新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2011年09月

はいどうも、

Σ(゚Д゚; )ハッ

ブログなんて、毎日1,000字以上も書かなくて良いんだ!

使用上の注意です。

大宇宙の真理を発見した気分だ。

これはひょっとして、最高に「ハイ!」ってやつかぁぁぁぁ?

うん、言い過ぎた。



ともかく、毎日更新は途絶えた(より正確に、かつ

私の名誉のために言い換えれば「途絶えさせた」)今、

確かにデスマーチが鳴り響いている、高らかに、誇らしげに。

だからこそ1,000字以上の原稿なんて書く必要はない。

体調と相談しながら適当に適度にテキトーに、

更新していけば良いだけの話であって。

肩の荷が降りた気分ではあるが、気づくのが遅いとか言われそう。



でもね、ちょっとよく考えてみてくださいよ、旦那。

自ら重荷(1,000字オーバー原稿の毎日更新)を背負い、

日々の業務に負けず妄想の翼を羽ばたかせる生き様って、

カッコ良くない?モテると思わない?思わない。思わないな。

でもでも、そうやって積極的に負荷をかけることで

成長は倍加するハズなんだ、きっと、多分、恐らく、思うに。

それゆえに、私の選択は間違っちゃいない。

前提をあやふやなものにしただけに、結論もあやふやだけど。

それでもなお、書きたい意欲が衰えぬ限り、書き続けるのである。

何が言いたいのかよく分からない文章を。

ハッハー。

それじゃ。

はいどうも、

ついにキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

使用上の注意です。

春が来た、わけじゃないですよ、奥さん。

悪魔が来て笛を吹いた、わけでもないですよ、お嬢さん。

当然上司が来て肩を叩いた、わけでもないのです、旦那さん。

え?何が来たのかって?

それは、デスマーチ。

悪名高きデスマーチ。

案件案件デスマーチ。

原稿原稿デスマーチ。

残業ざんgy、おっとこれ以上はいけねぇいけねぇ。

とにかく、クリエイティブ業界のみならず多種多様な世界に

悠然と迫り来ては、屍を累々と積み上げていくのがデスマーチ。

あとにはぺんぺん草の一本も残っていやしない。

誰が名付けたか、“死の行進”ってのはホントにナイスなネーミングだね。



いや、ネーミングセンスを讃えている場合じゃない。

本気でヤバい。

これはイヤな予感がする。

むしろ、イヤな予感しかしない。

何とかしないと何とかしないと何とかしないと、

また内臓を壊しちゃう♪

もうあの痛みを味わうのはたくさんだ。

激痛に眠りを妨げられるのはコリゴリだ。

治療費だって薬代だってバカにはならないサラリーマン。

自分の健康だけでなく、家計の健康だって守らねばならんのだ。



だから、ここに宣言する。

声高々と全世界に向けて発信する。

いつもよりテンション高めにお届けする。



毎日更新は、しばらくお休み致します。

流石に連日数千字単位で、ときには数万字を超える原稿を書かねばならぬ毎日で、

約1,000字強とはいえ毎日ブログを書くなんて、それなんて苦行?

嗚呼、デスマーチがやってくる。

Dm(ディーマイナー)でデスマーチがやってくる。

しかるのちAm(エーマイナー)に転調して、暗転。

死にたくないよぅ。

それじゃ。

はいどうも、

追いかけられるより追いかけたい、

使用上の注意です。

やっぱさー、ほら、社会人は常に前向きポジティブに

仕事を追いかけるべきであって、間違っても締切とか

締切とか締切とかに追いかけられてちゃイケンのよ。

仕事に追われる毎日は、それこそどげんかせんといかん。

仕事の報酬は仕事、ってよく言うけど、

抱えた案件を常にハイスピード・ハイクオリティで片付け、

かつ次の案件を追いかけた方が自分の成長とか周りの

評価とか、やりがいとか満足感が違うんだろうさ。

だからこそ、追いかける人生を送りたい。



とはいえ、現実はさにあらず。

高々と理想を掲げても実際にそれを実践するには、

血のにじむような努力と頑健な肉体とストレス耐性と

要領の良さと周囲を巻き込んでも嫌がられない可愛げと

論理構成力と事務処理能力とコミュニケーション能力と

速いタイピングスピードと高いモチベーションと

理解力と表現力と、あとは鈍感力?とか、そんな感じで

多種多様な“スキル”が要求されるわけで。

そんな完璧超人がいるのかしら?と疑問に思っても良いですか?

ってか、そんなやついねーよ、的な泣き言のひとつも

こぼしたくなるってもんだよコンチクショー。

が、しかし。

それでもやらねばならん。

絶対に負けられない(案件との)闘いが、そこにはある。

だって日々働いて案件をこなすしか、今のところ

おマンマを稼ぐ手立てがないのだからして。

そう、私はしがないサラリーマン。

だけど夢見るサラリーマン。

いつか完璧超人として周囲の羨望と評価と妬みと嫉みと

その他諸々を一身に集める存在でありたい。

いや、後半部分は不要だが。



とにかく、だ。

サラリーマンに限らず社会人は、仕事を追いかけねばならない。

が、現実の私はそんな理想に程遠い位置にいて、

むしろ迫り来る締切から逃れるために日々全力疾走を続けては

息を切らせて倒れこむ寸前でレッドブル、的な毎日を送っているわけで。

だからこそ、引き続き「追いかけてやる」という気概だけは

持ち続けたいなぁと願う今日この頃なわけですよ。

そう、私はハンター。

仕事を追いかける肉食系男子。

来る日も来る日も案件を追いかける案件狩人───。



と、そんな“追いかけ”トークでふと思いだした。

あれは高校の卒業式。

前にも書いた通り私は片思いの人に告白する勇気もなく、

卒業式という最後のチャンスでさえ告白できなかった己の

不甲斐なさと悔しさに若干の涙目を隠しつつ一緒に友だちと

連れ立ってチャリで校門を駆け抜けようとした、そのとき。

校門の前には同じクラスの女子が3人。

その中の一人は高校3年間で一番仲が良かった女の子。

当然私の片思いも知っていて、色々と相談に乗ってくれた女友達。

遠目からはそんな彼女を他の2人が励ましているように見える。

ここで、普段は惰眠をむさぼっていて肝心なときに機能しない

私の恋愛センサーがピンときた。

「第二ボタンだ」。

…。

その後二人はどうなったのか。

答えは私の実家に今も眠る当時の学ランが知っている。



ヒント:追いかけられるより追いかけたい。

それじゃ。

はいどうも、

ついにこの時がきた、

使用上の注意です。

毎日更新するネタもエネルギーも枯渇寸前ですよ。

それでも何とかひねり出すのが物書きの宿命であって。

安易にはいそうですかとやめられぬのが物書きの運命。

まぁ締切がないのとクオリティが求められないのが

唯一にしてかなりの救いであることに間違いはない。

が、それでもある程度自分で納得の行く文章を書こうと

思ったら、それなりの仕込みと推敲と労力と時間と

手間と、あとは羞恥心を捨て去る勇気が必要なのですよ。



何度か話したかも知れないが、良い文章を書く秘訣なんて

お手軽なノウハウはこの世のどこを探してもない、と思う。

これさえ抑えておけば誰もが笑い、泣き、感動し、

惜しみない硝酸の嵐賞賛の嵐をもたらす、なんてことはない。

誰もがもがき苦しみ、自分の内的世界をほじくり返しては

少しずつ形成していくのが文章だと思うわけだ、私は。

で、結局自分の内的世界にしか答えがないのだから、

問題はどれだけ知識と経験と知見を自らの脳みそに

詰め込めるかが、ネタの豊富さや展開力・文章力に

直結するわけなのですよ、ワトソン君。

クリエイティブの大先輩が言うには、

ヒントは外に、答えは中に、だそうで。

絶えず外からのヒントを摂取し続け、かつ

内なる咀嚼を続けることで、答えができあがる。

自分の中に、いつの間にか。



そう考えると、こうして毎日毎日くだらなくて

愚にもつかない文章を飽きずに更新している私の中では、

一体どんな答えが用意されているのだろうか。

毎日文章を書く中で、どんな答えを吐き出し続けたのだろうか。

一瞬これまでの文章を読み返して分析でもしてみようかと

思ったが、面倒なので時間がないので別の機会に回そう。

賢明なる読者諸氏におかれては、薄々感じていることだろう。

この私の底の浅さや視野の狭さ、知識の偏り、論理の綻びに…。

それでも私は書き続ける。

そこにキーボードがあるからさ。



まとめる。

良い文章を書く方法。

とにかく、外の世界からあらゆる情報を取り込むことがひとつ。

ひたすらに情報を取り込み、自らの引き出しの数を増やすが良い。

そして、とにかく内なる世界の叫びに耳を傾け、

それらに文字という力を与えて具現化することがもうひとつ。

つまり、文章を書き続けろということで。

結局はどれだけの情報を取り込み、どれだけの答えを

文章化するかが、原稿作成能力向上の秘訣なんだろうなと。

急がば回れ。

一朝一夕に能力は身につかない。

私の文章武者修行もしばらくは続くだろう。

だって、これっぽっちも上手くなっていないのだから。

う~ん、これだけ読書に励んでブログを毎日更新しても、

この致命的な面白くなさはどういうことだ。

首をかしげながら去る。

それじゃ。

はいどうも、

女々しくたって良いじゃない、

使用上の注意です。

女性の風上にも置けない女々しさを誇ります。

というか、最近の男性は女性化しているらしい。

右を見ても左を見ても、やれ男性が草食化したとか、

肉食男子が減ったとか、女遊びより趣味を優先するだとか、

出世よりも堅実に金を貯めたいだとか、家庭やプライベートの安寧を

優先さたいだとかいう、男性についての報道を目にし、耳にする。

確かにウチの会社の新入社員諸君を眺め回してみても、

先輩諸氏と比べて肉食度というかガツガツ度というか、

ガメツイ度というか、その辺の指数が低い気がしないでもない。

とはいえ、そんな一部のトレンドを“男性の女性化”と言い切ってしまう

メディアのスタンスに若干の違和感を持ちつつも、これだけ色んなところで

言われれば気にしないワケにもいくまい。



というか、最近の男性は人生そのものがハードモードではなかろうか。

終身雇用・年功序列があっけなく崩れ去り、働いてさえいれば

安定が約束された時代は過去の遺物と化した。

と同時に女性の社会進出が進み、管理職・経営層にまで

女性が登場するシーンも珍しくない。

それでもなお、「男性は外に出て稼ぐべきだ」という考え方は

一定程度の社会的影響力を残しているし、女性の側でも

結婚して専業主婦になりたいという願望が(少なくとも私の周囲で)根強い。

ということは女性のうちの何割かは現実に男性にとって

労働上のライバルとして立ちはだかり、かつその一方で

何割かは男性の稼ぎに期待する層として残っているということであり、

日本的雇用慣行が崩壊して雇用が保証されないまま、女性という新たな

ライバルが増えているにも関わらず扶養義務を背負うケースが増えてきた、

ということでもある。

加えて(当然痴漢の存在が諸悪の根源であるにせよ)女性専用車両や

痴漢冤罪問題で善良なる男性は不当に権利を抑制され、映画館に行けば

レディースデーがあってもメンズデーはなく、日常生活でさえ

男性にとっての“ハードモード”が繰り広げられる毎日…。

語弊を恐れずに言えば、女性の方が優遇されるケースが増え、

それと引き換えに男性の立場が相対的に低下した。



それゆえに、男性であること自体が

彼の人生の難易度を上げている、かも知れなくて。

であれば、男性性を維持する必然性を男性が感じなくなって

男性性を敢えて誇示しない傾向が生ずるのは必然ではなかろうか。

当然、選挙権や男尊女卑思考など、女性がいわれなき差別の

被害者であったことは、これまでの歴史で証明されている。

その揺り返しとしての、男性受難であれば甘受せよとの

声があっても別段不思議ではない。

が、生物的強者としての権利を剥奪されつつある今、

その義務を「免れさせろ」というのは当然の叫びであって。

男性が男性性を捨て、よりニュートラルな立ち位置(例えば、

より女性に近い存在としての男性)に我が身を置くのも無理はない。

利益もないのに苦役を進んで甘受することほど

バカな話はないのだから。



ここで、過去の雄々しき男性性を今再び

男性が取り戻すべきか否か、という問題がある。

しかし、この社会情勢・トレンドは恐らく、

今後も維持・拡大・強化されるだろう(なんとなく)。

男性諸兄らもそう思うだろう?

であれば、諸君らはいたずらに“男らしさ”を

追求しなくても良いのである。

女々しくたって良いじゃない。

だ。

それじゃ。

はいどうも、

日々の生活で1秒1秒を必死のパッチで生きていると、

ふとした瞬間に思いついたブログのネタも次の瞬間には

キレイさっぱり忘れている三十路1年生、

使用上の注意です。

ネタを思いついたまさにその時メモるなり、早速エントリを

書き始めるなり、文字記録として残しておかねばならん。

少なくとも数年前まで1日ぐらいは覚えておけた程度の情報量が、

今では半時間と保持できないのは流石に堪えるね。

自分の脳味噌がそこまで劣化していたのかと、

短期記憶以外の部分はまだ大丈夫なのかと、

果たしてこの先も自分が自分でいられるのかと、

え?飯食ったっけ?的な状態になりやしないかと、

様々な不安・心配・懸念・焦燥が胸に去来して、

それさえも半時間で消えていく。



ん?ちょっと待て。

そう考えると短期記憶の保持力が衰えていくということはつまり、

様々な不安情報をすぐさま忘れられるという役割を無自覚的に実装した

といえるのかも知れず、むしろこれは劣化ではなく進化?

実際、不安情報をより多く抱くようになるのはたぶん、

壮年から老年、死に至るまでの時期であり、幼年から少年期に

心配で十二指腸に潰瘍ができるほどの悩みを抱えることはあるまいて。

従って老化とともに記憶力が低下するのは自らの身を守るために

長い進化の歴史で生物が体得した防御反応、なのか。

確かに若い頃の悩みはその深さや重さについて、壮年・老年のそれと比べれば

鴻毛(非常に軽い羽毛のたとえ)に等しい軽さを誇るわけであるから、

悩みを抱えて生活することがさして心理的負担をもたらすことはなかろう。

むしろ青春を迎える青年期の入り口では四六時中悩みを抱き、といっても

客観的に私のような大人の紳士が考察すれば悩みとさえ言えないほどの

懊悩、を抱え、悩める自分が時として自己陶酔の引き金となったりして。



若き日のヴェルテルは「自死」という重い決断を下したのであるが、

文学的評価は別として、婚約中の女性に対する横恋慕の結果自らの

命を絶ってしまうなど、親不孝とアホウの極みであろう。

いや、アホウは言いすぎた。

彼にも彼なりの考えと想いがあったのは間違いないのだから。

そこに敬意を払うことについてやぶさかではないが、自死はイカン。

生きていれば良いことあるさ、ヴェルテル。

うん、作中の非実在青少年に対して憤ってみたり同情してみたり、

これ以上は危険な水域に突入しそうなのでやめておく。



とにかく、だ。

若いうちの悩みなんて当の本人以外からすればどうでも良く、

明日の晩飯何だろうぐらいの意味しか持ち得ない(ことが多い)。

翻って年を取り、家族を持ち、親類縁者の扶養義務でさえ課せられる

壮年・老年者の悩みは、それがきっかけで妻子が路頭に迷うやも知れず、

重さと深さにおいて若者のそれとは比べるべくもないほど重く暗い。

しかもその悩みが様々なストレスとなって身体に襲いかかり、

ときに思わぬ病変を伴って彼の目の前に現れる。

それ故に、人は忘れねばならんのだ。

自らの身を守る、そのために。



結局、短期記憶が保持できなくなる脳味噌の経年変化は

心身の健康にとって有益な面もあり、劣化だ老化だと周囲の人間から

罵倒・同情されるべき現象だとは、一概に言えないのである。

のである!

よし、自己正当化完了。

それじゃ。

はいどうも、

例えば今この瞬間、

現状の意識を保持したまま大学1回生に戻ったら

どんな人生を歩むんだろうか、

使用上の注意です。

まず間違いなく言えることは、

確実に成績が落ちるってことか。

勉強的な意味での頭の良さであれば、

恐らく18才頃がピークだったのは間違いなく。

今の学問的資産で1回生に戻ったら

果たしてあの頃の自分の成績を維持できるかどうか、

甚だ疑問である。

まぁそこはいつものご都合主義に乗っかって、

むにゃむにゃと何とかなるとする。

ここで取り上げたいのは公私で言う“私”の部分だ。

大学4年間で経験した、ほろ苦いどころか悶絶するほど苦い、

数々のプライベートな失敗を私は上手くクリアできるのか?



まぁ失敗の詳細は黙秘する。

なぜならここで私の過去の失敗を詳らかにすることは、

今の私の体面や世間体やポジションや評価を地に落とし、

「卑怯者」「人でなし」「冷血漢」「鉄面皮」などの

罵詈雑言をフルコースで味わうハメになるだろうからだ。

と、とにかく、ここでは“数々の失敗を犯した”ということにしよう。

で、今の自分の意識であの時に戻ったらどうだろう?

同じ過ちを繰り返すことなく、夢にまで見たバラ色の

学生生活を満喫し、そのまま栄光の街道を驀進することが

できたのであろうか、果たして、私は。



う~ん(長考に入ります)。



そもそも、あの頃の私は“客観的自己評価”をどこかに

忘れてきたのに、“根拠のない過信”だけを身にまとっては

得意げな顔して生きていた、ように思う。

実際、「オレは司法試験を受けて合格できる!」という

身の程知らずなことこの上ない妄想を胸に抱き、

一抹の不安を「ここまで順調に来れたんだから何とかなるさ」

という軽薄な言葉で誤魔化し、一方でさして大きな使命感も

皆目持たず、大門をくぐったことをはっきりと覚えている。

今から私を、これから私を、殴りに行こうか? byチャゲアス

とか思うよね、正直。

で、神宮球場のスピードガン並(分かりづらいたとえ)に甘く

希望的観測に彩られた自己評価と、「井の中の蛙大海を知らず」を

絵に書いたような過信でもって、プライベート生活を送っていた

のであるからして、そりゃぁ失敗を繰り返すだろうなと。

が、しかし。

そんな過去の自分を自覚するに至り、数々の失敗を乗り越え、

あるいは乗り越えずに見て見ぬふりをして経験を重ねてきた

今のこの私が、あの頃の私にタイムスリップしたとして、

自己の欠点と短所の改善に成功してバラ色の学生生活を

見事全うすることができるのだろうか?



う~ん(2度目の長考に入ります)



30分後。



持ち時間がなくなってきたので手短にまとめる。

結論:三つ子の魂百まで。

昔の人はよく言ったものだ。

同じ失敗を繰り返す、んだろうな、多分、きっと…。

オチ?んなもんねぇよ。

それじゃ。

はいどうも、

思えば年を取ったものだ、

使用上の注意です。

最近なぜか妙に昔の記憶が蘇る。

時代はバラバラ。

自我も記憶も定かでなかった幼少時代もあれば、

無限の可能性と希望を秘めた小学生時代、

栄光と挫折と敗北感にまみれた中学生時代、

孤独と歓喜と成功を味わった高校生時代、

さらなる疎外感と友情と怠惰と淫靡に耽った大学生時代、

そして最大の挫折を経てささやかに復活した浪人時代、

新たな希望と新たな苦悩と新たな病魔に襲われた新人時代、

人生の伴侶を得て未知のストレスと喜びを抱えたこの数年と、

これまで歩んできた己の人生が走馬灯のように蘇る。

死ぬの?ねぇオレ死ぬの?

死んでたまるか。

まだやりたいことは山のようにある。

まだ欲しいものが数えきれないほどある。

まだ言いたいことが腐るほどある。

死んでたまるか。



何やら本当に死亡フラグが立ちそうな

ここまでの文章の流れだがそれはさておき。

つい最近蘇った思い出は、高校生の記憶。

当時“恋愛禁止令”が発布されていたクラブ活動で、

オレは多分人生で最も深い恋をした。

恋をすると人は変わるとよく言われるが、

今思えばあの時の自分は自分が自分でないような、

今のオレからすれば想像もつかない空想上の人格のような、

ハイテンションで繊細でナイーブで自信と不安がないまぜに

なったよく分からない言動をする、ちょっと痛い子だった。

目があっただけで喜び、話を交わしただけで歓喜し、

通学の電車でばったり出くわして二人きりの時間を過ごす

だけで昇天してしまいかねない魂の軽さ。

と同時に、冷たい素振りをされた(完全に自分の思い過ごし)

だけでこの世が終わらんばかりに嘆き悲しむガラスハート。

日々、時々刻々、感情のジェットコースターは急上昇と急下降と

回転とひねりと、たまにレールを飛び出して、暴走を続ける。



しかし。



その恋は成就することがなかった。

原因はもちろんオレにある。

恋愛初心者にありがちな発想、成功する見込みがない状況では

フラれるのが怖くてとても告白できないシンドロームに取り憑かれ、

結局「好きです」の「す」の字も言えないまま卒業を迎えたからだ。

まぁもし在学中に告白したところでフラれるであろうことは

後々判明したのだが(それはそれで悲しい)、

にしてもあの時なぜ告白しなかったのか残念でしかたがない。

今後、あの瞬間のような身を焦がすような激情と熱情と

錯誤と錯覚と妄想に囚われることはもうないだろう。

それゆえに今、後悔の波が打ち寄せては引いていく。

なぜ、玉砕覚悟で突っ込まなかったのか。

どうでも良いボケにさえ素早く的確なツッコミを入れるくせに、

どうして恋のツッコミには臆病なのか(上手いこと言った!)。



このエントリを偶然にも目にした恋に悩める諸兄たちよ。

恋愛の酸いも甘いも経験してきたオレからのアドバイスはたった一つ。

『恋をしたら臆病になれ。そして逃げろ。』だ。

しかる後、心から後悔するが良い。

泣いても喚いても、悔やんでも激昂しても、

失った時間は決して戻ってこない。

そうして心に傷を負え。

さすれば旨い酒が飲めるだろう、オレと。

さぁ、オレの仲間になれ!

みんなみんな、失恋してしまえば良いんだ!!!

ハッハー(涙目)。

それじゃ。

はいどうも、

普段は結構ノリが悪くてテンション低くて

常にブレーキをかける存在だと思われがち、

使用上の注意です。

うん、その理解に概ね間違いない。

基本的には集団の暴走を食い止める役割を担い、

誰かが公衆にご迷惑を掛ける前に引き止められるよう

周りと自分たちの温度差を敏感に測っている。

なぜ、そのような七面倒臭い立ち位置に自らを置くのか。

そんな気持ちで飲み会に行っても楽しくないとか、

バカになれない奴は面白くないとか、

色々思われる向きもあろうかとは思う。

が、私のような存在なくして世の秩序は保たれまい。

私は耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、泣く泣くこの

“嫌われ者”の立場に憤然と両の足を置いているのだ。

こうしたある種会場の隅で冷酒&冷や飯を食らわざるを

得ない、使命感溢れる人間たちが集まった存在こそ、

全日本熱冷まし連盟そのものである。



別に風邪っぴきの人たちにつきっきりで看病する

モノズキが集まった存在ではない。

夜毎繰り広げられる酒宴に出向き、

罪のない善良な無辜の市民にいわれなき害をもたらす

その前に、当事者の頭を冷やす有り難い団体である。

当連盟のモットーは「余計なお世話」であるからして、

時に白眼視され、時にお誘いの声さえかからず、

多種多様な迫害に耐えつつも社会の安寧秩序を守るべく

無償での活動を続けているのである。

全日本熱冷まし連盟はそのような重責を双肩に背負い、

日々行き過ぎた飲み会のヒートアップをクールダウンさせている。

なかんずく関西支部次長たる自分としては、

やはり乱痴気騒ぎは看過できないのである。



キミたちは知っているか?

己の意志と責任において酒を喰らい、前後不覚に

陥った酔っぱらいが放つ、悪臭と傲慢と意味不明な発言を。

彼または彼女が吐き散らかす吐瀉物の不快感を。

故なく絡まれ、二度と戻らない貴重な時間を

酔っぱらいごときに浪費させられる無常感を…。

私は知っている。

酔っぱらいは面倒臭い。

相手をするのが面倒臭い。

勝手に酔って勝手に潰れて勝手に帰れば良いのにと思う。

貴様らに帰巣本能はないのかと、貴様らに

人の良心はないのかと、貴様らに空気を読むセンスは

ないのかと、問い詰めたい。小一位時間問い詰めたい。

が、哀しいかな当の本人はどこ吹く風。

何を言おうと何を諌めようと前後不覚なのだから

覚えているはずもなければ悔い改めるはずもない。

結局は根気よく話しかけ、根気よく行動を阻害し、

根気よく社会との隔絶を図らねばならんのである、

全日本熱冷まし連盟のメンバーが。



我々の闘いはこの先も続く、必ず。

世に不条理な酔っぱらいがいる限り、

我々の夜に安息は訪れない。

なぁ、飲むなとは言わない。

酒に溺れたいときもあるだろう。

酒に逃げ込みたいときもあるだろう。

酒に助けれたいときもあるだろうよ。

でもな、頼むからおとなしく飲んでくれ。

それじゃ。

はいどうも、

コミュニケーションの難しさは

自分が思っている以上に難しくて、

一生かかってもマスターできないだろうなと感じている、

使用上の注意です。

自分が思っていることを相手にそのまま伝える。

ただそれだけのことなのにどこかで曲がり、

色がつき、クセがついて、時には意図が加わり

フィルター越しにしか伝わらなかったりする。

そこから思わぬ方向に話が進んでしまって

当初の思惑やら気持ちやら意志やら狙いとは

180°異なる結論・結果・結末を招くことが多々あるわけで。

コミュニケーションの行き違いや誤解こそ、

人類普遍の衝突原理なのではないかとさえ思うわけだ。

もちろん、それでも人は人と関わりながら

生きていかなければならん不自由な生物であるからして、

どんなにコミュニケーションが下手くそでも

たとえそれが必ず衝突を生むと分かっていても、

やはり他人と意思の疎通を図らなければならんのだ。

コミュニケーションは、喧嘩・争い・諍いの原因である

と同時に相互理解・愛情の交換・信頼のベースでもある。

なんじゃそりゃ、って言いたくもなるよね。

まさに痛し痒し。



とここで、あるひとつの仮説を思いついたから

特に深く推敲せずにぶちまけてみる、全世界に対して。

曰く、コミュニケーションは言語をベースとするから

そこに解釈の幅が生まれるのであって、その幅が

人類の戦争を生み出す原因なのであろう、きっと。

例えば「美味しい」という言葉ひとつとってみても、

満面の笑みで張り上げた声で相手の目を見て

「美味しい♪」とでも発言すれば恐らく、

本当に美味しかったのだろうと理解してもらえる

可能性が高くなる、かも知れない。

が、そこをうつむきながらか細く弱々しい声で

「美味しい…」なんて言ってみた日には、

本当のことを言ってよ!なんて詰められかねん。

このように、言葉というのは文字そのものの

幅もさることながら発言する際の周辺要素によって

大きな幅を持つことになる、かなり曖昧な手段なのだ。

その上、上記2パターンのいずれを選択するにせよ

発話者の真意がどこにあるかは、実は誰にも証明できない。

(うえ、味は薄いし火は通ってねぇし、クソまじぃ…。

 でも昨日ケンカしたとこだしここはひとつ機嫌をとろう)

「美味しい♪」

とか、往々にしてあるだろう?

あるだろう?

ねぇ、あるだろう?



このように、言語は不完全なツールである。

「美味しい」「うまい」「旨い」「味がある」とかいう

単語表現そのものの揺れ、そして発言時の周辺要素、

さらには発話者の真意 etc…。

かように不確かな言語による意思疎通は

衝突の危険性を内包していることが分かると思う。

ではどうすべきなのか。

言語コミュニケーションが曖昧で不確かで

危険に満ちたものであるならば、極力使わなければ良い。

だから私はこれから自宅で、

以下の言葉しか発しないことにしよう。

さぁ嫁よ、我が不倶戴天の敵・嫁よ。

心して聞くが良い。

これぞ不要な衝突を避け得る救世の福音なり!



「メシ!」

「フロ!」

「ネル!」

うん、絶対しばかれる。

それじゃ。

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