新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2011年08月

はいどうも、

一つ曲がり角一つ間違えて、

IMG_2747

迷い道クネクネ、

使用上の注意です。

どこで何をどう間違ったのか、ビジネス街を歩いていたはずなのに

気づけばこんな山奥で一人とぼとぼと歩いている…。

この先に何があるというのか、何が待っているのか。

それさえも分からずただ体の赴くまま足を進める。

もう無理だ、もう歩けない、もう頑張れない。

弱気な自分が時折顔を見せ、へたりこみたくなる衝動が

何度も全身を襲う。

しかし、それでもなお体を前へ進めることをやめない自分。

自分を支えているチカラは一体何なのだろうか。

やがて考えることさえできず、朽ち果てていく。



とか、いやいやその画像&文章、

どんだけ迷ってんねんとか言われそう。

というかそもそもリアル迷子になる前から

すでに精神的迷子であるからして。

まさにスピリチュアル・ジプシー・キングス。

ヴォラーレ!とか言ってたらCMソングに採用されて

気づいたら印税ウハウハですよ、夢の中では。

その意味で、つい先日井上陽水御大の『夢の中へ』を

引用したのは、夢オチへの伏線だった、のか?本当に?

自分でさえ疑わしい。



念のため上記原稿の論理構造を解説しておく。

【冒頭】

渡辺真知子の名曲『迷い道』のワンフレーズから、

過去に撮影した某山中の獣道写真を引き出すも、

ちょっと迷っただけでどこまでさまよい歩くのか、

というボケ(ひとつ目)。



【受け】

山の奥深くまで迷ってしまうような実際の迷子に

なる前から、すでに私は精神的にゴールを見失った迷子である、

というボケ(2つ目)。



【展開】

そのような、行く末を失った精神的流浪の様子をジプシーに

たとえたところで、世界的アーティスト「ジプシー・キングス」へ

つなぐ、というボケ(3つ目)。



【展開の受け】

さらにジプシー・キングズの代表曲「Volare」のスマッシュヒットに

乗っかり、印税生活を語ろうかと思いつつあまりにも現実離れした

サクセスストーリーを語るのが怖くなり、まさかの夢オチに、

というボケ(4つ目)。



【オチという名の言い訳】

表現の世界における禁断の選択「夢オチ」を“やっちまった”

ことに対する言い訳として、先日の記事で取り上げた井上陽水ネタへ

強引に引っ張りつつ、それすらも計算通りであるかのような

テイでカッコつけてみるも、自信のなさが如実に現れた結果、

自分でさえ疑って魅せる、というオチ(未完成)。



とか言いながら、本当にそんなことを考えて文章を

書いていたかどうかさえ、今の自分には疑わしい。

結論:世界は疑ってかかれ。

それじゃ。

はいどうも、

知ってる?

最近毎日更新してるエントリは

大体毎回きっかり1,000字程度だってことを、

使用上の注意です。

エントリによっては1,400字ぐらい書いてるときもあるが、概ね1,000字。

我ながら何らかの意図を感じてもおかしくはないところだが、全く無意識。

いつも何となく文章を書き始めて話を展開し、オチをつけたところで

確認するとそれぐらいの文章量になっている。

オチなんかどこにあるんだ?とかいう

無粋なツッコミを入れる輩がいれば

言葉の限りを尽くして罵ってやる。



それはそうと、1,000字といえば400字詰め原稿用紙で2枚とちょっと。

小学校時代の読書感想文で書く量ぐらい?

となると俺の、この1,000字作文症候群は小学生当時の精神的外傷が原因で、

いつも無意識的に1,000字程度の文章を書いてしまう悲しい症状なのだろうか。

いやいや、貴様の文章力だと1,000字程度が

限界なんだよバカヤロウ!とかいう

小生意気なツッコミを入れる輩がいれば、

気力の全てを費やして呪ってやる。



ともあれ、毎回のエントリで自分が紡ぎ出す文章が、奇しくも毎回

同じぐらいの量になるこの事実を、個人的には少し面白くも感じている。

何がどう面白いかと問われても明確な答えを用意するのは困難だが、

小さくてもこういう理屈を超えた部分に面白さを感じられるのも、

この退屈な人生に彩りと活力を与える要素ではないだろうか。

その程度のことで楽しい人生が送れるなんて

とんだお気楽野郎だな!とかいう

小癪なツッコミを入れる輩がいれば、

知恵を振り絞って復讐してやる。



そんな日々を送りつつも、最近自分の中でかなり盛り上がっている

読書欲に引っ張られて、貪るように本を読んでいくうちに、

薄々感じ始めてきたことがある。

それは、自分が作家にはなれないだろう、

という悲しいお知らせ、あるいは予感だ。

どれだけ本を読んでも、いや、むしろ本を読めば読むほど、自分には

こんな表現はできない、自分にはこんな物語を組み立てられない、

自分にはここまで事実関係を調べられない、といった

現実を痛感してしまうわけで。

長い文章が書けるのもひとつの才能、とは言うものの、それがそのまま

面白い文章を書ける才能には直結していないという現実を

知ってしまった(あるいは直視してしまった)。

苦手な人よりはマシ、というレベルの文章能力で作家を夢見るなんて

身の程知らずにも程がある。

とかいう正論なツッコミを入れる輩がいれば、

ジャンピング土下座で謝罪しようと思う。



ごもっとも、って。

もう少し本格的に、物語を組み立てる練習を

始めようかなぁ、マジで。

それじゃ。

はいどうも、

結論「人の噂も75日」、

使用上の注意です。

いきなりそう言われても戸惑うばかりだろうから、

もう少し思考を遡る。



人は、一人では生きていけない生き物だ。

どうしても誰かと関係して生活を送らねばならない。

家族、友人、親戚、同僚、上司、後輩、近所の住民、

恩師などはもちろん、時には事件・事故の加害者や

被害者とさえ、無関係でいることが許されないこともある。

と同時に人間は“認識の生き物”であるから、

10人いれば10通りの考え方が存在するし、

10種の世界が同時並行で成立し得る。

世界は彼または彼女の中で形作られ、

その美醜も正誤も関係なく、

ただそこに(そしてそこだけに)世界はある。

たとえそれが“現実の世界”と異なるものであったとしても、だ。

つまり、人は他者との関わりの中で時を過ごし、

それぞれに互いを互いの世界内で認識し、評価し、

それらの情報をやり取りして(あるいはやり取りせずに)、

日々を生きるわけだ。

ここに、不幸の種がある。



例えば、ある人にとってのAという人間は

面倒見がよく困ったときはいつでも助けてくれる

大恩人であったとしても、また別の人にとってのAという

人間は他人の気持ちを理解せず平気で人(殆どの場合は

その人自身)を傷つける冷酷無比の嫌なやつである、

という矛盾した結論が同時に成立する。

この矛盾を解決するために人は、A以外の関係者間で

Aについての情報を交換し、統合した結論を導き出そうとする。

特にそれが客観公平や正当性の強く期待されるような場面、

例えば人事評価や結婚相手の吟味などで、

関係する多方面の人間から多角的な情報を収集し、

最終的なAについての評価を下すよう努力している。



ところが、人物評価が世間話や雑談の中で進められた場合はどうか。

一言で結論づければ「無責任」の一語に尽きる。

世間話や雑談においては、結論に責任を求められることはない。

Aについて、特定の評価者固有の世界が下した結論について

その正当性は問題とならず、それゆえAについての偏向した

一面的な評価でさえ評価者とその聞き手間では“答え”として成立する。

さらに罪深いのは、世間話や雑談の中でAについての評価を

云々する際に、当事者であるAが関与するケースは皆無に近い。

刑事訴訟に置いて被告人不在の欠席裁判がごく例外的なケースにしか

認められていないのは、当事者の主張を勘案しなければ

公平・公正な結論を下せないから、にも関わらず、だ。

こうして無責任極まりない結論が“噂”として命を与えられ、

力強い足取りで一歩一歩成長していくにつれ尾ひれがつき、

関係する人間たちの中でもはや事実と同じかそれ以上の

“結論”として一人歩きを始める。



もはやAに為す術はない。

無責任で身勝手、一方的で悪意的でさえあるこの

噂に対して、悲しいかな先人たちは非常に受け身で

受忍的な対応を取らざるを得なかった。

「人の噂も75日」。

どうせ二ヶ月半もすれば噂は忘れ去られるから

それまで黙って耐えろ、ってことですか?

悲しみと怒りをまき散らして去る。

何があったかは聞かないでくれ。

それじゃ。

はいどうも、

いよいよ本格的に書くことがなくなってきた、

使用上の注意です。

困った時は無心になって、

頭の中に思い浮かぶうたかたを拾い上げるべし。



ところで「うたかた」は、「泡沫」と書く。

逆に、「泡沫」と書いて「うたかた」と読む。

これって何かすげーセンスよな。

「ほうまつ」って読んでしまうと何だか

どうでも良くて軽くて吹けば飛ぶような何か、

をイメージしちゃうけど、ひとたび「うたかた」と

読んでみると一瞬にして言葉のまとう空気が変わる。

例えるなら「ほうまつ」がしょぼくれたおっさん。

「うたかた」は悠々自適な吟遊詩人。

う~ん、これで上手く例えられたとは

お世辞にも思えんな、我ながら。



それにしたって日本人の言葉のセンスはホントステキ。

「たおやかな」立ち居振る舞いの女性がいる、

とか言われたらそれだけでその人に惚れてしまいそうになる。

顔を見ていなくてもお話ししたことがなくても!

そして雪は「しんしんと」降り、雨も「しとしとと」降り、

日は「さんさんと」降り注ぐ。

何となれば愛も「さんさんと」注がれる。

このセンス!

日光の温もり、柔らかさ、優しさを

愛に例えるなんてもう、悶えるわ。

とはいえ、その素晴らしさに気づけるのは

他ならぬ自分自身が日本人であり、

その言語環境にどっぷりと浸かっているから、

といえなくもない、のだろう、たぶん。

だって、金髪碧眼の威丈夫が

「Oh! Beautiful shrine! ミヤビヤカデスネー!」

なんてカタコトの日本語で言ってたら、

何かイラッとするし。

ってえ?俺だけ?

俺だけ?

俺だけか。



とまぁそんな偏狭で狭隘な器を誇る俺としては、

この美しい日本語文化を守りたいと思うのだ。

その決意はマジ本気なんすよー、ってぇか、

本気と書いてマジ?みたいな?っていうか?

となると「マジ本気(マジ)なんすよー」であって、

それは「マジマジなんすよー」と読むのであって、

恐らく何かを「マジマジと」見つめているのかも知れず、

であれば間違いなく視線の先にあるのは“日本語文化”!

一見日本語の美しさを破壊している、かのように見せかけて

実はきちんと日本語文化を見守っている、

という高度なボケですよ、みなさん。

分からない人は置いていきますよ。

義務教育じゃないですからね。



と、ここまで書いてみて、思う存分思考の翼を

広げてフルスロットルで妄想すると、こういうワケの

分からない文章ができあがる、ということが証明された、と。

その証明作業は本当に必要だったのか?と問われれば、

んなもん不要だったに決まってんじゃん、

と答えるにやぶさかではない。

知ってるよ、それぐらい。

へっ。



ふてぶてしく去る。

それじゃ。

はいどうも、

俺たちは巨大で強大な敵と対峙している、

使用上の注意です。

やつらのチカラは圧倒的だ。

巨大な体、狡猾な知恵、驚異的な科学力。

そのどれをとっても俺たちのような

ちっぽけで非力な存在からすれば、

もはや神の領域に達しようとしている。

俺たちは、神に戦いを挑んでいる、のだろうか。



俺にはいつも行動を共にする親友・たかし(仮名)がいた。

飯を食うときも夜の街に繰り出すときも、

そして門限を破って怒られるときでさえ。

あれは訓練学校時代の出来事だ。

いつものようにたかし(仮名)と二人して課業をサボり、

抜けるような青い空を見上げながら中央公園の

芝生の上で寝転んでいたときのこと。

「なぁたかし(仮名)、俺たちはこれからどうなるんだろうな」

「そんなこと知るかよ。俺たちは生まれた時からやつらと

 戦うことが宿命付けられた種族なんだ。だから好むと

 好まざるとに関係なく戦い、そして死ぬのさ」

そういってたかし(仮名)はタバコを取り出し、

俺に1本すすめて自分でもくわえて火をつけた。

命が輝きを放つようにきらめく炎にタバコをかざし、

胸いっぱいに紫煙を吸い込んだ俺は、

たかし(仮名)の横顔をそっと盗み見る。

いつかいつか死ぬ、といわれてもイマイチ

現実味がないなぁ、と思いながら。

そうやって俺たちは兄弟以上に兄弟らしく生きてきたんだ。

そしてこれからも。

あの日を迎えるまでは、俺はそう思っていた…。



軽快な駆動音を響かせながら俺とたかし(仮名)は

同じ小隊の仲間とともに爆炎の残る戦場の空を飛んでいた。

ただの爆炎ではない。

白っぽく霞んだそれは兵器が炸裂した痕跡ではなく、

やつらの開発した最新兵器であり、その煙に突入した

仲間は誰一人生きて帰ることはない。

俺たちは巧みに爆炎兵器の脅威を避け、やつらの姿を探す。

突然、たかし(仮名)が手信号で編隊に敵の所在を知らせる。

いたっ!

二時の方向、眼下にやつらの姿がある。

「相変わらずデケー図体してんなぁ」

俺は一人呟いて機体をバンクさせ、

やつらめがけて急降下を試みる。。。



気づけば俺たちの小隊で生きているのは

俺とたかし(仮名)だけだった。

やつらは、俺たちの視界が及ぶはるか外から

爆炎兵器をこれでもかと投下してきた。

一機、また一機と墜とされる小隊の僚機。

必死で輪郭のはっきりしない死神の姿を避け、

何とかやつらに一矢報いようと攻撃行動を取るのだが、

思うように取り付けない。

そのとき、たかし(仮名)がやつらに攻撃をしかける。

天の差配か、絶望的な確率を乗り越えてたかし(仮名)の

機体はやつらに取り付く。

攻撃管を差し込み、赤黒いエネルギーの吸入を

開始するたかし(仮名)の機体。

毒液はおまけだ!

俺はそんなたかし(仮名)の活躍を見て、

その場で拍手喝采したい気持ちに襲われる。

が、次の瞬間、俺は叫んでいた。

「たかしぃぃぃぃっ(仮名)!上だぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

やつらの手が、目にも止まらないスピードで

たかし(仮名)の機体めがけて振り下ろされる。

耳をつんざくような衝撃音が鳴り響き、

たかし(仮名)の姿は見えなくなった。

俺はただ一人、基地へ帰還する他ない己の

無力さを呪いながら、ただ泣くしかなかった。



以上、蚊の目線でお届けした戦場物語でした。

それじゃ。

はいどうも、

残業なんて飾りです、

エラい人にはそれが分からんのです、

使用上の注意です。

本来の業務時間内に全てのタスクを

終わらせることができればそれに越したことはない。

つまり、残業とは己の無力さの証明でしかなく、

それが多いということは「アナタ、シゴトデキナイネー」

というレッテルが貼られているだけに違いない、

と世間では思われているんだろう?どうせ。

いや、決め付けは良くなかろう。

残業の多さと能力の有無にどのような

相関関係があるのか、またないのか、

今日はその辺をちょっと考えてみようじゃないか、諸君。



まずもって残業とは何か。

簡単にいえば“勤務時間内に終わらなかった業務を、

所定の時間を超えて作業すること”って感じ?

困った時はWiki先生に聞いてみよう

「時間外労働とは、労働基準法上においては、

 法定労働時間を超える労働のこと。通常は、

 就業規則などで定められた所定労働時間を

 超えて労働すること。」だそうで。

まぁもっともっと平たく乱暴にいえば、

「時間内に終わらなかった仕事を片付ける時間」

だろうと。だからこそ、

残業が多い=仕事が終わらない=デキない従業員、

的な悪魔の方程式が成り立ってしまうのだ、取り敢えず。

異論はあると思うが、ここは一旦そういうことにしておいて。

じゃないと話が進まない。



しかし、だ。

それで良いのか?

全国の残業に苦しむ諸兄よ。

誰も好き好んで残業をする訳ではなかろう。

早く帰って趣味を楽しんだり家族の団らんを

楽しんだり、そういう人生を送りたいはずだ、きっと。

なのに、現実はさにあらず。

帰りたくても帰れない。

諸君らの愛した定時退社は死んだ。ナゼだ!?

案件が多すぎr、うわ何をするやめろくぁwせdrftgyふじこ

こうしてぶっちゃけやりたくもない残業に

苦しんでいるにも関わらず、それが“無能”の

レッテルに変わるとはなんと残酷な結末であろうか。

それで良いわけがない。



だからこそここで(多少無理やりにでも)、

残業の理解についてコペルニクス的転回を試みる。



残業が多いということはつまり、

それだけ案件数をこなしているということであり、

それはそのまま所属組織に対する貢献量に

比例すると考えるべき、なのではなかろうかと。

もうこの際その残業が利益を生んでいるか否かには

目をつぶろう(つぶってくださいませお願いします)。

そして最大限の賛辞とお給金をお支払いやがれください。

そうじゃないとヤル気なくしちゃうんだから(キュピリン)。



それにもっと言えば、残業をどれだけしようが

お給金は据え置きというサービス残業、

ん?あ、いや、これ以上はダメだ。

色んなところにご迷惑をおかけすることになるから。

とにかく、最後に私の敬愛する小説家の作品から

あるセリフを引用して筆をおこう。

『諸君、異論があるか?!あればことごとく却下だ!!』

こそこそと逃げるように去る。

それじゃ。

はいどうも、

ナニを思ったか連日更新なんて挑戦してみたら、

1週間ももたずに早速書きたいコトがなくなってきた、

使用上の注意です。

浅い、浅いぜ俺の“底”。



とはいえ、これまで数々の企業を立ち上げた

業界の風雲児として世間を賑わせたこともなく、

逆に猟奇的事件を起こした残虐非道の殺人犯として

世情を乱したこともないこの俺としては、

こうして全世界に何かを発信するべき言葉を

持たないといってそう悲観する必要はない、ハズだ。

だって所詮はイチ庶民。

ナニを語れと言うのか。

昨日ナニを食べたとか先週ナニを読んだとか、

先月ナニに感動したとか去年ナニを決意したとか、

イチ庶民の生活に誰が興味を持つというのだろうか。



そんなものはわざわざ探すまでもなくアナタのすぐそばにある。

ほら、本当の宝物は探して見つかるもんじゃないんだ。

まず、探すのを止めてごらんよ。

家の庭に止まっているから、幸せの青い鳥が。

カバンの中も机の中も探したけれど見つからないのに、

まだまだ探す気かい?それよりボクと踊りませんか?

夢の中へ、夢の中へ、行ってみたいと思いませんか?

ううっう~。



やはり陽水は良いコトを言う。

「床に転んだ老婆が笑う」とか「(テレビが寒さでおかしくなって)

とても醜いあの子をぐっと魅力的にしてすぐ消えた」とか、

やっぱりクスリでもやってんのかと思わせつつ

おかしくなってるのはアンタの頭の方じゃねぇかと思わせつつ、

さりげなく人生の要諦を織り込む作詞センス。

俺も陽水のようにクスリでもキメれば作詞活動に励めば、

少しは語るべき言葉を見つけることができるのだろうか。。。

いや、ない(絶望的反語表現)。



思うに、語るべき言葉を持っているか否かは恐らく、

それまでの人生経験とそれに対する考察をどれだけ

積み重ねてきたかによる、のではないだろうか。

つまり、この時点で語るべき言葉を持たない人はたぶん、

それまでの人生をただ何となく過ごしてきただけなんですよ!

ほら、そこのアナタ!ご自分の胸にそっと手をあてて

黙して静かに己の半生を振り返るが良い!

そこに語るべき言葉はあるか?!

声を大にして世の衆生に伝えるべき想いはあるか?!

胸の内からほとばしる熱いパトスはあるのか?!

ないだろう?

ないだろう?

ないはずだ。

ないと言って下さい。

あってたまるかってんだ。



こうして思う存分小物っぷりを露呈しては、

自らの墓穴を掘り続ける。

それが俺の生き様。

己の器の小ささに悩む諸兄、ご安心召されよ。

ここに諸兄ら以上に器の小さい男がいる。

上には上がいるように、下には下がいるのだ。

私は叫ぶ。

語るべき言葉を持たない小物に幸アレ。

微妙に悲しくなってきたので涙目で去る。

それじゃ。

はいどうも、

今後Outlook Expressの使用は一切まかりならん的な指示が

来たので「Sylpheed」とかいうLinuxベースのメーラに

乗り換えた所、ショートカットキー設定やら操作感の違いに、

ただただとまどい逃げるだけの哀れな子羊と化した、

使用上の注意です。

普段使いのアプリケーションは引越しが面倒だ、マジで。



なぜなら普段から頻繁に使っていた何かを、突然別の何かに

変えることは恐らく、読者諸兄の想像以上に難事であるから。

当然、ルーティンワークと密接な関係を持つ要素であれば

なおさらであり、日々繰り返される行為は着実に彼または

彼女の脳神経を侵略し、支配し、気づいたときにはどっぷりと

浸かりきっている、独裁に。

そうなるとたとえ、より便利で有益で安全で軽快な全く別の

解決策があったとしても、染み付いた価値観はいかなる

改善をも“改悪”と自我に解釈させてしまう。

恐るべし、潜在意識の支配力。

こうして人はいつの間にか、慣れ親しんだものに対する

強固で堅牢な防御陣を張り、その事実にさえ

気づくこともなく、現状維持を最上の価値と

捉える保守的で懐古的な精神構造の虜囚となる訳だ。



生きて虜囚の辱めを受けるべからず。

旧軍の兵士、下士官を苦しめた絶対の法則にも似た、

この潜在意識による支配からの脱却は、結局のところ

絶対的な圧力を備えた外部的要因による所が大きい。

業務命令しかり、黒船しかり、産業革命しかり…。

こうした“ソト”からの圧倒的な力による支配構造の

打破があって初めて、人は真に新なる存在たり得るのだろうか。

そしてその新たな変化は、生産性の向上なり

文明開化の勃興なり富国強兵の振興なりを

実現させる、救世主たり得るのだろうか。



ここで、歴史にその証明を求める。

黒船が到来し、鎖国が終わり、明治という

新しい時代・価値観を生み出した日本。

その後驚くべき成長を遂げ、日清・日露の

両戦争を経て世界のお荷物三等国から列強となった日本。

その結果はどうであったか。

戦勝による軍部の台頭を抑えきれず、国民の

お祭り騒ぎを止められず、先の大戦へと突入した日本。

対外戦争における敗戦・一方的な軍事裁判というこれ以上ない

外部的圧力を受け、天皇人間宣言・農地解放・教育改革・財閥

解体を経て、公職追放から再軍備という外圧は、高度経済成長

という果実を日本にもたらした。

その結果はどうであったか。

色々端折ってバブル経済、と、その崩壊。

ITバブル、と、その崩壊。



結局、変化は成功も呼ぶが、得てして思い上がりをも呼び、

それが元で失敗して、再び変化を受け入れるに過ぎない、ような。

つまり、変化はいつでも絶対的に普遍的な“善”ではない、と。

すなわち変化を恐れず、また変化を恐るべし、か?

それ以上の結論なんてない。



しかし、これだけ歴史に学べばこの私が

賢者であることも容易に証明されるだろう。

だって、愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、のだから!

自分が賢者であると証明する方法、それは何事も歴史に学べば良い!!

フハハハハハッ!!!

と、ドヤ顔で去る。

それじゃ。

はいどうも、

「そもそもさ、どっからが不倫なのよ?」

「いぃ質問ですねぇ(池上彰風)」

使用上の注意です。

ある大先輩プランナーとの不倫をテーマにした一夜の対話。

不倫肯定派と否定派の激論はどう決着するのか?

そこそこ可愛い店員はどう動くのか?

そして今回、新キャラ登場!!



「ボク個人は、ですよ、個人的な意見としては

 最後までヤっちゃったら完全に不倫すね。」

「そうなの?じゃぁ二人っきりで飯行くのはアリなんだ。

 店員さんは?どっからが不倫だと思う?」

「え?私ですか?そうですねぇ…。

 二人でご飯とかは全然気にしないですね、

 自分も男友達とご飯行きますし。

 う~ん、手をつないだら、ですかね。」

「え、でも酔っ払って楽しくなって、

 ノリで腕組んで歩いたりしないんすか?」

「何々?○○君、嫁さん以外の女の子と腕組んで歩いたことあるの?」

「も、黙秘します…。」

「まぁ良いや。でも手をつないだら不倫、

 っていう主張が正しいなら、俺随分不倫しちゃってるわ。」

「じゃぁ目標達成しちゃってるじゃないすか(笑)」



「店長さんはどうすか?どっからが不倫だと思います?」

「(ビクッ)わ、私ですか?

 女性と二人で食事、は不倫じゃないですね。

 この子たち(バイトの女の子)と食事に行っても

 それは単に上司と部下の関係ですし。

 ただ、やっぱり私も手をつないだらアウトだと思いますね。

 上司と部下で手をつないで歩くなんてないですから。」

「でもカッコいい大人は美人と手をつないで颯爽と

 闊歩してなきゃイカンと思うんだけどなぁ。」

「なんすかその変な先入観(笑)。」

「だってやっぱりその姿はカッコいいやん。

 良い服着て、良い車転がして、良い女をエスコートする。

 どう?カッコ良くない?」

「いや、確かにカッコいいすけど、

 それは奥さんとしたら良いでしょ。」



「スミマセン、そろそろ閉店なんですが…。」

「え?もうそんな時間?!」

「楽しい時間は過ぎるのが早いよね。」

「今日は有難うございました。

 オモロイ話が一杯聞けましたよ。」

「こっちこそ有難うね、○○君。

 また近々飲みに行こうよ。今度はキレイな女の子も呼んで。」

「そ、そっすね。嫁には内緒で参加します。」

「嫁さんに内緒って時点で不倫になるんじゃないのかなぁ。」

「(´・ω`・)エッ?」



髭面の店長さんに見送られ、夜更けの商店街に消えるプランナー二人。

嗚呼、無益で滅法愉快な時間であった…。



結論:店員さんが結構可愛かった。

場違いな結論を残して、満足気に去る。

それじゃ。

はいどうも、

自宅近くの小学校で開かれていた夏祭りへブラリと足運び、

屋台の焼きそばを食べながら、

『嗚呼、夏が終わる』などと

似合わない感傷に浸ってみた、

使用上の注意です。

たまにはセンチメンタル。

似合わないのは知っている(キッパリ)。



夏祭りといえば思い出されるのは小学生時代。

例によって例のごとく、今回も昔話ですよ。

そしてここで敢えて恥を晒す。

今思えば、行動も思考も勉学の程度も発想も

世間並みかそれ以下の小学生でして、私、残念ながら。

いやぁ、ホントに残念だ(自分的に)。

それなのに、それなのに、だ。

自分には何でもできるという全能感。

他人とは違う人間だという優越感。

何者かになれるという根拠なき自信。

それらは人一倍強かった、気がする。

普通の小学生だったくせに、だ。

その全てが消え去った今の自分からすると、当時の自分の

どうしようもなさには顔から火が出るほどの恥を感じる。

パッサパサの炒飯が作れそうな火力で

顔面から噴出する恥辱の火。

ちょっと見てみたい。

そうすれば今の自分のこの無能感も多少はマシになるだろうか。

いや、ない(反語)。



それはそうと、自己評価とは裏腹に平凡な小学生だった自分は

人並みに夏祭りを今か今かと心待ちにし、

当日は子供浴衣を着せてもらい、いくばくかの

臨時小遣いを手に握り、同じように浮き足立った

近所の友人たちと連れ立って自分の母校へ足を運んだものだ。

小学生の足で30分ほど離れた母校へ向かううち、

遠くから聞こえてくる祭り囃子に心踊らせ、

我先にと校門を目指して走ったりなんかして。

たどり着いた先には日頃見慣れた校舎や運動場はなく、

色とりどりの提灯に彩られたやぐらと

香ばしい匂いを漂わせる屋台の数々。

いつもは怖い顔して児童のイタズラに目を光らせる

体育の先生も、この夜ばかりは心なしか笑顔で歩いている。

慈愛溢れる両親(親孝行的表現)をなだめすかして手に入れた

小遣いを入り口で金券に変え、友人の顔を

見つけては共に屋台の列に並ぶ。

何の変哲もない、それどころか日常の食卓で

見かければ恐らく眉をひそめる程度の出来栄えでしかない

焼きそばが、この時ばかりはこの世のものではないほど

美味なご馳走に思えるのだから不思議なものだ。

やぐらからは大音量で音楽が流れ、その周りでは

大人も子供も盆Dance。

ただひたすらに、ぐるぐるぐるぐる盆Dance。

ぐるぐぐる、ぐるぐる…。



自宅近くの小学校で開かれた夏祭りにフラリと

立ち寄って屋台のやきそばを食べてみたら、

そんなソース臭い思い出が蘇ってきたという話ね、コレ。

このエピソード自体、自分が平々凡々なイチ庶民でしかなく、

今後歴史に残るような行跡を残すことはない、

という事実そのものな感じがして、大層切ない。

自分が人類のヒーローにはなれない、かも知れない、

という高い蓋然性が、現状の無能感に拍車をかける。

少年の頃の思い出と共に、アラレ音頭をBGMにして…。



まぁ逆に考えれば、大それた事件を起こしてしまって

犯罪史に名を残すような可能性もない、ってことだと

無理やり自分を納得させて、去る。

それじゃ。

このページのトップヘ