新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2012年09月

はいどうも、

最近何やら日本の海が騒がしいけど

こっちは自分の周辺が騒がしくてそれどころじゃねぇ、

使用上の注意です。

竹島だろうが魚釣島だろうが

オレにとっちゃぁ取り付く島でさえねぇ。

ただ、念のため申し上げれば当然いずれの島も、

日本固有の領土であって他の誰のもんでもねぇ。



ただ、尖閣諸島に関する中国の言動には、

腐っても故事成語を生み出した国だなぁとは思うわけで。

誰がどう考えようと歴史的にも法律的にも、

日本のもんだとはっきりしている尖閣諸島に対して、

国際的な非難もものともせずその経済成長の勢いそのままに、

「ワタシノモノアルヨ」と強烈な自己主張を繰り返している中国。

まさに虎穴に入らずんば虎子を得ず。

どんな危険が待ち受けていようともその危険をものともせずに

踏み込んで行かなければ虎の子を手に入れることはできない。

だからリスクを恐れず勇敢に挑戦しなさいってことだろうけど、

今の中国はまさに虎穴に入らずんば虎子を得ず。



そういう意味ではアジア文明発祥の地として知られる

中国に対して危うくそれなりの敬意を払ってしまいそうになる。

が、当然ながら現在の中国を支配する漢民族、

あるいは共産党なんぞに敬意を払いたいとは思わない。

だってあいつら、外敵の侵略に逃げ惑いながら

スキを見てちょっかいを出して棚ボタ的に権力を握ってきた下郎ですぜ?

それに、いくら心に染みる名言を生み出したとはいえ、

現在の領土問題とは全く関係ないのであってそれとこれとは別問題、だ。



長くなったので話を戻そう。

つまり、最近自分の周囲が騒がしくなってきたという話であって、

どうもリスクを取らなきゃ果実は手に入らねぇ、

的な状況になってんじぇねぇのか、と。

どうやらオレも、虎穴に入らずんば虎子を得ず状態なのかも知れん、と。

いかなリスクが大口開けて待ち受けていようとも、

日本男児なら火中の栗を拾わねばならんのか。

その結果得られる果実はよく焼けた栗か、

それとも虎の子か。

凶暴な虎がいるかも知れない真っ暗な暗闇に足を踏み入れ、

恐る恐る進んだその先にオレを待ち受けるものは、

やっぱり虎の子か。

が、よく考えてみて欲しい。

そもそも“虎の子”ってそんなに欲しい?



うん、それを言っちゃぁおしめぇよね。

はてさて、この状況で目の前に据えられた

リスクと言う名の御膳を、食べないのは恥なのか常識なのか。

怒り狂った虎に食われちまうんじゃねぇか、オレ。

くわばらくわばら。

それじゃ。

はいどうも、

ブログ書きたい熱に一度火がついたら長く燃え続ける

わけではない、

使用上の注意です。

だって、そんなに語るべき言葉なんてないし。

薄っぺらい人生を何となくお気楽に歩いてきたし。

いつの間にか三十路も二年生になっててそろそろ三年生が見えてきたけど、

今までの延長線上でしか人生を捉えられてないし。

そんな今の自分を革新的に変革しようとも思ってないし、

結果、今まで同様薄っぺらい人生をお気楽に生きるんだろうな。

何か、カッコわりぃ。

まぁそんなアレコレを徒然もなく書き留めるのが

このブログの趣旨なのです(完全に後付け)。



話は変わるけど、いつの頃からか自分が社会にとって

そう特別な存在でもないんだという冷たい事実に気づいた。

どれぐらい冷たいかってのは多分、

真冬の網走に一晩放置した鉄パイプを想像してもらえると

多分よく分かると思うけど、そんな例えだと

誰もが何となくしか分からないだろう、ということは多分よく分かる。

とにかく、人にとって現実というのは時として

身を裂き肌を切り刻む冷淡さをはらんでいるものだと思うワケですよ。

が、逆に現実という慈母のような存在に癒されるときもあるので

一概に現実がイカンとか現実から目をそらせとか、

そんなことが言いたいわけではない。

ただただ、冷静に冷徹に客観的に自分と現実を見よう、って感じか。



と言っても、そうやってお互いに冷たい目線を交差させていても

何も解決しないし、むしろ二度と取り戻せない時間がいたずらに

過ぎていくだけだったりもする。

だから現実を直視した上で何らかのアクションを起こそう、

という話によく陥りがちなんだけども、

それはそれで何だか純粋真っ直ぐすぎて直視できないわけよ、

オレみたいな世の中を斜めから見るクセがついた人間からすれば。

現実から逃げ出すことなく、かといって現実に正面切って

ぶつかることもなく、つかず離れず共に歩く、的な?

現実の冷たさに凍えることもなく、

かといって現実の温かさにほっとすることもなく、

淡々と生きる。

こう表現するとどうだろう、

冒頭のカッコ悪いオレの生き様が

俄然光を放ち始める、気がするのはオレだけですか?

オレだけですか。

そうですか。



カッコ悪い自分をカッコ良く見せるにはどうすれば良いのか、

首を傾げつつ去る。

その考え方をしてる時点でカッコ悪いんだ、

という冷たい現実からは目をそらしながら。

それじゃ。

はいどうも、

最近色々な出会いが溢れていて

何だか妙な高揚感を覚えた三十路ニ年生、

使用上の注意です。

人間の出会いってやつは不思議なもので、

その瞬間瞬間で一番最適な人と出会えるもの、らしい、先人曰く。

そう言われて過去を振り返ってみるに…、、、



高校三年間温め続けた大恋愛に大失敗して大失恋した大学一回生の春、

オレの心の傷を癒してくれたあの子と出会ったこと。

ところがその子と付き合い始めてすぐにインフルで寝込み、

高熱に浮かされていたらフラれてしまって女性不信になりかけた

大学一回生の夏、いつも静かにそばにいてくれたあの子と出会ったこと。

ところが勇気が出せなくていつまでたっても告白できずにいたら

同じサークルのイケメン先輩にかっさらわれて今度は男性不信にも

なりかけた大学一回生の秋…、って何か傷だらけ!

オレの出会い人生傷だらけ!

思わぬところで過去の傷を抉ってしまったじゃないか。

しかも自ら、深く、強く、残酷に。

あぶねぇあぶねぇ。

とにかく、だ。

出会いは人生を変えるきっかけであると同時に、

成長・変化・進化のチャンスでもある、らしい、先人曰く。



賢明なる読者諸兄も気付かれていることであろう。

いつだって、人生の転機には出会いがあったってことに!(ドヤァッ

今、この瞬間、何だかモヤモヤした気持ちを抱えて

日々悶々鬱々と過ごしているそこのキミぃ!

書を捨てて街へ出よ。

さすればその都度最適な出会いがプレゼントされるであろう。

どこからともなく、さりげなく、一見何の意味もなく。

そして一度出会えばその出会いを大切にするが良い。

一期一会とはよく言ったもので、

もしかしてその出会いは一生でわずか一度きりの

果てしなく貴重なチャンスかも知れぬわけであるからして。

もう二度と出会わないかも知れないという覚悟でもって、

その出会いを丁重に取り扱うことこそ幸運の秘訣。

自戒を込めて、そんな感じのことを思う今日この頃である。



ところで『一期一会』は元々茶道の心得からきているらしく、

どの茶会でも一生に一度のものと心得て、

 主客ともに誠意を尽くすべきことをいう”
のだそうで。

なるほど。

オレもそれに習って、出会った人には

缶コーヒーの一杯でも奢ろうじゃないか。

「貴様の覚悟は120円か?」

「何か文句あります?」

そんなんだからオレはダメなんだ。

それじゃ。

はいどうも、

書きたいことが特にない日に限って

ブログを書きたい欲求が高まる、

使用上の注意です。

但し、そこまで強い欲求ではない。

あくまでもやんわりと、薄っすらと、ほのかに高まる感じ。



さりとて一度原稿を書き出してみたならばある程度の

オチなり結論なりメッセージをご提供せねば、

世間様は納得せんであろう?

それなのに、イマイチ書きたいことがヨクワカラン。

何を書いてどこへ持って行ってどう着地させれば良いのか、サッパリだ。

それなら、というかそもそも最初から書きたいことがないなら

書き始めなければ良いじゃないかとか、

至極真っ当なツッコミを頂戴しそうな論理展開ではある。

が、よく考えてみて欲しい。



例えばBlind Guardianのアルバムがいつの間に発売されていて、

慌てて近所のTSUTAYA(メタル充実店)へ走ったとしよう。

夜の帳を突き破り、マイ愛機・

ジョニー・ザ・ダッシュ3rd(自転車)を疾駆させ、

都会を駆け抜ける一陣の風となるのと引き換えに、

荒ぶる息遣いのお陰で寄る年波を実感しつつ辿り着く。

TSUTAYA(メタル充実店)へ。

もはや滝のように流れる汗を隠しきることはできず、

荒い呼吸と相まって怪しさ100%な使用上の注意ことオレは、

颯爽とメタルコーナーへ歩みを進めるワケだ、が、しかし。

「あれ?何を借りようとしてたんやっけ?」



こうなったらもう何も思い出せない。

数多あるメタルCDの中から、家を出る前にはアレほど欲していた

アイツラのニューアルバムなんて探し出せるワケがない。

Metallicaか?いや、違う。

アルバムは全部持ってるはずだ。

Helloweenか?いや、違う。

守護神伝-新章- 」から興味が失せた。

ANGRAか?いや、違う。

ボーカルのエドゥ・ファラスキが抜けてファンを一休み中だ。

まさかメタルでさえない?、のか?オレ?



こうして散々記憶の迷路をさまよい歩いた挙句、

TSUTAYA(メタル充実店)を出るオレの手に握られていたのは、



ももいろクローバーZZ女戦争(初回限定盤A)(DVD付) 」とかいう体たらく。

そう、今日のエントリを書きだした当初オレが感じたのは

この『TSUTAYAに到着した瞬間何を借りたかったのか忘れる』現象!!

何かを書きたかったんだ。

全世界に向けてほとばしる何かをほとばしらせたかったんだ。

それが、なぜか、書き始めた瞬間虚空の彼方へ…。

「そういうこともある」、と自分に言い聞かせるしかなかろう?

だからぜひとも、生温かい目で見守って頂きたい。



追伸:あと、オレ個人の、名誉のために申し上げる。

オレは決してモノノフではない。

決して。

それじゃ。

はいどうも、

一難去ってまた一難去ってまたまた一難去って(以下繰り返し

使用上の注意です。

結局人生なんてぺんぺん草も生えない不毛の大地・南極のごとく

過酷な難局が繰り返し訪れる物語でしかないのかも知れん。

南極物語は犬畜生との再会でもって幕を閉じたが、

オレの南極難局物語は何をどうやっても死という結末から逃れられん。



ということでもはや死んでしまったかと思われていたであろうオレとしては、

生存報告を兼ねて久し振りにエントリを更新してみたい。

が、生存を報告すると言いながら自らの苦難を開陳するという

至極後ろ向きで後ろ暗いエントリになること間違いない。

生きていた、のに、生きているのが辛い、的な。

生きてさえいれば何かいいことあるんだ!

とかのたまう純粋真っ直ぐクンとは相容れない価値観の持ち主である

この使用上の注意ではあるけれども、それでも心のどこかに

「この生命燃え尽きるその刹那まで、幸せを追い求める」

幸福追求権(大げさ)を追求していたいわけであるからして、

幸福を追求する権利を追求するという周りくどい方法でもって

ハッピーたらんと願うことの何がイカンのか!?(突然の憤り



大体、万人にとって自然発生的に認められるはずの幸福追求権が、

オレの場合まず幸福追求権を追求するところから始まるとは

スタート地点からしてマイナス。

幸福追求追求権の獲得こそ我が人生最大の悲願であるとすれば

生まれながらに幸福追求権を身にまとったオレ以外の人々はみな

彼岸の住人にして此岸とは往来さえない。

そうなれば相互理解もクソもへったくれもないわけであって、

幸福を自由に追求することの許された人種と、

幸福を自由に追求することのできる環境を追求する人種とで、

誤解・衝突・摩擦が生じるのはもはや必須。

そこに、幸福追求追求派の悲劇がある。



しかして、消防士の中でも特に危険と対峙する機会の多い

レスキュー隊員の中には、圧倒的に燃え盛る炎を前にして初めて

自らの“生”を強く実感することがあるらしい(引用・め組の大吾

自らを危険に晒すことが自らの命を価値付けることであり、

そうなると率先して危険な現場へと乗り込んでしまうわけだ。

価値とは、それが消失の危険に晒されたとき最も輝きを増すのだろう。

例えば、日頃は臭い汚いと娘から罵られ、

家事を手伝わない口うるさいと長年連れ添った妻に責められ、

使えないと上司に叱責され頼りないと部下から突き上げられる中年男も、

彼がいなくなるかも知れないという価値消失を前にすれば

娘も妻も上司も部下も考えを新たにする、のか?

失ってみて初めてその価値に気づく、のか?

何か違う。

例えを間違えた。



まとまりのある文章を書くのは本当に難しい。

が、それでも、とにかく、生きてる。

幸福を追求する権利を追求して。

それじゃ。

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