新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2013年06月

僕たちは、自分たちが騒々しい喫茶店にいることをすっかり忘れていたようだ。年
崎の厳しく理不尽な主張に自分の思いをぶつけようとするあまり、かなり大きな声
が出ていた。門馬は、そんな僕をクールダウンさせるように言葉を紡ぐ。

「正直さ、年崎の言うことに一理あると俺も思うわけ。いいことを言おうとしたと
きに限って何だか気取った言い回しとか気の利いたセリフを何とかひねり出そうと
するから、やっぱり失敗する可能性は高い。笑いも同じでさ、笑わそう笑わそうと
すればするほど底なし沼に引きずり込まれるような感じでスベるんだよね。でも、
それは多分誰にでも言える話であって、特定の誰かに限定されるもんでもないんじゃ
ねぇかと思うぜ?なぁ年崎、そう思わねぇ?」
「それはそうかも知れないが、十人いれば十色揃うぐらいなんだから個々のトーク
スキルはバラバラだ。それならこいつが会話の起点になるより誰かもっと上手いや
つが話を始めた方が有意義じゃねぇか」
「いやいやいやいや、そもそも門馬がいってる論点のずれってなんだよ?」

また話題がどんどんおかしな方向にずれていくような気がして、慌てて僕は軌道修
正を試みる。しかし、どうやら僕には議論を操る力などないみたいだ。ごうごうと
音を立てて流れる長雨の後の川みたいに年崎と門馬の話は流れていく。

「トークスキルが人によって違うのは認める。誰だって3割バッターになれるなら、
プロ野球は商売にならん。ただ、俺がいってるのはあくまでも一般人の話であって、
飛び抜けて話が上手いやつはとっとと業務用のどでかいスポットライトを浴びる世
界へ旅立てば良いだけだろう。そうじゃなくて、普段は日の当たらない地味な世界
に生きる俺たち一般ピーポーが、たまにはうっすらと弱々しく光る頼りなさ気なス
ポットライトを浴びるときだってあるんじゃねぇかってことだよ」
「仮にお前の話に乗っかったとしても、やっぱり納得はいかねぇなぁ。最低限のス
キルがない人間は、スポットライトを巧妙に避けながら生きるべきなんだって。じゃ
ないとしょうもない話に付き合わされるその他数十億の民が路頭に迷う」
「路頭に迷うってなんだよ。俺の話は人の一生を左右する力があるのか」
「お前はちょっと黙ってろ」
「お前はちょっと黙ってろ」

突然主役の降板を告げられた売れない役者は、こんな気持ちを味わわされているの
か。いや、売れない役者の知り合いはいないし会ったことも見たこともないけれど、
今の僕はまさにそんな気持ちを味わっていた。しかも突然。悲しみを癒してくれる
のはぬるくなったアイスコーヒーなんかじゃない。断じてない。それでも僕は、も
はや原型を留めない、氷らしい何かが浮かんでいる元・アイスコーヒーに口をつけ
る。年崎と門馬はどうやら、今の芸能界についての議論へ移ったらしい。

「おぅ、待ったか?無事だったか?」

長い旅からついさっき帰ってきました、とでも言いかねない勢いで、樫波が現れた。

「どうせいいことを言おうとして、しょうもないことしか出てこないんだからやめとけ」

年崎はそういって僕の話を遮った。内心むっとしながら、確かにそうかも知れないなと
僕は思う。いつもそうだ。その場その場、シチュエーションに合わせて聞いている人を
笑いの渦に巻き込もうとして、惨憺たる結果に終わる。それがいつものことだった。

「お前は自分から何かを言うよりも、誰かの発言を面白おかしく料理する才能があるん
だから、そっちに振った方が良いんだって、力を」
「でもさぁ、俺だってたまには人を笑わせて感心させて感銘を与えるときだってある…」
「一流のプロ野球選手の条件を知ってるか?」

僕の話をさらに遮って年崎はそう問いかける。

「10回のバッティングチャンスで3回ヒットを打つ。それだけだ。逆に言えば、10回打っ
て3回当たれば1年で数億円の収入を手に入れる可能性が生まれるってことだぜ?」
「俺だって10回もチャンスがあれば2回か、多ければ3…」
「1回あるかないか、だろ?」
「そんなことない。この前だってパプアニューギニアの…」
「プロとアマチュアを分ける条件って知ってるか?」

年崎は僕の話を聞く気がないらしい。

「アマチュアだって運が良ければ90点の回答を出すときがある。何回かやればプロを打
ち負かすことだってできるかも知れない。でもな、プロは常に80点以上を叩き出すわけ
よ。まぐれじゃなく、狙って高い水準の結果を出し続ける。それがプロってやつだ」

ペテン師の軽妙洒脱なトークに自意識を奪われ、操られ、最後には契約書に判をついて
しまう。まるで自分が今まさに詐欺師の口車に片足を乗せたような気分になり、慌てて
僕は年崎の話に反論を試みる。

「ちょっと待てって。僕はプロじゃないし、そもそもプロとかアマチュアとか、何の話?」
「喩え話だ。そのままだとよく分からない複雑怪奇な概念を、誰にでも分かる身近な話
になぞらえて説明してやってんだよ。つまり、お前の話はつまらない。だからお前は何
も話すな」

果たして僕は年崎に対して怒っていいのかダメなのか。ここまで自分を否定されるとそ
れさえ自分で判断できない。ただ、それでも年崎の話にはある種の説得力があるように
感じられる。

「い、いや、まぁ確かに俺が何かを話して聞く人の心を打った経験はあまりない。正直
少ない。でも、でもだからといって発言を禁じられるいわれはないだろう」
「そうだな。全くしゃべるな、というのは俺の本意じゃない。さっきもいったように、
俺はお前の能力をある程度評価はしてるんだ。訂正しよう。お前は誰かの発言を待って、
発言しろ。その方が良い。絶対良い」

僕は知っている。モノゴトに絶対ということはない、ということを。そして何につけ“絶
対”を使う人間はロクでもない、ということを。

「何かさー、論点ずれてね?」

黙って僕と年崎の言い合いを聞いていた門馬が、突然スイッチが入ったように喋りだす。

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