新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2013年01月

はいどうも、

あえて自分のブログをジャンル分けするなら

『30代サラリーマンが日々のどうでも良い感想を

 ノラリクラリと愚痴混じりにお届けするグダグダ系エッセイブログ』

かなぁと愚考する、

使用上の注意です。

はっきり言ってその試み(ジャンル分け)は全くの徒労でしかない。

いや、それは知ってるけど

何かふと思いつきでやってみた反省はしていない。



ただ、改めて自分の吐き散らかしてきた過去の駄文たちを

ざっくりと振り返ってみるに、まぁ何と内容の雑多なこと。

雑文とはよく言ったもので、

政治・経済・国際社会といった硬派なネタから

音楽・スポーツ・小説・映画と軟派なネタまで、

その間にもオモシロ動画やら超個人的エッセイに

自己満足全開ブログ小説の連載などなど…。

これぞ黒歴史の百貨店。

正直、これを機会にキレイサッパリ消し去って

また心機一転新たなブログを始めようかと思わないでもない。

そうしないと過去の恥ずかしすぎる文章やら垂れ流された思考やらが

延々とインターネット社会の片隅に残り続けるのだから。



が、その一方でこれまでの文章もある意味オレの歴史というか

積み重ねというか軌跡というかダメ奇跡というか。

何だかオレがこの世に生を受けた証、のような気もするのであって。

それを消すというのも何だか自分の人生を消すみたいで忍びない。

でもやっぱり将来我が一族を継ぐ嫡子が誕生し、

彼が成長してひょんなことからオレのブログを発見したとして、

そこに書かれた尊敬すべき父親の醜態を目の当たりにしたとしたら…。。。

うぅ、想像するだに恐ろしい。

日頃は雷親父宜しく自宅の奥の間に鎮座まします父親が、

まさかこのような駄文雑文乱文を書き散らしていようとは…。。。

彼の受ける衝撃はいかばかりか、推測さえできん。

でもでもやっぱりせっかく1,500以上も記事を書いてきたのだから、

そこにはオレの人間的成長やら何やらかんやらが刻まれているのであって。

しかし自らの血を分けた我が子にブログが理由で軽蔑の目を向けられるのも…。



とにかく、これ以上同じところをグルグルと思考していたら

やがてバターになりかねん、脳みそが。

それはそれで美味しく頂けそうな気もするが、

「迷ったらやめておけ」がオレのポリシー。

黒歴史と化したブログを消すべきき否かについては、

引き続き審議するということでどうだろう?

ま、先送りとも言いますがね。

それじゃ。

はいどうも、

ガラスのハートを持つと同時にガラスの肉体を持つ、

使用上の注意です。

他にもガラスの脳みそとガラスの洞察力とガラスの論理力と、

とにかくまぁ全体的に脆い。

だから、だからこれ以上仕事をさせないでください。。。



とにかく、だ

生まれながらの体の弱さを誇るオレが

“健全なる肉体に健全なる魂が云々”との格言に従えば、

生まれながらの心の弱さを誇らざるを得ず。

そこに授けられた脳みそも生まれながらの弱さを誇ってしまい、

脳みその能力に依存する洞察力も論理力もやはり、弱い。

こう弱い弱いを連呼していると、

もはやオレって人類の進化から淘汰される側なんじゃねーのかと、

我ながら己の行く末を悲観したくもなる。

もちろん、屈指の弱さを誇るオレだって

それなりに長所や武器や強みを持っているからこそ

32年ほどの生存を許されているわけであるからして、

そもそもの生命維持さえ危うい水準に比べれば

過分に恵まれた境遇にある。

が、しかし。



この国の資本主義社会において、

弱い個体は現代社会で人並み以上の成功を手に入れるのが難しい。

なぜなら、成功の定義にもよるが、

並み居るライバルをごぼう抜きに抜き去って

人並み以上の成果と成功を手に入れるためには

人並み以上の努力と能力が必要なのだから、

その努力に耐えうる肉体的・精神的頑健さはもはやマスト・アイテム。

加えて頑健さをベースとしてもそこに明晰さや思考力がなければ

ハンドルを装備していない自動車のごとく暴走する他ない。

従って人並み以上の健康な肉体と健康な精神と頭脳の3つが揃って初めて、

人並み以上の成功を手に入れる、ための挑戦権を手に入れる、

と言えなくもない。



しかるにオレの場合。

幸いなことに大病を患ったこともなければ

入院の経験もないが無理も効かない、身体。

関係各方面からの心ない叱責を前にして滂沱の涙を流す、

ほどではないがちょっと何かあればすぐに凹む、メンタル。

1を聞いて10を知る程の目から鼻に抜けるほどではなく、

1を聞けば良くて6、悪くても3ぐらいは分かる程度の頭脳。

弱肉強食のこの現代資本主義社会で、

その身を預けてよって立つにはあまりにも心細いスペックだ。

しかも悪いことに、生まれつきの運のなさも標準装備。

そこそこの肉体にそこそこのメンタルとそこそこの頭脳、

そして不運という星。

これでどう戦えと?



ただ、どう戦えなくても戦うしかない。

勝てずしても負けるわけにはいかない。

それしかない。

だって、まだ生きたいんだもの。

何だか後ろ向きなんだか前向きなんだか、

よく分からないトーンで意気揚々と去る。

それじゃ。

ブログネタ
バレンタインにあげたい&欲しいスイーツは?(楽天ポイントGET) に参加中!
はいどうも、

クリスマスが終わったと思ったら次はバレンタインかよ、

使用上の注意です。

全てのリアル生活充実者(いわゆるリア充)と、

社会に対する怨嗟と恨みの声が満ち満ちる禍々しいイベント。

それがバレンタイン。

聖ウァレンティヌスも草葉の陰で泣いておろう。

「戦争という異常状態の下に送られる男子にこそ

 祝福を与えたもうたのに、のへへんと生きる若者たちの

 性なる一日に使われるとは、、、オヨヨ。」

と。

若者たちよ、マーケティングのリヴァイアサンに踊らされることなかれ。

彼奴らは君たちの財布に眠る貴重な現金が狙いなのであって、

君たちの真実の愛とやらには興味がない。

恋愛産業に従事するものたちは、いかにして浮かれた空気を演出し、

いかにして固く結ばれた財布の紐を緩ませるかを考えている。

決してキミとあの子の間を赤い糸で固く結ぼうなんて考えちゃいない。

現実は全く逆なのである。

その事実を、世間の若者たちはもっと知るべきだ。



とはいえ、私とて人一倍人情を尊ぶ社会人。

と同時に、恋愛産業に与する一部の極悪業界人、というわけでもない。

なればこそ、どうしてもと言うのならば、

愛の贈り物を受け取るにやぶさかではない。

世の若人よ、ムダにバレンタインを浪費する事なかれ。

どうせならもっとこう、為になるお金の使い方をおすすめする。

例えば、クソ忙しい中でもクソつまらない文章を必死こいて

書き連ねる三十路サラリーマン・クリエイターに、

Amazonギフト券を差し上げるとか。

別の角度から考えて、後輩から突き上げられクライアントから

無茶な依頼で突き回され上司から叱責の拳を突きつけられている

三十路サラリーマン・クリエイターに、

図書カードを差し上げるとか。

何と有意義なお金の使い方だろうか。

果たしてこの世の中に、これ以上有意義な現金の使い方など

存在しているのだろうか(いや、ない)。



ともすれば叶わぬ恋のために死に金として世間に流通してしまう現金を、

ウァレンティヌスの名のもとに救ってしんぜよう、俺が。

だから2/14は待ってる。

俺、待ってるよ。

Amazonギフト券か、図書カード、待ってる。

いつまでだって待ってるから。

仕事しながら待ってる。

待ってるんだから(切実)。

それじゃ。

はいどうも、

今日は特に何も言うことがない、

使用上の注意です。

まぁいつも特に何も言ってないんだけれど、

今日はいつも以上に内容がないペラッペラのエントリだ、

と、そう理解して頂ければ概ね問題ない。

「それでも良いぜ!」と仰って頂ける奇特な方がいれば、

ぜひ最後まで堪能して頂こう。

使用上の注意こと俺がお届けする、

めくるめく三半規管直撃テキストを。

いわく、混乱しすぎて頭がクラクラする。



それにしてもまぁ世間には名文の書き手がいるもので。

そりゃまぁ文筆で飯を食っていらっしゃりやがる作家先生は当然としても、

名も無き市井の民ですら玄人裸足の逸文を紡いでいるわけで。

内容についても、新たな発見に心からの共感や肝に銘じたい教訓、

はたまた鋭い分析などなど、などなど、

様々な角度から読み手を唸らせてくれる楽しませてくれる。

というか、たとえ内容が薄かろうと濃かろうと名手の文章は

“先を読ませるチカラ”が半端ねー。

何を言いたいのかがよく分からなくても、

言葉のチョイス・センス・ミックスにニヤリとさせられ、

ついつい先を読まされるスクロールさせられる。

そんなブロガーが掃いて捨てるほどいる国。

それが日本という国です。



と、改めて書いてみるとやっぱり変な国だよ、我が国は。

資源も国土も何にもないちっぽけな島国に、

世界最古の小説とエッセイが同時代に誕生するという奇跡。

ある意味世界最古のネカマと言えなくもない一人の男が、

女性口調女性文体で女性になりきって作品を書いてしまう変態さ。

神職の家に生まれて神社へ就職するも出世に失敗したからといって

仏教徒になり、世の由無し事をノンジャンルで書き綴った無節操さ。

その100年後、ちゃっかり神職→出家という同じコンボを決めて

同じようなエッセイをのんべんだらりと書いてしまうブラッシュアップ精神。

エッサホイサと裸身に近い人足が駕籠に偉いさんを乗せて走ってるその横で、

子どもたちが寺子屋に通って読み書き算盤を習う勤勉さ。

幕末に日本へやってきた西洋人はみな、

そこに住まう小さなこ汚い原住民の識字率の高さに驚いた、らしい。

「日本人読ミ書キ出来スギワロタ・・・」

と言ったとか、言わなかったとか。

それに戦後、GHQが日本語を廃止して英語を公用語化しようとしたときも、

その識字率の高さから実現を断念したというエピソードもある。

そう考えたら俺だって“文字大好き日本人”という

偉大なる先達の血を引いてるわけだから、

下手な文章を書こうもんならご先祖様に顔向けができない。



…。

いつもごめんなさい。

それじゃ。

はいどうも、

使用上の注意は使用上の注意をよくお読みになり、

用法用量を守って正しくお使いください、

使用上の注意です。

最近何となく思うのよ、

『俺、用法用量守られてなくね?』って。

体が重いし心も重くて頭も重い。



そもそも一人の人間が抱えられる案件ってのは上限があって、

肉体的頑健さとか精神的タフネスとか頭脳的処理能力とか

その他諸々のキャパシティというリソース・ボリュームによって

負担能力が決定せしめられるわけであるからして、

その上限キャップを越えた案件量をこなそうとしても土台無理。

必然的に肉体・精神・頭脳のいずれかに歪が生じてしまい、

端的に表現すれば、どこかが壊れる。

そうならないためには

自らの案件負担能力を高める努力が当然求められるのだが、

その一方で過剰な負荷を回避する取り組みもまた必須。

すなわち「自己研鑚」と「危機回避」を車の両輪として

回転させることが求められるわけだ、社会人は。



仮に両輪のいずれか一方が大きい(あるいは小さい)場合、

その結末は、右折(あるいは左折)しかできない車両のごとく

同じ場所をぐーるぐーる回ることになる。

気づけばコンパスで描いたかのように、

丸い軌跡をただただなぞり続けていただけ。

見える景色は十年一日のごとく見慣れたもので、

新たな地平も水平も得られない。

そんな成果のために、人はどれだけ走り続けられるというのか。

飽きるか壊れるかの、二者択一に何らの楽しみを見出すというのか。

右に行き左に行きつ戻りつしてでも、

せめて今とは違うところへ行きたい。

新たな風景、新たな土地、新たな世界…。



まぁ、そうはいっても人生は点にあらずして。

直近の過去が同軸旋回の繰り返しだったとしても、

いつかそのループから抜け出せる日も来る。

最も忌むべきはループ・ワークの肯定、受容、維持であり、

そこからの脱出を希求する意志と実行を心に宿す限り

旋回の日々もゴールへ向かう旅路の途中だといえなくもない。

まさに輪廻転生からの解脱を求める仏教の教えに似たり。

ある意味仕事とは修行であり悟りを求める行なのかも知れない。

そう考えれば現在の苦境・苦行も、

いずれ大きく飛躍するための糧となる。



つまり、結局はモノゴトをどこから見るか次第で

人生は極彩色にもモノクロにもなるし、

苦しい状況も考え方次第で毒にもクスリにもなる、ということだ。

今この瞬間、過労に倒れそうになりながらも歯を食いしばって

耐え忍んでいる全ての社会人へ贈りたい。

精一杯の労りと同情と仲間意識を。

ともにループ・ワークから卒業しようじゃないか、諸君。

あと、労務管理者に復讐するは我にあり。

それじゃ。

はいどうも、

どれだけ引っ張るのか自分でもやや不安になってきた、

使用上の注意です。



それにしたっていつまで続く?どこまで続く?

と、深い自問自答を繰り返しながらも筆が止まらない。

私信シリーズ・アーカイブ

第1回はこちら。

第2回はこちら。

第3回はこちら。

第4回はこちら。

第5回はこちら。

いや、自問自答はウソですけれどね。



というか突然の思いつきで始まったこの私信シリーズ、

当初想定していたオチがどっかいった。

いや、より正確に表現すれば、忘れた。

オチって、何でしたっけ?

そもそも、誰に宛てた何のための更新でしたっけ?

あ、そうそう、My 尊敬すべき畏友(と勝手に思っている)

柚さんのエントリに触発されて書き始めたんだった。



それがいつの間にかあっちへ脱線こっちへ脱線、

気づいてみれば当初の目論見やら想定やら予測やらをすっ飛ばし、

書くも書いたり過去5回。

それぞれ約1,000文字の連なりと考えれば、

5,000もの文字たちが書かれては消え書かれては消え。

何かを伝えるために生み出された文字が今、

何も伝えないブログのために費やされる悲劇。

ある意味これは文字に対するジェノサイド。

世が世なら首謀者は打ち首獄門も免れまい。

声なき声を叫び、喉をからして助けを乞うた文字たちを、

無為にムダに無理に辱めるなんぞ鬼畜の所業。

その黒幕であり犯人であり、

2時間サスペンスの最終盤で海岸の崖に追い詰められるべき、

あるいは昭和のヒーロー物で採石場のどまんなかで爆発に巻き込まれるべき、

諸悪の根源は、、、誰だっ?!(お前だ



そんな罪深い俺が灰色の脳細胞を駆使して山場もオチも意味もない

文章をぐだぐだと書き連ねているこの瞬間にも、

あるいは仕事を言い訳にブログから離れている間にも、

世の中は動き、回り、巡り、人を変えていく。

良い方にも、悪い方にも。

ゆく川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。

幾多の事件が起こされ、数多の事故が発生し、

または何も起こらず、何も変わらずしても、

人は生まれ、生き、死んでいく。

その中で人は、自らの人生に答えを見つけることができるのだろうか。

「これぞ」と思う“道”を、人は自覚することができるのだろうか。

果たしてその道は天国への階段か、はたまた地獄の扉か、

誰にも分からない、本人にでさえ。

すべては神のみそ汁(一回食べてみてぇ…)。

いやもとい、神のみぞ知る。



キミは今、道を見つけたという。

でもその道がどこへつながるのかなんて、知らなくて良い(と思う)。

知る必要もない(と思う)。

ただ走れ、心の向くままに。

後ろを振り返るのはもう少し後で良い(と思う)。

何なら振り返らなくたって構わない(と思う)。

ただ走れ、チカラの限り。

道がなくなっても作れば良い(と思う)。

道を見失っても作れば良い(と思う)。

どうにもならないなら、立ち止まれば良い(と思う)。

結局、あってなきがとごとし。

それで良い(と思う)。



と、ここまで引っ張って曖昧に終わらせる罪悪感を

少し抱えながら、去る。

終劇。

それじゃ。

はいどうも、

勢いで私信を書き始めたは良いが、

冷静になって後から読み返してみると何だかこっ恥ずかしい、

使用上の注意です。

俺はこんなに暑苦しい人間じゃない。

俺はこんなに面倒臭い人間じゃない。

俺はこんなに感情移入する人間じゃない。

そんな、なんとも屈折した感情が入り乱れてる感じ。

もっとこう、さぁ、何ていうか、ほら、あれじゃん?

『一生懸命、カッコ悪い』

っていう空気感に包まれて成長してきた

エイティーズ(1980年代生まれ)ですから、

クールに冷静にスチールフレームのメガネをキラリと光らせながら、

「( ̄ー ̄)ニヤリ」と終わらせたい。

リアル俺を知ってる人には分かるはず。

俺の言いたいことが。



とか言いながら、まぁもう公開しちゃったものは仕方がない。

私信シリーズ・アーカイブ

第1回はこちら。

第2回はこちら。

第3回はこちら。

第4回はこちら。



まぁ言わば、心の奥のそのまた奥の、人も獣も分け入らぬ

人跡未踏な一面バージン・スノウ・フィールド@魂に、

一本のマッチ程度の明るさと火力で燃えたった心の動きを

分かりやすく最大限増幅して拡張してお届けしたらこうなった、的な?

分かりにくい?

うん、知ってる。

でもね、真っ直ぐ自分の感情をさらけ出す経験に慣れてない人は、

得てしてそういう態度を取っちゃうの。

いわば照れ隠し。

うん、最初からそう言えば分かりやすかったね。

まぁ人間は失敗と挫折から多くを学ぶというし、

こうして文字数という(紙面的に)限られた貴重な財産を

浪費しながら俺は学んでいくんだろう、きっと。

だから、ここまで散々駄文を書き連ね、

(紙面的に)限られた貴重な財産を浪費した割りには、

成長も進歩も進化も見られないのは気のせいだ、きっと。

ここまでで、約700字。

うん、本題に入ろう。



と思ったけど、残り300字で何を言えと?(知るか

そもそも1,000字エントリーってのも別に、

ルールや決まりやお約束があるわけでもなし、

ただただ己の欲求を満たさんがための自己満足至上主義。

大体Web媒体で1,000字って、

結構な面白さと引き込み力と展開力とストーリーテリング力がなければ

途中で読者の飽きと諦めとその他諸々の、まぁなんだ、

途中離脱を招くボリュームであって。

いや、このブログ的に言えばヴォリュームか。

にも関わらず、1,000字を守ろうとすることの意義やいかに。

その姿はまるで、まさに、あたかも、見ようによっては、、、



…。

負けた…。



上手い喩えが思い浮かぶか否かの勝負に負けた、

敗者は黙して去るとしようじゃないか。

それじゃ。

はいどうも、

ダイエット始めました、

使用上の注意です。

といってもリアル俺を知ってる人が聞いたら

逆に心配されそうなスリム体型を誇る俺としては、

リアルに贅肉を絞るつもりなど毛頭ございません。

これ以上脂肪を絞ろうなんてしたら死亡しちゃう。

いや、ブログのね、脱線をね、減らそうかと。

だって、書くのが('A`)マンドクセ

ではなく、読む方がしんどいでしょ?

ほ~ら、読者思い(過分に押し付けがましいお節介)。



私信シリーズ・アーカイブ

第1回はこちら。

第2回はこちら。

第3回はこちら。



ふとしたきっかけで蘇った、尊敬すべきMy 畏友・柚さんの存在。

あぁそうだった。

目も眩む眩い才能に眩惑されそうになる、

一人の高校生ブロガーがいた。

彼女の文章に魅入られ、笑い、考えさせられていた自分がいた。

間違いなく。

それなのに俺は日々の忙しさを言い訳に、

尊敬すべき畏友を忘れていた。

何たる失態、何たるミステイク。

これはもう、訪れるしかあるまい?行くしかあるまい?

今アクセスせずしていつ訪れる。

時は来た。サイは投げられた。

ワシントン条約を無視して。

って、そっちの犀じゃねぇ、賽だ。

犀なんて投げれるようなモンじゃねぇ。

そんなモン投げようとしたら折りたたまれてしまうよ、俺が。

コンパクトに、原型を留めず。

と、とにかく、ルビコン川を渡ったわけです、速攻で。

して、そこで目にしたものとはっ…?!

こんな記事。



もうね、感動した。

痛みに耐えてよく頑張った、感動した!

その時の俺の心情からちょっとずれてるような気もするけど

大きく外れてもいない小泉純一郎の名言が思い浮かぶほどに、感動した。

色々あって色々経験して色々考えた末に、

俺の畏友は道を見つけた。

自分が進むべきと信じるに足る、道を見つけた。

その道の先に、何があるのかは誰にも分からない。

皮膚を裂き、心を刺すイバラに満ちた狭き道かも知れない。

ノンストップでどこまでも続く真っ直ぐなハイウェイかも知れない。

辿り着く先が極楽浄土かも知れないし、

紅蓮の炎が渦巻く煉獄の大地かも知れない。

でも、それで良い。

世界に宣言できるだけの道を見つけたんだから、畏友は。



これ以上言葉を重ねる必要はないだろう?バーニィ。

かつて敬意を抱いた畏友がいた。

彼女の心は繊細で、いつもどこか憂いをたたえていて、

でも実はしなやかで強かった。

それだけで良い。

俺の言葉なんてどうでも良いじゃないか。

…。

いや、決してオチが思い浮かばないわけじゃないよ。

そんなバカな。

ちゃんと用意してますって。

明日。

明日更新しますから、多分。



多分。

それじゃ。

はいどうも、

「簡潔に話せよ」って言われるのが苦手、

使用上の注意です。

何だよ、ムダって言うなよ、贅肉とか言うなよ。

つーか女性諸氏を中心に世間から忌み嫌われている贅肉だって、

ある程度は必要なんだぜ?

外気に対する体温調整のための緩衝材として、

実は有用な存在なんだぜ?

全く贅肉がない人は、季節の変わり目に

急激な温度変化に体がついて行かないから

自律神経が狂って風邪を引きやすいんだぜ?

だから文章にだって贅肉は必要なんだって。

だって言いたいことを言ってそれでおしまいなんて、

twitterでやってろよって感じなんだって。

144文字で良いんだって。



ただ、流石にこれ以上有効文章率を下げるわけにもいかないし、

というかこれ以上下がると深刻な読者離れが起きかねん。

離れていくべき読者がどこにいるのかはまぁさておき、

有効文章率についてはこの日のエントリの真ん中辺りをご参照されよ。

なぜなら、ここでまた説明を始めるとハートマン軍曹がやってくる。

だもんでここは珍しくサクッと本題に入ろうじゃないか。

え?それでも長い?

長いものには巻かれときゃぁ良いんだよ(間違ったことわざの使い方)。

で、贅沢にも前々回前回と貴重な電子空間を浪費しながら

畏友との出会いを語ったわけだが、その後の俺はどうなったのか。

第1回はこちら。

第2回はこちら。



正解は、『忘れてた』。

いや、決して正解を忘れてたんじゃなくて、

『忘れてた』という状態が正解なわけですよ。

その溢れる才能に尊敬の念を抱いていた畏友に対して、

何とまぁ無礼な処遇。

忘れてたて。

しかもあれよ、『存在を忘れてた』っていう最大限の無礼さ。

無礼Max。

時代が時代なら問答無用で刀の錆にされ兼ねん。

今ほど、自分が平成の世に生きる平々凡々な庶民で良かったと

心から感じたのは初めてだ。

普段は自分の無難さを深く嘆く俺が、である。

そんな感慨をよそに、ある日運命の歯車が音を立てて回り出す(大げさ)。

ゴトリと、ギシリと、ガタリと、動き出す。

錆びついた歯車が。

その錆はひょっとして、俺の血?



閑話休題。



残業残業アメ残業に疲れた俺は、現実から逃げ出した。

「普段使ってるブラウザのブックマークを整理しよう」と。

仕事があるのに、時間はないのに。

でも、それがきっかけだった。

お気に入りとして登録しておきながら、

今では訪れることも少なくなったブックマークたち。

いつまでも野ざらしのまま放置するのもあまりに忍びなく、

この際一気に菩提を弔ってやろう。

そんな仏心が、失っていたはずの畏敬の念を呼び覚ます。

ん?「now on days」?

どっかで聞いたような、見たような、知ってるような…。

あっ!!!!!



以下次回。

明日更新するよ、多分。

それじゃ。

はいどうも、

1本の記事に締めるムダ要素の割合が

流石に多すぎるような気もしている、

使用上の注意です。

前回の記事なんて極限まで絞り込めば、

「昔ブログで知り合った人がいて、その人がスゴかった」

しか言ってねぇ。

約1,000字の原稿の中で、本当に言いたかったのはたったの24字。

何じゃこりゃ。

全原稿に占める筆者の言いたいことが表現された部分を

(筆者が言いたいことが有効に表現されているという意味で)

有効文章と捉え、その割合を測る有効文章率とかいう指標を作るとすれば、

俺のブログは驚きの有効文章率2.4%。

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるとは言うけれど、

流石に100発撃って3発当たるかどうかってのは考えものだ。

そんなやつ、戦場で何の役に立つ?

ハートマン軍曹ばりに罵られそうだぜ。

「お前はウジ虫以下のクソ野郎だ!」ってね。

それは怖い。



ってほら、また無効な文章を書き連ねてしまっている。

さっさと本題に入ろうじゃないか諸君。

さもなければ例の鬼軍曹がどこからともなくやってきて

言葉の限りを尽くして罵詈雑言を浴びせた後、

いずこかへと消えてゆく。

残された俺はこうつぶやくしかない。

「もっと早く本題に入っておけば良かった…」。

時既に遅し。後の祭り。

心は完全にへし折られ、

魂を失った肉体は立っているのがやっと。

光なき瞳が捉えるのは茫漠たる心の砂漠。

だが次の瞬間、糸の切れた操り人形に突如として新たな熱が宿る。

ハートマン軍曹何するものぞ。

今に見ておれ。

やってやろうじゃないか。

そうとも、俺にはできる。俺にはやれる。

本題に入ることだってできるんだ!

俺が、ガンダ○だ!!!(分かりづらいネタ)



え~っと、ここまでで約660字か、なるほどね。

本題に入る。

俺が勝手にお慕い申し上げている畏友とのやり取りはしばらく続き、

互いの価値観と哲学と思想とボケの応酬を繰り返す。

いつまでも続くかに思えた、わけでもないけれど、

何だかんだと続く関係をそれなりに楽しむ愚蒙の輩・俺。

ところが楽しい時は長く続かない。

襲い来るデスマーチに俺が飲み込まれ、遠のくブログ更新。

ブログという媒体をベースにつながれた絆は、

更新というきっかけを失った瞬間その輝きを失う。

それがブログの宿命であり運命であり、限界であり特性であり。

更新する暇もない日々は畏友の存在を(勝手に)遠いものとしてしまい、

無言の時間だけが刻まれていった、4年ほど。



ここでお約束のように紙面が尽きる。

続きはまた明日、多分。

それじゃ。

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