新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2012年04月

はいどうも、

ゴールデンウィークの、

どのあたりがゴールデンなのかイマイチ疑問、

使用上の注意です。

単なる長い休みじゃねーか、的な。

それはまぁともかく。

今日は最近気になってるアーティストを紹介したい。

でもアレだ、論より証拠。

百聞は一見にしかず。

あぁだこぉだとのたまう前にとっとと見てもらった方が早い。



今回ご紹介するのはコチラ!



どうよ、どうよコレ。

良くね?カッコ良くね?

ダンスの技量云々はよく分からんけど、

ネオンを使ったアイディアが良いなぁと。

ちなみに、メイキング映像はこんな感じ。



賛否両論はあるだろうけど、

ま、素人の意見というコトでココはひとつ、

穏便に済ませて頂けませんですかねぇ、えぇ。

ロングver.も紹介しときますけぇ。



あ、肝心なコトを忘れてた。

このダンスはWrecking crew orchestraというダンス集団のパフォーマンスですって。

キイタ?( ゚д゚)オクサン(゚д゚ )アラヤダワァ



何だか実のあるようなないような、

何ともいえない虚無感漂う更新になってしまった。

ま、たまにはこんなエントリでも良いじゃないか。

だってゴールデンだもの。

それじゃ。

はいどうも、

自己評価と客観評価のギャップなら誰にも負けない、

使用上の注意です。

非常に甘い自己評価とそうではない客観評価の間に、

多分5人家族がゆうに暮らせるスペースがありそうだ。

いわく、ムダに広い。



それはそうと、

こうした自己評価と客観評価の溝は

世の古今・洋の東西を問わず古くから

人々を悩ませる大問題だ、多分。

特に、会社や学校、地域コミュニティなどのいわゆる

“社会”との関わりなくして生活が成り立たない現代人にとって、

その乖離は来るべき未来を左右しかねない。

なぜなら「オレって仕事バリバリこなして成果もバンバン」と

自分を評価していたとしても、『アイツの仕事はどこか

ピントがズレてて使えない』と客観的に評価されていたら、

「こんなに頑張ってるのにウエは評価してくれない」という思いと

『長い目で様子を見たけどやっぱり使えない』という評価が行き違い、

最終的には「辞めてやる!」『辞めてもらおう』というコトになって、

お互いにとって不幸な終幕を迎えてしまうからだ。

仕事に限らず、学校でもクラブでも塾でもご近所付き合いでもママ友でも、

“自己評価と客観評価の乖離”問題から逃げるコトはできないのである。



この厄介な“自己評価問題”について、

我々はどう振る舞うべきか?

高い自己評価と低い客観評価は、双方が不満を抱えてしまう。

であれば、極限まで自己評価を下げてしまえば良いのか?

少なくとも、(自分から見て)低い客観評価という概念が

なくなるのだから、一見問題なさそうだ。

が、それはそれで別種の問題を孕んでいるだろう。

何よりも達成感・やりがいを感じられず、自信が生まれない。

だって、どれほど成果を挙げたとしても自己評価が辛すぎると

「いやいや、私なんてもんは何をやってもダメな人間ですから」

なんていう結論に落ち着いてしまうから。

そんな人生はイヤだ。

それに、“評価する側”からしてもやっぱり、

『もっと手柄を誇ってくれないと評価しづらい』とか思われがち。

ちっ、めんどクセェ



まぁ理想を言えば、妥当な客観評価という前提があって、

その水準に限りなく近い(あるいはやや低い)自己評価が

実現できたとき、適度な飢餓感と達成感が両立できると思う。

ただ、そもそも“妥当な客観評価”とはなんぞやと考え始めると、

客観評価の妥当性を判断する客観評価が必要となり、

客観評価の妥当性を判断する客観評価の妥当性を判断する(以下ループ、

となって終わりがない。

一方の自己評価にしたって、客観評価の水準をどこに置くかで

結論は全く異なってくるのだから、結局答えなぞない。

つまるところ、自己評価にせよ客観評価にせよ

絶対的最適解がないのであるからして、

やはり我々は今後もこの問題に悩みながらもどうにか付き合っていく他ないだろう。

あとは野となれ山となれだコンチクショウ。



個人的な感想を以ってオチに代えるとするならば、

自己評価と客観評価の間に横たわる

5人家族向け相当のスペースを取り敢えず、

3人家族向けぐらいまで狭くしたいなぁ、と。

夫婦+赤ちゃん一人ぐらいのイメージ。

それじゃ。

ブログネタ
何かから逃げ出したくなったら、どうする? に参加中!
はいどうも、

趣味は現実逃避、

使用上の注意です。

俗に言う「妄想」ってヤツですね分かります。

何かあればすぐに辛い現実から逃げ出して、

何もかもが思い通りに動く夢の世界へ旅立つ訳でして。

そこではジブンこそが神であり王であり君主であり主人であり。

うるさい小言を連ねる例のヒトもいなければ

無茶ぶりを連発する例のヒトもいない、桃源郷。

あまり多用すると現実世界へ帰って来れないので要注意、ではあるが。

それでもヒトは現実からシッポを巻いて逃げ出すのである。

そんなオレに対してライブドア先生はこう問いかける。

「何かから逃げ出したくなったら、どうする?」と。



それはもうコンマ何秒、電光石火の勢いでオレは答えるよ。

「脱兎のごとく、クモの子を散らしたように、逃げ出します」って。

古えの先人たちも教えてくれているじゃないか。

「三十六計逃げるに如かず」的な。

それに最近は“頑張りすぎない”コトが流行してるし、

あんまり四角四面に頑張ってしまうと胃腸を壊す。

ストレスって、怖いんだぜ?

だから逃げたって良いんだよ、シンジ君。

そんなにジブンを追い込まないで、

「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ(以下ループ)」とか言わないで、

しんどいときはとっととその場を離れてしまえば良いんだよ。

現実逃避は悪いコトじゃない。



と、こうしていくら喉から血が出るほど力説してみても、

「現実逃避」という言葉にはやっぱりネガティブイメージがついて回る訳で。

高度経済成長を支えたエコノミックアニマルこと、

団塊企業戦士御用達のドーピングドリンク・リゲインでさえ

『24時間戦えますか』という金看板を降ろしたというのに、

やっぱり「逃げる」という語感にどことない後ろめたさを感じてしまう。

これでは安心して妄想世界のエルドラドへは駆け込めない。

一瞬の安息のために社会的評価を下げていては、逆にストレスがたまる。

ここはひとつ、何とかして「現実逃避」とか「逃げ出す」とかの

ネガティブイメージを払拭できるような、新しい概念が考えるべきではなかろうか。

辛いコトからついつい目をそらしては「ヘタレ」のレッテルを貼られてしまっている、

迷える子羊たちのためにも、オレが一肌脱ぐべきときが来た。

「何かから逃げ出したくなったら、どうする?」だと?

オレは決して逃げないぜ。

逃げるわけないじゃないか。

答えはひとつ。



「柔軟に対応する」(ドヤァッ)。

あと、末筆ながらタイトルと本文はあんまり関係がないコトを記しておく。

それじゃ。

はいどうも、

悪いコトは立て続けにやってくる、

使用上の注意です。

つい先日会社PCに接続していた外付けHDDがお亡くなりになられたと思ったら、

今度は会社PC本体がご臨終召された。

先に亡くなった外付けHDDの後を追うかのように…。

まったく、何たる不幸。

こうも忌み事が続くと、何だか薄気味悪い心持ちさえしてくる。

まぁ前兆はあった。

チェックディスクが勝手に始まったり

突然ブルースクリーンが出現してオレも顔面ブルースクリーンになったり、

昔のデータがどこを探しても出てこなかったり、

思い返せば会社PCは消え去る命の最期の輝きをもって

オレに警告を発していたんだろうなぁ。



ただ、その時点で取り得る対処法として、

選択肢があまりにも少なすぎたコトも否めない。

エラーメッセージを解析して対症療法的に手当てを重ねてはみたが、

いかんせん電源投入から7年もの月日が経過した今、

不具合を根本的に解決する治療法は皆無に等しい。

普通ならそこで、設備の更新を具申して真新しい相棒とともに

新たな夢物語を紡ぐべきところだが、その辺は大人の事情で詳述を避ける。

ひとつだけ言えるのは、『PCの減価償却期間は4年』の一言のみ。

ともかく。

諸君らの愛したPCは死んだ、何故だ?

「ふっ、アイツは死んだんじゃねぇ。殺されたんだ」。



さて、ここでオレに懺悔の機会を与えてもらえるだろうか。

いや、まぁイヤだと言われてもぶちまけるんだけれども。

お聞きください、神父様。

私は悪い男です・・・…。。。

会社PCが息を引き取ったその瞬間、

オレの脳裏の奥の奥ではどす黒い思惑が蠢動を始めていた。

(これで最新スペックのマシーンが手に入る!)と。

我ながら下衆の思考であるコトは重々承知している。

だが、現代社会を生きるにはあまりにもヤツ(会社PC)は非力に過ぎた。

PC上での作業一つ一つに挟まれる処理ラグは、生産性を著しく低下せしめる。

許せ、会社PCよ。

オレはオマエの死を、心のどこかで歓迎していたのだ。

許してくれとは言わない。

ただ滂沱の涙を流すオレを、草葉の陰から見ていてくれ。



そして、時は進む。

いよいよオレにもニューマシン♪

とっとと担当部署に内線して手配してもらおっと。

オレ「(プルルルルルル)あ、ゴメンゴメンPCの件やけど、やっぱりCore i7の…」

担当者「あぁあれっすか。さっきクリーンインストールが終ったんで、
    後で持って行きますね」

オレ「えっ?!」

担当者「えっ?!」



会いたかったぜ!相棒!!(涙

それじゃ。

はいどうも、

会社PCの外付けHDDがお亡くなりになられ、

思いもよらないところで諸行無常を強く感じた、

使用上の注意です。

HDDにアクセスできなくなったときのオレの顔色は、

まさに沙羅双樹の花の色。

盛者必衰の理を表しておったとさ。

驕れるものも久しからざるわけで、

全ては春の夜の夢に同じ。

つまり、データは霞と消える。



それにしてもHDDが死亡すると痛い。

逝ってしまった彼(=外付けHDD)の、

臨終の痛みはそれこそ筆舌に尽くしがたいものだろうが、

それを静かに見守るコトしかできないオレの痛みも遥かに巨大だ。

彼(=外付けHDD)にはこれまで手がけたものやまさに現在進行中の

案件に関するデザインデータ、原稿、プランニング資料、そして

写真素材から音楽データまで、ありとあらゆる情報をつめこんでいた。

それらが一瞬にして失われたのだから何をかいわんや、だ。

まぁ最近は同時並行で進行する案件の数がやや落ち着いていたので、

緊急対応が必要なデータはあまりなかったコトが不幸中の幸い。

繁忙期を外して息を引き取った彼(=外付けHDD)の、

最期の心遣いであろうか。



だとしたら、今更ながら彼(=外付けHDD)に対する愛情が

後から後から溢れ出てくる。

もっといたわれば(チェックディスク)良かった、

もっと優しくすれば(連続運転の自粛)良かった、

もっと仲良くすれば(デフラグ)良かったなど、

自責の念でオレの胸は一杯になる。

しかし、現実は残酷なものだ。

どれだけ惜別の思いを書き連ねたとしても、

失われた命(=データ)や彼の笑顔(=外付けHDDの稼働)は

二度と戻ってこない。

諸君らが愛してくれた外付けHDDは死んだ、何故だ!

「フッ、寿命だからさ…」。

カランッ(麦茶を飲み干す音)。



とはいえ。

無機物に対する愛情をこれ以上熱く語ってしまうと、

日頃から「変人」の評価をほしいままにしているオレとしても

あまり歓迎できない事態を招いてしまうだろう。

そう、「変態」呼ばわりだけは避けねばならん。

さもなければ逝ってしまったアイツ(=外付けHDD)に顔向けもできないじゃないか。

アイツ(=外付けHDD)のためにも、

オレは「良識ある変人」としての道を歩まねばならんのだ。

力強く、堂々と、雄々しく。

そしていつの日か、アイツ(=外付けHDD)の墓前に捧げるのだ。

新しい外付けHDDの箱を。



まとめる。

HDDの寿命は、ヒトが思うほど長くない。

特に、連続稼働などの過酷な環境で使用される

仕事用となれば、ますます死期が近づいてしまう。

不調の前兆を敏感に察知し、速やかに対応すべきだ。

賢明なる読者諸兄も肝に銘じて頂きたい。

我々は決して、戦友(=外付けHDD)の死をムダにしてはならない。

そう心に固く誓いつつ、

外付けHDDの新製品をチェックしにAmazonへ、去る。

それじゃ。

はいどうも、

猫大好きフリスキー、

使用上の注意です。

何が好きって猫が好き。

猫が飼いたい飼いたい飼いたい。

臆面も外聞も恥ずかしげもなく全世界に向かって

「猫飼いてぇぇっ!!」って叫べるぐらい、猫が好き。



ただ、そこはやっぱり我が不倶戴天の敵にして

我が家の絶対専制君主であらせられるMy Sweet 暴君・嫁が立ちはだかる。

彼女はなんと動物全般アレルギー。

しかも、別に獣がそばにいると鼻水が出るでも

目がしぱしぱするでも蕁麻疹が出るでもない、

ただ「怖いから」とかいうよく分からない理由の、動物アレルギー。

ふざけてやがる。

そりゃぁもちろんオレだって、血も涙も人一倍ふんだんに

ご用意してお客様のご来店をお待ちしている人情派サラリーマンですから、

愛玩動物の存在がパートナーの身体的な不具合を生じるような事態は

全力で回避させて頂きたい所存でありますよ、えぇ。

でも、「怖いから」って何だよコンチクショー。

そんなんだからあなた様は暴君であって独裁者であって、

恐怖の大王として我が家に君臨され奉っておられるのです、くそぅ。



「怖い」なんて何とか克服してくれよ。

その一歩を踏み出す勇気さえあればあら不思議、

家内安全・所願成就が叶うコト請け合い!

それなのに!それなのにっ!!

何度「猫飼育の請願」を提出しても「猫飼育法案」を提出しても、

吉野作造ばりに直訴しても、ことごとく却下却下アンド却下。

そろそろクーデターでも起こしてやって、

どっちが上位なのか思い知らせてやろうか、

などと後ろ暗い企画を温めているとMy Sweet 暴君・嫁が一言。

「猫のどこが良いの?」

よし来たホイ来た、これぞ猫飼育に向けて暴君説得の千載一遇のチャンス。

ここぞとばかりに猫の魅力を語って進ぜよう。



暴君「猫なんて気まぐれで、呼んでも近くに来ないから可愛くない」

オレ「何をおっしゃいますやら我が君。猫の第一の魅力は、その媚びなさ。
   己の気の向くままに行動する気まぐれっぷりが、逆に可愛さになるのです」

暴君「呼んでも来ないくせに、ジブンが遊びたくなったら寄ってくる」

オレ「それが良いのでありますよ。飼い主が呼び疲れて別のコトをすると
   途端にすり寄ってきて邪魔をする。それがまた良い」

暴君「つまり、気まぐれで気分屋で言うコトを聞かないのが猫の魅力?」

オレ「言葉にトゲは感じますが、概ね御意にありまする」

暴君「じゃぁ私がいれば良いじゃない」

オレ「っ…!」



いつの日か我が悲願の成就されるコトを切に願って、去る。

それじゃ。

はいどうも、

仕事用PCに接続している外付けHDDが絶賛不具合中、

使用上の注意です。

バッドセクタがどーちゃらこーちゃらでPCまでもが起動せず、

チェックディスクをするにしても時間がやたらかかり、

仕事に必要なデータのサルベージもままならずで八方ふさがり。

問いかけたい。

社会に広く問いかけたい。

この世に生ける全ての森羅万象にあまねく問いかけたい。

何をどうしろと?



まぁ答えはすでに出ているのであって、

コトここに至れば何ができるというわけでもなく。

ただただチェックディスクが無事に終了して

バッドセクタが修復されるコトを祈るのみ、なのではあるのだが。

というか、パーソナルコンピューター様ともあろうお方が、

この科学万能の21世紀において最後の最後は神頼みって、どうなのよ。

人間の脳味噌を遥かに超越する計算能力をお持ちであらせられる

パーソナルコンピューター様ともあろうお方が

物理的に実証さえ不可能、または困難な「神」に頼らねばならぬ。

そう考えれば車は空を飛ぶ気配さえしないし、

自動操縦機能だって一部の実験車両しか実装できていないし、

月に人が住んで火星探査へ出かける予定もないし、

我々が思うほど人類の科学技術力というのは発展していないのかも知らん。

なんたるコトだ。



オレが子供の頃は、超音速ジェットが自動操縦&1時間足らずで

東京~大阪を結んでいたり、電話はテレビ電話、かつ3Dホログラムが

動いたりしゃべったりして、お手伝いロボットが人口を凌駕する勢いで普及したり

スペースコロニーへの移住が一段落したと思ったら一番地球から

遠いコロニーが地球連邦に対して独立宣言をかましたり、

それが原因で戦争が起こって巨大人型兵器がオンナスキー粒子を散布しては

有視界戦闘がメインになってたりする未来を想像していたものである。

ところがどうだ?

どんなに急いでも東京~大阪間は2時間半を要するし、

その列車の運転には人の手が必要不可欠で、

テレビ電話があっても料金が高くて誰も使わないし、

むしろテレビ電話だとパジャマ姿がばれて不味かったり、

猫型どころか人に似ても似つかない小型ロボットが

二足小走りしただけで全世界の賞賛を浴びる始末。

でも、ASIMO可愛いよASIMO。

ゴ、ゴホン。

それに、宇宙領域に至ってはようやく火星の写真が撮れたレベル。

こんなの、オレが思ってた未来じゃないやい。



でも、それは科学技術のせいだけではない。

結局つまらん理由で人は未だに争い、憎み合い、

しょうもない理由で人は仕事を辞め、ダラダラと過ごし、

どうでも良い理由で人は惚れた腫れたを繰り返す。

どれだけ科学が発展しても、やっぱり人は人なんですよね。

優れた機械も、それを操る人次第で便利にも不便にもなるわけで。

そんな、しょうもない、でも愛しくて悲しい生き物からのお願いです。

仕事用PCさん、お願いだから動いて!!!

それじゃ。

はいどうも、

何だかよく分からないうちによく分からない連載が始まってしまった、

使用上の注意です。

しかも何だか恥ずかしい。

まぁ書き始めてしまった以上、

何らかの結論なりオチなりを用意するのがブログのマナー。

え?そんなマナーなんてない?

それに今までオチがないエントリばかりじゃないかって?

うるせー(暴言)。



前回はとある女性との別離と再会を描いたが

取り敢えずその続きを書く。

中学時代は顔見知り、高校時代は音信不通、

大学時代の半分をそのまま交流なく過ごし、

残りの半分で再び動き出したオレと彼女の歯車。

お互いに別々の恋をし、別れを重ね、また新たな恋と出会う中で、

家が隣となればお互いの相談役となるのは自然な流れ。

相談という潤滑油を得た二人の歯車は、スムーズに咬み合って回り始める。

深夜の公園で、互いの家で、家の前の路上で、

二人は様々な内容で言葉を重ねていく。



ただ、今さらながらここでひとつ彼女には

謝っておかなければならないコトがある。

この連載タイトルにあるように、オレは素直ではない。

相談をしているように見せかけて、

オレはほとんど本音を打ち明けていなかった。

すまん、○○○よ。

あ、○○○には彼女の本名が入る。

でも、多分だが、彼女もオレのそんな性質を承知していたハズだ。

なぜなら彼女はコトあるごとにこう言っていたから。

「○○よ、素直になれって」と。

あ、○○にはオレの本名が入ります。



そんな互いに互いの心の奥底まで理解しあう関係が、

いつしか深い男女の関係になるのにそう時間はかからなかった。

きっかけは彼女の大胆な行動。

細かいコトはまぁ良いじゃないか。

とにかく、オレと彼女はそういう関係になった。

年相応の幼さと年相応の距離感で二人は肌と時間を重ねていき、

逢瀬を重ねる中で喜びも怒りも哀しみも楽しみも二人分。

当然オレは持ち前のひねくれっぷりを発揮して、

ほとんど本音を表現しない。

それでも彼女はオレの性格を織り込んだ上でオレの真意を推測してくれた。

ところが、そんな彼女がある時甘えたように囁いた。

「なぁ、たまには本音で好きって言って」って。

こっ恥ずかしいが、事実だ。



その時のオレは正直、どうかしていたんだろう。

いつもなら鼻で笑うクソ甘ったるい彼女の提案に乗ってしまった。

「好きやで、○○○」って。

そしたら彼女は何て言ったと思う?

びっくりだよ、本当に。

彼女は心の底から笑いながら言ったのさ。

「きも~いw」って。

一応、オレと彼女の名誉のために補足しておく。

本音を言わないオレとの付き合いが長くなるにつれ、

オレ=いつも冗談ばかりで真面目に応えてくれないキャラ

という図式が彼女の中で完成してしまい、そんなオレが

柄にもなく真面目に好きだとか言ったもんだから、

どうしようもなく違和感を抱いたんだとか何だとか。



とにかく、オレはそれ以来人に本音をもっと言わなくなった。

これこそ、オレが素直にならない理由に他ならない。

というか、こうして恥を忍んで自分の過去をさらけ出し、

引き替えに得られるものが果たして何なのか、

何だかよく分からない。

それじゃ。

はいどうも、

「素直になれよ」とよく言われる、

使用上の注意です。

どうも本音を出すのは難しいもので、

ついつい冗談めかしてしまったりウソをついたり、

はぐらかしたり全体の1割だけ本音を混ぜたりで、

まっさらな本音を全てさらけ出すコトは滅多にない。

そのせいでいらぬ衝突や誤解、あるいは理解不足を招いて

結果的に自らの首をしごく効率的に締めてみたりするんだけど、

三つ子の魂百までとはよく言ったもので無意識的に本音を隠してしまう。

これじゃあイカンなぁと思うときもあるけれど、

早くも三十路2年生の扉を叩いてしまった身としては

もはやこれまでと潔くひねくれ者の汚名をかぶり続けようかと

思わなくもない。



そういえば「素直になれよ」と言われるたびに思い出すコトがある。

いや、正確に言えば『思い出す人』であって、

もっと正確に申し述べれば『思い出す女性』なのだが、

取り敢えず「素直になれよ」エピソードとある特定の女性が

密接に結びついていると考えて頂ければ今は良い。

彼女の家はかつてのMy Sweet 監獄・実家の隣にあり、

小学校卒業と同時にその地へ引っ越してきたオレと彼女は

同じ中学に学んだ、いわゆる同窓生ってやつでもある。

といっても同じクラスになるコトもなく、

オレと彼女の関係はただ家が隣の顔見知り程度だった。

その後県立高校へ進んだオレと、県外の私立進学校へ進んだ彼女は

一旦別離を迎えるコトになるのだが、ひょんなコトから二人の人生は交差する。



大学生活も2年目を迎えたある日。

人生で2度目のアルバイトだったファミレスを

何となく飽きたからとかいうどうしようもない理由で辞めたオレは、

そろそろ次のバイトを見つけようと折り込みチラシに目を走らせていた。

見つけたのは、自宅から徒歩5分のところにあるジャスコの店員。

昔から客として通っていた店というコトもあり、

何となく面白そうだからというどうしようもない理由で応募を決め、

履歴書を書き面接を受け、気づけば紳士下着売り場の一員として

配属されていたのだった。

その隣の紳士服売り場に、彼女がいた。

隣の家の、彼女だ。



中学卒業以来となる再会はここで改めて書くほど

劇的なものでも何でもなくて、「お~久し振り~」ぐらいの

気を抜いていればそのまま過ぎて行くかのような日常の一コマだった。

それでも、中学時代とは違う関係性が年を重ねた二人の間に築かれるのは、

もはや必然だったのかも知れない。

とはいえ、すぐに変化が訪れたのでもない。

再会からは何事もなく1年の月日があっという間に過ぎ、

その間にもオレと彼女は別々に恋を重ね、

それと同じ数だけの別れを重ねていたのだから。

やがてオレが大学を卒業し、未来の見えないフリーター生活を

怠惰に過ごしていた頃、一浪の彼女は卒業を迎える。

そのとき、歴史は動いた。

俺自身にとっても彼女にとっても、

思ってもいなかった方向へ、大胆に。



意外なコトにこのエントリ、続く。

それじゃ。

はいどうも、

過去の思い出に耽るようになりだしたらもう

オッサンの仲間入りだと思う、

使用上の注意です。

「よく分からんからちゃんと説明しろ」とのお声には応えよう。



後ろ(過去の思い出)ばかり振り返るようになるというのはつまり、

未来の経験よりも過去の経験に価値を見出しているコトの証左であって、

未来への希望よりも過去への羨望が勝っている状態だといえる。

つまり、これまで蓄積してしまった数え切れない経験値が、

やがてくる未来に対する想像力のレンジを狭めるわけだから、

既知の事実を積み上げた未来しか想像できなくなる、のか?

未来に対する「想像」が「予測」になってしまう、的な。

ImaginationForecastの違い、と言えば分かってもらえるだろうか。

そうなると、未来で得られるはずの驚嘆も発見も興奮も

いつかどこかで見たような感じたようなものだとしか今は思えず、

結果新鮮味に溢れていた過去の経験にすがってしまう、のか?

ということは未来の話に目を輝かすコトができるのは

精神的な若さを証明してくれる、のか?



いや待てよ。

精神的な若さとはすなわち“幼さ”と言い換えるコトもできるのだから、

人一倍“子供扱い”されるのが嫌いなオレとしては

あんまり歓迎される評価ではないような気もしないではない。

なぜ子供扱いに嫌悪感を抱いているか、

その理由を詳らかにするにはあまりにも時間と紙面と労力と

能力が欠けているのでここでは割愛するとして、

自らの精神的幼稚性をひけらかすべきか、

それともオッサン臭さを自虐するべきか、

どちらが今のオレに必要なコトなのだろうか。

一瞬、金髪碧眼の妙齢西洋白人女性が「As you like!!」って

陽気に笑いかけてくる図が頭をよぎったけれど、

どちらの回答も英語で表現する術を持たないオレとしては

ただただ曖昧な笑顔をたたえて「Thank you」と

ただただ曖昧な返答を返すのが精一杯だなぁとか想像してみた。

すると、そんな小市民的自分に対する情けなさを情けなく思うやら

日本人としての枠にハマったティピカルな反応に少しだけ安心するやら、

もう何が何だかよく分からない。

そうだ、精神を若く保つ方法だ。



ポイントは、「not 予測、but 想像」。

今ある情報から起こり得る未来を“予測”するのではなく、

無限の条件設定から自由気ままに未来を“想像”する。

読者を置き去りにして、縦横無尽に己の未来を思い描く。

今できないコトも今知らないコトも今手に入れていないコトも関係なく、

あらゆる軛をを解き放って飛び立つんだ。

何も描かれていない真っ白なキャンバスに筆を入れる。

誰も踏み荒らしていない初雪の雪原に足を踏み入れる。

1本も命中してないい的に最初の1本を的中させる。

そんな高揚感を手に入れよう。

何が見える?何が聞こえる?

オレはそこで、どんな夢を見る?

さぁみんなも未来を想像してみよう。



いつも通りオチなどあるわけもないが、

まぁ若さ故の過ちと思って、許し給へ。

それじゃ。

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