新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2008年05月

はいどうも、

唯一のより所さえ崩壊寸前

使用上の注意です。

手配ができない

クリエイティブセンスがない

コピー力がない

主体性がない

愛嬌がない

スケジュールが守れない

報連相ができない

将来像がない

なりたい自分が見つからない

気配りができない etc…



なのに、

なのに、

唯一のより所がもう、

コレ、いやちょっとマジで。

文章力が、ない、のかも知れない。



オレの書く文章、面白くねーんか…。



頭ん中ぐっちゃぐちゃになってきた。。。



頑張ってるだけ、では評価されない。

筆が止まる、止まる、止まる。

オレが、ここにいてもいい理由が、見つからない。

評価される文章って、何だろう?

面白がってもらえる文章って、何だろう?

何がウケて何がスベるのか、見えない。

力を抜いて流して、評価されないならまだいい。

「いや、あれは手抜きだったし」って言い訳も立つ。

だが流しているつもりはない。

むしろ一生懸命やっている。

だけど。



一生懸命やればやるほど、

余計に自分の面白くなさが現実味を帯びてまとわりついてくる。

家を作れない大工がもはや大工ではないように、

歌を歌えない歌手がもはや歌手ではないように、

面白い文を書けない自分はもはや、何だ?



自分が3年もかかって積み上げてきた結果。

たかだか半年でそれ以上の結果を残されたら、もう。

いや、オレが3年かかって手に入れられなかった結果を、

たかだか半年でアッサリ手に入れられたら、もう。

オレ、いらねーじゃん。



自分のふがいなさが情けないのを通り越して、

もう、自分のふがいなさが怖い。

自分で自分を鼓舞できない。

オレはこれから、自分の中の何を頼って

生きていけばいいんだろうか。



転職なんておこがましい。

出世なんておこがましい。

昇給なんておこがましい。

突き上げるのはオレに与えられた課題だったのに、

気づけば突き上げられてアタフタしてる自分。

それが怖い。

ただ怖い。

怖い。

自らを信じられない。

誰か言ってくれ。頼むから言ってくれ。

キミの文章は面白いよ、って。

キミの力は必要なんだ、って。



どうしよう。

どうしよう。

どうしよう。

何をすればオレは、ここにいても許されるのか。

何をすれば、オレは。

いや、ダメだ、やっぱ夜はダメだ。



偉い人が言ってたコトは、間違ってなかった。

ダメだ。ダメだ。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

とてもイマサラなコトを敢えて言わせてもらうなら、

エビちゃんの演技って一本調子だよね

使用上の注意です。

何気なくゼスプリゴールドのCMを見てたら思った。

まぁそれが芸能人ってヤツかも知れんが。



という訳で本日の戯言は「ばあちゃん。」。

それでは早速。



オレにはばあちゃんが二人いる。

いや、当たり前だけど。

別にばあちゃんが実は四人いて、

それはじいさんの後妻さん二人で、

毎年実家に帰ると激しい遺産争いが

繰り広げられては血を見る、なんてコトはない。

そんなバイオレンス一族の出身ではない、全く。

まぁそれはそれで面白そうだから

一年くらいなら体験してみてもいい気がするけど。



ただただ当たり前の、父方と母方のばあちゃん。

だけど、我が一族のちょっと変わってる点は、

祖父母・父母と、オレの距離が微妙に遠い点にある。

物理的に遠いのもあるし、精神的にやや距離を置いてる感がある。

まぁその辺は一族の恥をさらすコトになるので詳細は黙秘するけど。



だからばあちゃんに会うのは一年に一回あるかないか。

ひどいときは三年間で一度も会わなかったり。

でも、オレは物心ついたときからそういう環境で育ったから、

親戚づきあいってのはそんなもんだと思ってた。

小さい頃は一年に一回くらい会って、

その度にお小遣いをもらって、

オモチャを買ってもらって、可愛がってもらってた、と思う。

でも悲しいかな、オレはずっと敬語だったけど。



今になって振り返ってみると、

孫に敬語を使われるって相当ツラかったろうなぁ、ばあちゃん。



とにかく、オレにとって祖父母ってのはそんなもんだった。

ばあちゃんと会うコトはオレにとって、

カモがネギしょってやってきた、的な

ものスゴく特異なデキゴトだったし、それは非日常だった。



で、父方のばあちゃんが、去年の9月に死んだ。

父方のじいちゃんはオレが小学3年生のときに死んでたから、

最後に残った父方の血縁的ルーツがなくなったワケだ。

ただでさえ精神的な距離を感じている父方のばあちゃんとは、

家が遠いのもあって結局死ぬ前の三年くらいは

一切会うコトがなかった。

正直オレの日常に父方のばあちゃんは存在してなかったし、

オレの意識に父方のばあちゃんが上がってくるコトは絶無に近かった。



だからばあちゃん死亡の一報を聞いたトキ、

「ふ?ん。」としか思わなかった。

で、シゴトを早引きして取り敢えず数年振りの、

父方の実家に駆け付けたワケだ、押っ取り刀で。

数年振りの親戚一同との再会も、

もはやオレの中では事務的な作業のひとつでしかなく、

「元気にしてたか?」「はい」という無味乾燥なやりとりを

ただただ繰り返す、儀式以上に儀式的な親戚づきあい。



いざ通夜・葬式が始まると父も母も、

そして当然ながら親戚一同も、

雨季の東南アジアかアマゾンのスコールか。

残暑が厳しかったのもあって、

体中の穴という穴から水分を、ね。



オレは、それを冷めた目で遠くから眺めて、

と、そこまで空気が読めない男でもないよ。

そりゃもちろんオレの父を生み育てた人だから、

オレのルーツがそこにあるワケだから、

“悲しい”という気持ちは当然あったよ、ホントに。

だけどそれは、やっぱりどこかで冷めた感情だったのも事実で。

知識としての“人が死んで悲しい”という感情を

正確にトレースしているような、そんな感じ。



正直、そんな感情しか持てないジブンの方が悲しかった。

人が死ぬってコトは、それはもう重大事であって

脇目も振らず人目も憚らず泣きわめいても可笑しくない。

大の大人が、だよ?

だけどオレは、涙の一滴どころかにじみさえしない。

大人になってどこかに人間らしさを置き忘れてきたんじゃなかろうか。

父方のばあちゃんがいなくなった事実より、

ジブンに対する失望と不安の方が大きかった、気がする。



で、そんなジブンを嘆いていたら出棺の時刻。

妙に小さく見える棺桶を男四人で葬儀場から霊柩車へ運び、

チャーターしたマイクロバスで火葬場へ向かう手はずだった。



なぜか棺を運ぶ男衆に指名されたオレは、

(軽いなぁ、ばあちゃん)とか思いながら棺桶を霊柩車に入れる。

係の人が(バンッ)と霊柩車の後部ハッチを閉める。

それを見届けたオレは、車寄せの後ろに止めてある

マイクロバスへ足早と向かう。



(今日は妙に眩しい)

何の気なしにそう思って、オレはふっと空を見上げた。



青。



今まで見てきたどんな青空よりも、青。

今まで見てきたどんな空よりも、高い。

抜けるようなとはよくいったもので、

そのまま宇宙まで抜けるんじゃないかと思える見事な青空が、

車寄せと向かいのビルの隙間から見えた。



次の瞬間。



オレの両の眼から、しょっぱいぬるま湯が溢れ出た。

誰も住まなくなって打ち捨てられた家の、

数十年も固く閉じられた蛇口が水圧に負けて、

一気に錆びだらけの赤茶けた水を吐き出すように、

オレは泣いていた。



ばあちゃん、ホンマにゴメン。

ホンマにゴメン。

ほったらかしにして、ホンマにゴメン。

気ぃ使わせて、ホンマにゴメン。

最後まで優しくしてくれて、ホンマに有難う。

オレ、最後の最後まで、

ダメな孫やったなぁ。

オレ、ホンマにダメな孫やったなぁ。



でも、オレ、生きてるよ。

一生懸命生きてるよ。

頑張って生きてるよ。

だから、バイバイ。

九ヶ月遅れの、弔辞を送るわ、ばあちゃん。

バイバイ、ばあちゃん。

はいどうも、

とてもイマサラなコトを敢えて言わせてもらうなら、

バレーボールのコートはライブ会場じゃねぇ

使用上の注意です。

なぜに、女子バレーの前座がジャニーズのライブなのか…。

そんなに金が欲しいか、日本バレーボール協会。



という訳で本日の戯言は「今、改めて自己分析。」。

それでは早速。



人間は、知らず知らずの間に

ジブンのテリトリーを決めてしまう、らしい。

ここからここまでは、オレの領域、と。

で、それがシゴトの話になると、

「ここからここまでやるのが、オレのシゴト」と。



特に社会人3年目から5年目にかけて

そんな症状に見舞われる人が多い、らしい。

つまり、ある程度シゴトの流れやコツを掴み、

大抵のコトは自力でできるようになると、

その“自力でできるコト”の範囲内でシゴトを

終わらせてしまいがち、というコトらしい。



確かに。



我が身を振り返ってみる。

今年でちょうど社会人3年目。

こう言っちゃぁなんだが、ある程度はジブンでできる。

そしてジブンでできるシゴトが増えてきた。

で、その“ジブンでできる範囲”をやって、

シゴトを頑張ってる気になってた、ような気がしないでもない。



そう言えば、最近新しいシゴトを手がけていない。

最近新しい類の悩みを抱えていない。

いつかどこかで見たような感じたような

抱いたような悩み、のようなモノ。

押し入れの奥から引っ張ってきた

去年のコートを着ているような、感覚。

昔読んだシリーズものの小説を、

また一から読み直しているような、感覚。



これは、非常にマズいと思う。

いつの間にか、ジブンに枠をはめてしまってる。

それ以上はおエライさんのシゴト、

こっから先はオレの与り知らぬ領域、

だからオレは意見を持たないし言わないし、何も思わない。

いや、スゲーマズい



新しいコトはいいコトだ、と言い切るつもりはないけれど、

新しいコトにチャレンジしない人生はつまらない、と言い切ろう。

昔あれほどバカにし、軽んじ、蔑み、貶し、

ジブンだけは絶対になるまいと固く決意していた

ルーティンワークだけをこなすサラリーマンに、

いつの間にかなりつつあるジブンに気づいて、

慌てて棺桶から片足を引き上げた。

ぜってー、今のジブンを変えてやる。

いや?、流石はリク○ートだわ。



え?いきなりなんでリ○ルートかって?

それはね、リクナ○CAFEのメルマガが、

気づかせてくれたからさ。

感謝半分、嫉妬半分。

複雑な、思春期社会人の夜は更ける。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

人には向き不向きがあるよね、

使用上の注意です。

まぁ、んなコトは言いワケにもならんのです。



という訳で本日の戯言は「人のフリ見て我がフリモゴモゴ…」。

それでは早速。



どうも最近調子が悪い。

いやそっちの調子じゃなくて、シゴトの調子。

だからそっちの調子じゃないって、毎朝快調だっつうの。

毎晩元気がありすぎて困るくらいだっつうの。



ゴ、ゴホン。



とにかく、シゴトの調子がすこぶる悪い。

まぁ一時はモチベーションが低下してシゴトが回らないコトもあったが、

最近はシゴトが上手く回らなくてモチベーションが上がらない、みたいな。

まさにタマゴが先かニワトリが先か。

多分、違う生物が徐々に進化してニワトリになっただろうから、

やっぱり答えは“ニワトリっぽい生き物が先”かな。



閑話休題。



で、今日なんかかなり落ち込んだりもしたけど私は元気です(イトイ)。

正直、心の奥底で「オレ、このシゴト向いてねぇんじゃねぇの?」

なんつう後ろ向きな発想が鎌首をもたげ出したり…。

一瞬、ほんの一瞬だけど“転職”の2文字が頭をよぎったり…。



で、何とか目処をつけて(ここで目処をつけちゃう辺りがオレの

勘違いのモト)家に帰り着いて、一人ふさぎ込んでみた。

「やべー、だりー、無理ー、ダメー。」なんて。

そうやって酒でもカッ喰らって不貞寝しようかと思っていたら、

同僚からの電話。



(んだよー、バカ話に付き合う気持ちの余裕なんてねーよ)

と思いながらも、電話に出るジェントルなオレ。

したらもう、ノッケから『SUPER 落ち込みモード』。

スト?に喩えるなら“SUPER ストリートファイター?ダッシュターボ”。

ただひたすら、延々とシゴトの愚痴、弱音、自己嫌悪。

(おいおい、それを言いてぇのはオレの方だっつうの)

なんてコトはおくびにも出さず、ただただ話を聞いてあげるジェント(以下ry



でも、よくよく話を聞いてみると、

どうやら彼女の悩みは最近のオレの悩みと同種・同類、同じ穴のムジナ。

生まれて初めてくらい他人の悩みに共感しつつ、

飛び出したのがコレ。

名付けて『今日の名言 その?』。



































「朝起きて、朝日が
キレイだったらそれでいいジャン。」


キザだ、キザだぞコレは。



しかしまぁアレだ。

冗談は抜きにして思うに、

人間は生きている以上“苦しみ”から逃れられないワケで、

そうやって苦しみに耐えるからこそ“喜び”が倍増するワケで。

この世に生を受けたからには何かを生み出し続ける必要があって、

生み出すコトから逃げ出した先には後悔しかないのであって。

結局どこへ行っても何をしてもストレスからは逃げられない。

結局いつの時代もどこの国もストレスはなくならない。



とか、そんな感じのコトを、

半分ジブンに言い聞かせながら電話の主に話してたら、

いつの間にか泣いてた(汗)。

(いやいや、泣きてぇのはオレの方だっつうの)

なんてコトは一言も言わずに黙って泣きやむのを待つジェント(以下ry



今日の教訓。

『負けても良い。でも逃げたらイカン。』

自戒を込めて。

いや、むしろ自戒100%。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

人が多い所は苦手、

使用上の注意です。

いや?、東京人大杉。

という訳で本日の戯言は「孟母三遷。」。


それでは早速。



孟母三遷とは、言うまでもなく中国のアレ。

孟子のオカンが我が子の教育にベストな土地を探して、

結局3回も引越しをしたという、有名なアレ。

まぁ周囲の環境はとても大事だよね、っていうお話なワケですな。



それはともかく。

人間なんて弱いもんで、

どんなに固い決意も周りの人間とか

状況に流されてしまいがちな生き物。

ついつい言い訳しちゃうモノ。

「場所が悪い」「周りが悪い」「会社が悪い」

「同僚に恵まれない」「上司に恵まれない」etc…。



なぜいきなりそんなコトを言うのかというと、

冒頭でも書いたように先週末は有給を取って

東京に行ってみたから。

色んな場所に行って色んな人とあって色んな話をして、

イロイロ経験した結果、孟母三遷に辿り着いてみた。



かすかな残像を残して横に飛んでいく景色を眺めながら、

幸せの形は場所によって環境によって幾通りにも変わるんだ、と。

至極当たり前のコトを、時速270kmで空気を切り裂く

鋼鉄の塊に身を揺れらながら思ってみた。



人もモノも情報も集まってくる大都会・東京で、

人とモノと情報を武器にして戦う人生も幸せだし、

人もモノも情報も逃げ出しがちな地方都市・某所で、

人とモノと情報に拘泥せず家族と過ごす人生も幸せだ。



どっちがどうだとか、どっちが幸せだとかではなく、

どっちも幸せだし、どっちも苦労があるワケで。



結局ジブンがどうしたいか、どっちの人生を歩みたいのか。

それこそがジブンを幸せにする唯一の宿題なワケで。



後悔は、腹を満たさない。

場所を変えてみるのも悪くない。

そんな結論に至った週末でした。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

良いコトを言おうとしてシドロモドロ

使用上の注意です。

ウケを狙うとスベるのと、同じ原理。



という訳で本日の戯言は「ちょっとタンマ」。

それでは早速。



さて何を書こうと思ったら、

突然の電話。

懐かしい友からの誘いをむげに断るワケにもいかず、

取り敢えず中座。



帰ってきたら書く気が失せた。



このまま更新をやめてしまってもいいんだが、

それはそれでさっきまで確かに感じた書きたい気持ちが勿体ない。

マーチャイさんだって喜ばない。



それはない。



何を書きたいのかさえ

今となっては思い出せないが、

何かを書きたくてブラウザを立ち上げた過去のオレ。

だけど今のオレはむしろ何も書きたくない、ような気もする。



無意味という意味を乗せて、

届けアナタの心へ、なんて書いてみたり。



誰にも分からないような、そうでもないような。

何とも言えない微妙な文章を書いては夜が更ける。



あぁ、幸せ。

まぁ、巻き込まれる方はたまったもんじゃないんだが。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

ジブンの言葉で語ろう、借り物じゃなく

使用上の注意です。

あ、コレは最近のスローガンなのでお気になさらず。



という訳で本日の戯言は「夜中にMETALを聞きながら。」。

それでは早速。



自分一人で成長できると思ったら大間違いだ、と思う。

そこには互いに互いを磨き合うライバルがいて、

時に厳しく、時に優しく見守ってくれる人がいて、

無責任で的確な批評者としての第三者がいて、

そしてジブンの努力と切磋琢磨があって、やっと成長の階段を

一段だけ登れる、気がする。



踏まれても踏まれても、空に向かって伸び続ける雑草は、

別に踏まれてるという感慨も嘆息もなく、ただただ

ジブンの欲求に従っただけの結果、かも知れない。

だけどそれは、その姿は見る者にある種の感情を与えてくれる。



ただただジブンの内なるマグマを

縦横無尽に駆け巡らせればいい。

その方向を修正してくれるのはジブンと、

ライバルと見守ってくれる人と、そして第三者だから。



ときに立ち止まるコトだってあるだろう。

ときに後ろを振り返るコトだってあるだろう。

だけどそれでいいんだと思う。

横を見て、それまで一緒に走っていたライバルが先へ

行ったコトに気づいたとき、ジブンがどう思うのか。

それが大切なんだと思う。



少なくとも、いい意味で根無し草でありたい。



果てしなくとりとめがないなぁ、コレ。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

ジブンをさらけ出すって難しいなぁ

使用上の注意です。

シゴトにせよプライベートにせよ、

ジブンのキャラクターというかホンネというか、

素のジブンをさらけ出すのは難しい。



という訳で本日の戯言は「夜中にFUNKを聞きながら」。

それでは早速。



暖かくなると汗疹ができる。

あ、アセモ、ね。

汗をかくと痒くなってボリボリかくと

水ぶくれになって何かすげー気持ち悪くなる、アレ。



昔から肌が弱かった。

メラニン色素を母親の胎内に置き忘れてきたんじゃないか

って位に肌が白いし、すぐにかぶれるし、

そもそもアトピー性皮膚炎だったし。

なんだったらすぐに風邪引くし

スタミナないし、すぐに疲れる。



果たしてジブンは生物としてダメなんじゃなかろうか。



人間のポテンシャルを数値化してカテゴライズしたら、

標準が100ならきっとオレは67ぐらいな気がする。

なんか、可もなく不可もなく、でもちょっと微妙。

健康なんだけどそれはすごい絶妙な

バランスの上に成り立っている健康で。



まぁ五体満足に動かして貰ってるだけ有り難い話ではある。



でも。でもね。

やっぱりちょっと釈然としないときもあるワケだ、実際。

なんでオレはこんなに風邪を引きやすいんだと。

なんでオレはこんなにすぐ疲れてしまうんだと。

100メートルを11秒で走れる人間と、

23秒で走れる人間がいたとして、

彼らのどっちが優れてるとか劣ってるとかいう話にはならないけど、

やっぱり“無事是名馬なり”っつう格言もあるワケだ。



じゃぁ健康って一体なんだっつう話になるんだけど、

毎日を120パーで走りきれる人間が健康なのか、

80余年を生ききる人間が健康なのかっつう話ですよ。

身体に障害を持ってる人だって、

病気にならなければそれは健康と言える、かも知れないし、

寝たきりの老人だって骨が折れてなければ

それはそれで健康だと言える、かも知れない、のか?



これはものすげーセンシティブでデリケートな問題だけど、

ジブンに置きかえた時どうなんだって考えたら避けては通れない、よね。

確かに体のどこにも障害はないし、持病を抱えてるワケでもない。

ましてや今、この瞬間生死の境目をさまよって

川の向こう側で手招きする今は亡きばあちゃんの誘惑と

戦ってるワケでもない。



じゃあやっぱりオレは健康なのかと言われると、

どうも胸を張って「オレって健康だぜ!」とは言えないのさ。



そう思うと、健康って何だろうね?

たまにはそんなコトを考えてみても良いんじゃないかなぁ、

世の若人たちよ。

キミが今を楽しめるのは全て、

健康だからなんだぜ。

だからこそ、健康に生きられるうちは

一瞬一瞬を一生懸命生き抜こうじゃないかと。

そんな感じのコトを夜中にFUNKを聞きながら言いたい。



FUNKYな人生を歩むにも、健康から。

良い人生を。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

エブリバディセイ、

イェー?

使用上の注意です。

いや、風邪を引いたらテンションが高くなったのでやってみた。

反省はしていない。



という訳で本日の戯言は

幸せについて斜に構えながら考えてみた。」。

それでは早速。



街が、JAZZに包まれる。



大阪の一地方都市で毎年ゴールデンウィークに開催される

スーパーゴールデンなイベント・高槻ジャズストリートへ行ってきた。

(この時点でネタバレの匂い)



読んで字の如く、街がJAZZだらけになる。

高架下やガード下、立体交差点の下など、

様々な場所でJAZZが奏でられる。

(全部同じ場所)



いえ、冗談です。



高架下や小学校の校庭、ショッピングセンターの軒先、

神社、文化ホールなどなど、至る所でJAZZが演奏されるイベント。

それが高槻ジャズストリート。



抜けるような青空。

気持ちのいいFUNKミュージック。

気の置けない仲間。

そして酒。



幸せって、こういうコトなんだと思う。

って、ステージに対して斜に構えながら思った。

いや?、やっぱ音楽は偉大だわ。

日頃の憂さもストレスも、

寝かし続けているシゴトも、

ぜ?んぶほっぽり出して音の洪水に身を任せていたら、

頭と体がからっぽになって気持ちのいい何かでいっぱいになった。

ラブ&ピース。

You make me FUNKY!



というか、タイトル長いわ。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

はいどうも、

G.W.に風邪を引く

使用上の注意です。

喉が、いてぇ。



という訳で本日の戯言は「ジブンをさらけ出す前に」。

それでは早速。



と、その前に。

ジブンが何のためにブログを始めたんだろう。

そんな疑問をふと思い出した。

友だちが、いや、ライバルがブログを始めた。

正直に言って、オモシロイ。

「あぁ、オレにはないオモロさやなぁ」と打ちのめされた。



昔、遥か彼方の昔、大人たちは言った。

『ジブンだけの武器を見付けなさい。』
『みんなにはきっと、ジブンだけの魅力がある。』
『誰にも負けないように、その“何か”を磨きなさい。』


それが文章力なのか、表現力なのか、論理力なのか、

はたまた何事にもクヨクヨしないしなやかな心なのか、分からない。

そして果たして本当にそんなジブンだけの魅力なんてあるのか、分からない。

オレという存在は唯一無二かも知れないが、

オレという存在は代替可能かも知れない。



そこにオレがいなければならない理由を見付けられず、

オレでなければならない理由を探し求める。

何をしても、何を変えてもオレがオレでいる理由がない。

オレがOnly oneで、かつNumber oneである事象を見付けられない、苦悩。



歯車とは、代替可能である。



しかし。

所変われば品変わる。

見方を変えれば価値も変わる。

例えば、シゴトというベクトルで考えた時。

恐らくほぼ全ての人は代替可能な存在なワケで。

ところがプライベートというベクトルで考えた時。

親、兄弟、姉妹、友だち、恋人、そのどれを切り出してみても

彼・または彼女は誰かにとって代えが効かない存在なワケで。



極端な話、イチローですらいなかったらいなかったでも

シアトル・マリナーズは存在し続けるワケで。

世界のナベツネ(間違いじゃない)ですらいなかったらいなかったでも

読売新聞と読売巨人軍は永遠に不滅なワケで。

Bump of Chickenですらいなかったらいなかったでも

人の心は揺れ、動き、震えるワケで。



だから。

だからこそ、ジブンが代替可能な存在であったとしても、

それは単なるオレという存在を表すひとつの側面にしか過ぎない。

人間は、というより世界は、オレが思っている以上に

多面的で多角的でおよそ感情を持つ生物の数だけ別の色を見せる。



27年もの月日を費やして初めてその本当の意味を知った気がする。

十人十色の意味を。



まぁ、だから何だ、って話だが。

それじゃ(#゚Д゚)/~~

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