新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2011年09月

はいどうも、

サンマの塩焼きが食卓に並んだある夜のこと、

絶妙の塩加減で大変美味にサンマを頂き、

さぁ苦行に臨もう(お皿を洗おう)と席を立って、

食器に残されたサンマの骨と内臓と頭をふと見たら

彼(サンマ)と目が合った、

使用上の注意です。

死んだ魚の目をしていたZE!

Hahaha!アメリカンジョーク!!



しかし次の瞬間、こいつ(サンマ)にも家族がいたのだろうかと、

愛する嫁と可愛い子供たち、少し気を使う義理の両親や心なしか

年老いて若かりし頃の元気がない実の両親、気のおけない地元の

ツレ・同級生に職場の同僚、イヤな上司とか慕ってくる後輩、

デキの悪い部下からドロドロの昼メロ展開に陥った愛人(1号&2号)まで、

色んな関係各位がこいつの生前には関係していたんだろうなと。

ひょっとしたらオレが食べてしまったこいつ(サンマ)は、

同じく嫁に貪られたあいつ(サンマ)の親友で、

「オレのコトはいい!お前だけでも生き延びろ!」

とか叫ぶこいつ(サンマ)を助けようとして、

「バカ言うな!オレとお前はいつも一緒だったじゃないか!

 だったら死ぬ時だって同じだ!!」なんて叫んでたのかも知れん。



轟音を立てて巻き上げられる定置網が、こいつ(サンマ)と

あいつ(サンマ)を運び去ったその後で、たまたま惨劇を見ていた

こいつ(サンマ)の子供たち(幼稚園児のサンマ)が必死に

「お父さ~ん!行かないで~!!」とか追いかけてたりして。

で、こいつ(サンマ)の葬式がしめやかに営まれる昼下がり、

いつも下卑な笑いをたたえたイヤな上司もこの時ばかりは神妙な

顔をして参列し、先輩も同僚も部下も後輩も口々にお悔やみの

言葉をこいつ(サンマ)の嫁(サンマ)にかける中、

突如式場に現れたこいつ(サンマ)の愛人(サンマ)1号。

事情を聞いていた同僚(サンマ)は空気を読んで、

そっと愛人(サンマ)1号を式場の外に連れ出して

耳元でこう言ったのだろうか。

「ここはキミみたいな奴(サンマ)がくるところじゃない。

 愛人は愛人らしく日陰であいつ(サンマ)を悼みなさい。」

「で、でも、あの人はいつか奥さん(サンマ)と別れて

 私(サンマ)と一緒になってくれるって…。言ってくれてたのよ!」

すると鬼の形相をした女(サンマ)が一人(一匹)、

ものすごい勢いで二人(二匹)に歩み寄る。

その姿は愛人(サンマ)2号。

「ちょっとアンタ(サンマ愛人1号)、あの人(サンマ)はアンタ

 (サンマ愛人1号)の体が目当てだったのよ。その証拠にワタシ

 (サンマ愛人2号)とも毎週肉体関係があったんだから!」

「ウソ!ウソよ!!いつもあの人(サンマ)はベットで

 お前(サンマ愛人1号)だけだよ、ってささやいてくれて…。」

「はっ、どこまでもバカな女(サンマ愛人1号)ね。

 アンタ(サンマ愛人1号)は騙されてただけなのよ。」

 男(サンマ)なんてみんなそう。いつも体だけ…」

「アナタ(サンマ愛人2号)…。。。」



その様子を物陰からじっと見つめるこいつ(サンマ)の嫁(サンマ)。

その目は狂気をたたえ、ギリギリと音が立たんばかりに

歯を食いしばり、握りしめた両の拳(ヒレ)は固く

握りしめられていた。

次週、テレビサンマ昼の愛憎劇場第8話「復讐の女(サンマ)」。



と、そこまで考えた末に皿を洗いながら「初物は美味かったなぁ」

と感慨にふけりつつゴミ袋のクチをギュッと縛って捨てた。

それじゃ。

はいどうも、

潰瘍は友だちさ!

使用上の注意です。

いや、それはどうかと思うぜ、オレ。



とまぁ知ってる人は知ってるが、働き出して早6年。

その道のりは内蔵各地に潰瘍を作り続けた歴史

と言っても過言ではない、ハズ。

そんなオレの最新シングル(=潰瘍)が十二指腸潰瘍。

3rdアルバムからのシングルカットです。

今回の作品は鈍痛が長く続く様子をありありと

赤裸々に、かつアグレッシブに表現した意欲作で、

アーティスト本人もその出来栄えに苦悶の表情を

浮かべたとかいないとか。

特に、空腹時の痛みはどんな鉄面皮も人でなしも

冷血漢も目から汗をかくといういわくつき。

とにかく一度ダウンロードしてみよう。

まさにNow on sale!(意訳:売ってあげたいぐらい痛い)



ちなみにここまでの文章は今日のエントリとは無関係の、

全くもってフィクションです。

実在の痛みとは関係ありませんのでご注意を。

まぁ簡単に今日のエントリを紹介すると、ズバリ“一流の

潰瘍マニア”がお届けする驚天動地の潰瘍解説エントリ(大げさ

医療界騒然の原稿になる(予定な)のでお楽しみに。



【ここからが本題】

この潰瘍、罹患する原因は色々あるらしく、

暴飲暴食や不規則な生活、そしてストレスなどが挙げられるのだが

ヘリコバクターピロリ菌原因説、というのもある。

某ハリウッド映画で墜落したりさせたりしてるUH-60・

ブラックホークでも、災害時の救援物資搬送や兵員輸送で

おなじみCH-47・チヌークでもない、ヘリコバクターピロリ菌。

このボケが分からない人はggrks。



【改めてここからが本題】

オーストラリア人の研究者が発見し、何と自らの身体を

実験体としてその実在と発症の因果関係を証明したという

ヘリコバクターピロリ菌は、世界人口の約半分が感染している

といわれているほどの、大衆菌。

衛生状態が格段に悪かった近代では、ほぼ100%の感染率を

誇っていたと推定されているのだから大したものだ(何が?

こいつのせいで胃や十二指腸に潰瘍が発症し、

ヒドイ時には消化器系に穴が空くというのだから怖い菌だ。

しかも、一時的に潰瘍が軽快してもピロリがいる限り

慢性的に潰瘍が再発したり胃ガンの発ガン率が高まったり、

リンパ腫を患ったりと、八面六臂の曲者っぷり。

お前は元巨人の元木かと。

現代では除菌法が確立されているとはいえ

顕微鏡でしか見えない程度のちっぽけな存在に

ここまで人間様の健康が脅かされて良いものか。

全く。とっとと絶滅して欲しいものだ。

と思いがち。



が、しかし。

近年の研究ではピロリの保菌者はアレルギー性鼻炎や

小児喘息の疾患リスクが低いという結果が出ていたり、

胃ガンの発症リスクと引き替えに食道ガンのリスクを

低下させる仮説が提唱されたりと、悪いことばかりではないらしい。

しかも、ピロリを除菌した場合胃酸が分泌過多となって

逆流性食道炎やパレット食道を生じることもあるらしく。

もうどうすれば良いんだよと懊悩してしまうこと間違いナシ。

まさに、帯に短し襷に長し。



これ以上潰瘍は持ちたくないし、かといって

食道ガンとか逆流性食道炎になるのもイヤだ。

とか言ってたらピロリンに怒られるかなぁ…。

ワガママ言うな!って。

参ったな。

それじゃ。

はいどうも、

ハンドルを握ったら口が悪くなる、

使用上の注意です。

強引な割り込みとか、無理な追い越しを

かけられたときは口汚く罵るのがデフォルト。

まぁどうせ車内での罵詈雑言は誰にも聞こえないし、

特に罵る相手には聞こえるはずもないので

安心してボケカス言ってます(ダメな内弁慶)。

だって、腹が立つんだもん(キャピっ)。



とか可愛くしてみてもたぶん口汚さはカバーできずして、

助手席に座る人の眉をひそめさせる自信だけはあるんだぜ。

それが無駄であろうと何であろうと私は罵り続けるだろう。

世にはびこる無法ドライバーの無体なドライブを。

とかカッコつけてみてもたぶん性格の悪さはカバーできずして、

後部座席に座る人の気持ちを泡立たせる自信だけはあるんだぜ。

それが不要・無用な波乱・衝突を招いたとしても私は怒り続けるだろう。

世間にのさばる下手くそ運転手の無謀なドライブを。

とか文章全体で韻を踏んでみてもたぶん、ってもうええわ。

これ以上韻を踏むだけのボキャブラリーが足りん。



その辺がイチ・サラリーマンとして平々凡々な生活を送る

自分の限界であり、超一流の壁を乗り越えられない理由でもある。

人よりも多くの名声や人望や金銭や実益を得るためには、

人よりも多くの才能と努力と幸運と挑戦が必要なのであり、

それが果たして自分にあるのかどうかというところが問題なのである。

条件を充足している要素は何で、逆に不足している要素は何か。

自分の何を伸ばすべきであって何を改善すべきなのか。

結局人生も仕事も創作も結婚生活でさえも共通して

言えるのは、目標の設定と仮説の構築、実行と検証と改善の

サイクルであり、たゆまぬ努力と挑戦しかないのか。

そう考えるとまるで人生は、ハムスターの

回し車のようなもの、にも思えてくる。

まるでこんな感じ。



人生とは、常に手足を前に出し続ける瞬間の連続であり、

一秒でもその動きを止めた瞬間慣性で回り続ける車に

足を取られて吹き飛ばされてしまう運命(と書いてさだめ)。



そんな考えを敷衍して冒頭の自動車運転に当てはめてみる。

するとやはり車の運転も似たようなものかも知れず、

常にアクセルを踏むことで前進し続けなければならず、

それゆえに時として強引な割り込みや無理な追い越しを

かけなければならない、のかも知れないのか?

とすると無謀な運転を繰り返す彼または彼女らも

己の人生をより良くするために一生懸命アクセルを

踏み込んでいると考えられなくもなく、それを

一方的に責めるのも酷、なのかも知れないのだろうか。



んなバカな。

ハハッ(ミッキー風の嘲笑)。

それじゃ。


はいどうも、

中身のない文章でも毎日それなりの量を書き続けるのは

結構しんどいんだぜ?

使用上の注意です。

たとえ得るものが何もなく、むしろ

時間ばかりを失わせる駄文だったとしても、

そこには書いている人の思いとか深層心理とか

表に現れにくい気持ちが込められた非常に

気味の悪い文章なんですよ、割と本気で。

だから私は声を大にして言いたい。

「あんまり真剣に読んじゃダメだ、こんなブログ」って。



それにしてもヤマ場がないオチがないイミがない、

いわゆるヤオイな文章をこう毎日毎日書けるもんだと、

ちょっとぐらい褒められても良いんじゃねぇの?私。

だってよく考えてごらんなさいよ。

果たして毎日約1,000字の原稿を飽きることもなく

24日も書き続けることができる人はいるのだろうか。

いるんだろうなぁ。

世界は思っている以上に広い。

中には狂ったように意味のない文章を毎日毎日

書き連ねている人もきっといる、ハズ。

まさか私がKing of 変態というわけもなかろう。

それに、約1,000字の原稿なんて30分もあれば

出来上がる代物ですし、その中にはスペクタクルも

サスペンスもカタストロフもない、いわば最近

流行りの“セカイ系”に近い文章であるからして、

ますますそのハードルは低く下げられているも同然。

おいおい?このオレ様にこんな低いハードルを

設置するなんて、バカにしてるのかい?逆に。

とか陽気な黒人に罵られそうだ、FUNKYな感じで。



こうして自分で自分を卑下しては慰めの言葉を待つという

暮らしが続いているのですがご機嫌いかがでしょうか?

そろそろ慰めとか励ましとか賞賛とか絶賛とか、

ナンなら書籍化とかの声がかかっても良い頃だと

思うのですが、その辺りはどうなっているのでしょうか?

集英社、講談社、文藝春秋社、新潮社、

その他諸々出版社のみなさ~ん、

ここに原石が眠ってますよ~。

ボタ石ですけどね。

でもまぁほら、ボタ山の中にも磨けば光る

鉱石が眠ってるかも知れないじゃないですか。

急がば回れ、捨てる神あれば拾う神あり、

一度ボタ山を巡ってみるのも良いもんですよ。

出版社の仕事なんてそんなキレイなもん、

ばかりじゃありやせんぜ。

時にはどぶ板をめくって明日のベストセラーを

探すのが、正しい出版社の編集者像でしょうよ。



途中から書籍化を熱望するただの痛い人に

なっている気がしないではない今日この頃ですね。

ただ、ここで正直にネタバラシしますと、

今回のエントリは完全に暇つぶしである。

いつも以上に意味はない。

まぁ強いて言うなら“書籍化希望”、か?

タイトルは未定だが、書き出しは決まっている。



「タイトル未定」

吾輩はヒマである。

意味はまだない。



と、文豪を気取って去る。

それじゃ。

はいどうも、

今日の話は少し汚いのでご注意を、

使用上の注意です。

現在食事中、もしくはすぐ後に食事する

ご予定のある方は今すぐ、

食事を止めるか食事の予定を中止すべきだ。

そうしなければ人生の3/4を損するだろう。

というか損してしまえ。



諸々の事情を鑑みて下腹部内視鏡検査を受けることになった。

知ってる人は知っているだろうが、肛門からカメラを

挿入して直腸から大腸・小腸までを撮影していく例の検査だ。

正直肛門からカメラを挿入するコト自体抵抗を感じるのに、

花も恥らうお年頃のこの私がアラレもない姿を医者に

晒さねばならないのが最大の苦痛だ、と思っていた。

が、現実はさにあらず。

検査前に腸内をキレイにする薬を飲む必要があり、

これがクセモノだった、最大の、最強の、最恐の。。。



その名は「ニフレック」(味の素謹製)。

これが糞不味い。いや、正確に言うと薄い塩味。

というより何だ、しょっぱさが極端に薄くて

無味なら無味の方が良いのになぁ、って感じで。

少なくともクチから摂取するものに対して

私がこれほど不味いと評価することはかなり稀である。

多少味が濃かろうが薄かろうが文句を言ったことのない

(特に嫁の料理に対しては言ったことがないのが、私の

数少ない自慢であるほどの)この私が、これほどまでに

不味いと連呼するのであるから相当である。

しかも、この糞不味い薬液を2リットル、1時間半程度で

飲み干せと言われるのだから始末に悪い。

ただでさえ一日2リットルも水分を飲まない

私としては、2日分にも相当する量をたったの

1時間半で飲めとは無理も良いところだ。



大腸カメラ検査は、大体数名ずつ行われるらしい。

で、私と同じ組になった方々はおじいさん×2、

おばあさん×2の計4名。

この人たちがスゴかった。

いや、別にその人生経験が波乱万丈だったり

反社会勢力の親玉だったりしたわけではない。

件の糞不味い薬液(2リットル)を1時間足らずで完飲。

びっくりした。えぇ、びっくりしましたとも。

この糞不味いニフレック(味の素謹製)を

いとも簡単に飲んでいく老人たち×4。

中にはかれこれ10回以上この検査を

受けた方もいてまさに歴戦の猛者。

その方が言うには、これでもまだマシになった方らしく、

昔はニフレックのような洗腸剤がもっと不味く、

しかも1時間半でそれを4リットル飲まなければ

ならなかったそうだ。



そう考えるとその前日に飲み込まされた胃カメラも、

最近では鼻から挿入するタイプがあるらしく、

そちらはえずいたり吐き気を催すこともないらしい。

この先何十年も経てば検査はもっと楽になるのではないだろうか。

胃カメラはもっと小さくなり洗腸剤はもっと美味しくなるとか。

どうやら生まれてくる時代を間違えてしまったのだろうか、私は。

いや、そうではあるまい。

どんなに時代が変わっても、嫁の強欲も傲慢も独裁も

難詰もワガママも、何ら変わらないだろうから…。



残念です。

それじゃ。

はいどうも、

人体は小宇宙だ!

使用上の注意です。

と、またオチをよく考えずに

思いついた言葉を叫ぶ悪いクセが出た。

大体、いつも俺の記事は「だからどうした」的な

愚にもつかない内容が多くて、読む人に感動どころか

笑いも発見も気づきも学びも提供しない。

せいぜい嘆息とか失笑とか嘲笑とか眼精疲労とか、

その程度のものしかお届けできないのであるからして。

そこまで言ってこのブログの存在意義やら

更新理由さえ陽炎のように消えそうな予感すら抱かせる。

この自家撞着っぷり。

自己否定っぷり。



こうして自らの手をもって自らの首を絞める。

何というマゾヒズム。

実生活では名うてのサディストという評価を

欲しいままにしているこの俺が、電脳空間に書き連ねられた

ブログ世界に於いては自らの死すら厭わぬマゾヒストとは青天の霹靂。

これぞ「俺死すともブログは死せず」。

本人が死んでそれ以上の生き恥を未然に防いだとしても、

0と1で構築された無限のインターネット世界では(ブログ運営会社が

倒産しない限り)未来永劫恥を晒し続ける様子を端的に表現してみた。

が、ここまで書いて冒頭のある意味名言「人体は小宇宙だ!」から

1万光年ぐらい離れてしまったことにハタと気づく。

これはイカン、偉そうに宣言してしまった以上

何らかの結論なり落とし所なりオチなりを提示せねば、

ブログとしての最低限のマナーさえ破ってしまう。

文章を書く上での“夢オチ”と並ぶタブー、投げっぱなしは避けねばならん。



閑話休題。



人体は小宇宙である。

間違いない。

なぜなら、外の世界から客観的に伺える表面積、

の数倍以上の面積が人体には内蔵されているからだ。

口内の形状からして複雑怪奇。

歯と歯茎が上下にあって、舌もあり喉チ○コがあり、

もっと言えば歯のひとつをとっても同じ形はなく

入り組んでいるのだから、それらを平板に延伸すれば

何だか顔の表面積以上の広さを誇りそうな予感である。

食道と気道、胃・十二指腸・小腸・大腸・直腸には

無数のヒダがあり、肺には肺胞があり、脳味噌にも

数えきれないシワがある。

仮にそれらの収縮した内臓・体内器官を全て平面に

伸ばしてみれば、一体どれだけの面積があるのだろうか。

さらに言えば面積だけでなく、機能や役割も千差万別。

食物を咀嚼して内部に送り込んで消化して

栄養素を吸収して毒素を排出して便として排泄する。

大気を吸入して酸素を取り込んで不要な気体を

排出して、取り込んだ酸素はその他の栄養素と

一緒になって体の隅々まで送り込まれて、

筋肉が収縮して各器官が外部世界を認知して

再構築して記憶して呼び出して

泣いて笑って怒って悲しんで…。



それらの全てが“1人”という一個独立した

人間の中で完結する奇跡。

これぞまさに小宇宙。



ん?無理やり?

そうかも知んない。

でも構わない(盛大に投げっぱなし)。

それじゃ。

はいどうも、

病めるときも健やかなるときも

ひねくれることを誓いますか?

誓います(キッパリ)、

使用上の注意です。

面白きことも無き世の中を面白く、

とは高杉晋作の辞世の句(らしい)。

とはいえ、人間一人裸一貫で何ができる?

面白い世の中ってナンだろう?

とか考えだすと己の無力さを痛感したり面白さの

解釈について三日三晩悩みそうな予感しかしない。

だがちょっと待った。

人間なんて自己の認識の中でしか

世界を構築できない生き物なんだから、

結局世界が面白いかどうかは自分の考え方次第だろ?

であればひねくれずしてどうする、世の若者よ。

“普通”であることに飽きた諸兄だからこそ

世の中を斜から見るべきなんだよ、ワトソン君。

それがこの世の処方箋。

生活のモチベーションを高める特効薬。

そうじゃないかい?財前先生。

考え方次第でこの世界はネズミ色にも

レインボーカラーにもなるんだ、のび太君!



ひねくれ=善。

でも、世間はそう考えない。

やれ素直は美徳だとか言われたことをそのままやれだとか、

やれやれだよ全く。

俺が言いたいのはそんなことじゃないんだ。

もちろん先人たちの教えに従い、金科玉条のごとく

墨守することで見える世界もある。

というか初心者・初学者はそうすべきだ。

また、人間は日々、毎秒毎秒新しい人生の一歩を

新たに踏みしめていくのであるからして、毎秒毎秒新人?

その点に着目すれば自己紹介はこうなる。

こんばんは。30歳と6ヶ月と2日と3時間32秒の新人・○○です。

あ、30歳と6ヶ月と2日と3時間33秒の新人・○○です。

おっと、30歳と6ヶ月と2日と3時k、

いやちょっと待ってください、30歳と6ヶ月と2日と3時間39秒?

あれ?もう40秒?とにかく新人・○○です。

やっとれんわ。



脇道にそれた。

仕事や勉強、部活動なんかは上司・教師・先輩の

言うことには一理あるケースが多い、たぶん。

だから最初はまず素直に言うことを聞いた方が良い、たぶん。

だから別にそういう指示・指導の類を無視しろとか

無手勝流に自分のやりかたを押し通せと言いたいわけではない。

オレ流なんてのは三冠王を取ってから言おう。

そうではなく、世界や人生を眺める視点をひねくれろと。

りんごが赤いのは当たり前で、光は音よりも早い。

そうした至極当然の摂理を素直に受け取れば、

それ以上の変化や刺激はもはやない、たぶん。

で、素直な視点でモノゴトを見つめれば、いずれ飽きる。

というか飽きた(個人的感想)。

だからこそひねくれろと。

ちょっと斜めから世間を見てみようと。

そうすれば新しい世界がきっとキミを待ち受ける。

舌なめずりして!(何が起こる?)



まとめる。

結局誰に何を言いたいのか。

関係各位に告ぐ。

ひねくれさせてくれ!

正当化完了。

それじゃ。

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