでくる。
周りを見渡すと大量に生産された工業製品のような人々が、
皆前を向いてパイプイスに座っていた。
そんな中で一人、下を向いて座っている。
するとまるで自分が規格不適格品の烙印を押されたような、
悔悟とも諦観とも、喜悦ともいえない感情で満たされていく。
このまま人生という出荷ラインから弾かれて、
他の廃棄物と一緒に処理されるんじゃないか。
そこまで考えてやっと、今の自分が置かれた立場を思い出す。
偉い人の話を聞く為に座っているという現状を
もう一度認識しておきながら、またもや僕の意識は徐々に薄れていく。
「ボケを活かすも殺すもツッコミ次第」。
昔から全校集会や朝礼が苦手だった。
大して面白くもない話を大して面白くもない場所で、
大して面白くもない自分が聞かなければならない事。
それが苦痛で仕方がなかった。
だから僕はいつも、校長先生やバイト先の店長に
心の中で突っ込みを入れた。
どんなに出来の悪いボケも、
たった一言のツッコミで生き返る。
お笑いタレントが言っていた言葉だ。
だから私は人の話に突っ込みを入れ、密かに一人で笑う。
彼、または彼女の大して内容のない話に、
笑いという彩りを添える事で僕は、苦痛をやり過ごす。
「人の話を聞かない人間はろくな人間にならない。」
人が人に向かって話をするという事は、
何らかの情報を伝達する事が目的なのであって、
そこには何らかの意味なり意義なりがある。
だからこそ他人の話は聞かなければならないし、
他人が話す内容を租借して自分の血肉とすべきだ。
先生や親はそう言って、僕の不真面目な態度を批難した。
いつしか僕は、他人の話に突っ込む事を控えるようになった。
だけどそれは他人が話した内容に突っ込みを入れ、
その事が原因で大きな失敗をしたから、ではない。
そう、それは昔付き合っていた彼女から、
別れと引き替えに教えられた教訓、だ。
恋愛のフィナーレは、いつの間にか終わっている。
「私の話、聞いてるの?」
いつの日だったか、彼女は怒りながら僕にそう言った。
何度目かさえ覚えていない程多かった喧嘩の、一番最後。
(聞いてなかったらこんな神妙な顔なんてするかよ)
この期に及んでも僕は、彼女のいつもとは違う
金属のような怒気に気付かず、心の中で突っ込む。
そして、如何に僕が悪いのかを切々と訴える
彼女の姿を眺めているだけの僕を見て、
彼女の中で最後に残っていた温もりが消えた。
僕の悪癖は兎も角、自分自身が彼女を
大切な存在だと考えていたのは間違いない。
だから僕は決意した。
この癖を直そうと。
それが無理なら控えようと。
社会人になると、親切すら自分で招き寄せなければならない。
他人の話を聞かないで失敗をしたとしよう。
やるべき手順を間違えたとか、
注意すべきポイントを見過ごしていたとか、
他人の話を聞かないでいると必ず失敗する。
そこでは「聞いてませんでした」という言い訳が通用しない。
学生であればもう一度聞けば良いだけの話であっても、
社会人は違う。
誰かが一度でも教えてくれたり話してくれたのなら、
それはもう“知っているもの、理解しているもの”として扱われる。
だから、人の話を聞くというスキルは、
実は人が頭で捉えている以上に重要なものだ。
だが、“常に人の話を聞いている”というスタンスを取っていれば、
聞き落としてしまっても許されるケースがある。
何故なら「いつもしっかり聞いている奴なのに珍しいな」とか、
「まぁ人間だからたまにはミスもあるだろうな」といって、
失礼・無礼よりも先に奇異・同情が話者の心に去来するからだ。
つまり、“同じ話をもう一度してもらう”という親切を受けるには、
“私はいつも人の話を聞いています”という
アピールを常日頃実践しなければならない。
社会人は自己責任とよく言われるが、
他人の親切を引き出せるか否かすら、
自己責任という訳だ。
そして物語はループする。
今度はスッキリと意識が戻った。
全身の神経が研ぎ澄まされ、
髪の毛にまで気持ちが張り巡らされる。
僕は一生懸命話者の話に耳を傾ける。
話の中身に突っ込みを入れる事はできるだけ抑えつつ、
全身を使って話を聞く。
正直内容はちっとも面白くないし、
それどころか全く以て自分に関係がない。
それでも一生懸命話を聞いていると、
段々聴覚が鋭敏になってきて周囲の音が聞こえてくる。
誰かがメモを取る音。
誰かが咳払いをする音。
誰かが指を鳴らす音。
そしてエアコンから聞こえてくる風切り音。
(サー)と音を立てながら、
吹き出し口からは冷たい空気が飛び出す。
お陰で会場は適温で保たれている。
退屈な話、適温、昼下がり、食後。
つい先程まで張りつめていた僕の意識が、
あっけなくゆっくりと音もなく、三度遠のいていく。
視界が暗くなる。
世界は暗闇に包まれる。
相変わらずエアコンは冷気を吐き出している。
(サー)という、波長の合っていないラジオのような音を立てながら。
以上。
う?ん、長いな。
ご精読有難う御座いました。
なお、このお話はフィクションです。
現実の人物・団体とは一切関係御座いません。
勿論、「僕」は私じゃないですよ?本当に。
それじゃ(#゚Д゚)/~~