はいどうも、

生きていれば色々あるよね

使用上の注意です。

それはつまりあれだ、

そういう時代よねぇ、的な。

分からない人はこのあたりの動画を見るが良い。



うん、ますます意味が分からない。



とにかくあれだ、「分からない」とは「分かる」の否定形であって、

「分かる」というのは「分ける」からきているらしく、

文字通り“分解する”というのが語源、らしい。

あくまでも又聞きの伝聞の風の噂程度でしか知らないけど。

それはまぁともかく、もう少し「分かる」=「分解する」説に乗ってみる。

つまり何事か理解の対象物を細かく構成要素に分割し、

個々の事象についてそれぞれ状況や状態・現状を把握し、

その全てについて理解することで元の全体像が見える、的な。

そういうアレがベースになって「分解・分割」から「分ける」になって

「分かる」が一人でできた!的な。

よく分からない人はこのあたりのYahoo!知恵遅れ知恵袋でも見るが良い。

多少は理解が進む、かも知れないね。



とはいえ、さはさりながら人生には分からないことだらけであり、

人が分割して分解して個々を理解して全体像を知ることができるのは、

あまねく存在する森羅万象のうちのごく僅かな一握りの出来事に過ぎず。

自身とは遠く離れた異国の世界で起きた内乱一歩手前の騒乱が、

なぜ発生してなぜ終わらないかなど知る由もないわけで。

そして人の心の深奥の、そのまた奥底に眠る本音も真意も

他人には窺い知ることなどできないわけで。

分けられないことこの上ない。

ただ、そうやって分からないことが多ければ多いほど

人類は知的好奇心を旺盛に働かせるのもまた事実であり、

そうした、ときに暴走しがちな理解への渇望が、ときとして

人類の文明にコペルニクス的転回をもたらすこともある。

それが天使の福音なのか悪魔の囁きなのかはまぁともかく、

ここまで人類社会が存続してきた原因というか源泉というか、

原動力の一つに“知りたい”という欲求があげられることは間違いない。

分けられない世のアレコレを分けたい、分かりたいと願ったからこそ、

人は発展を遂げてきたといっても決して過言ではない、はず。

ヴィヴァ、分ける。



それだけに、思うわけですよ。

分からないこととは分けられないことであるからして、

それを分かるにはまず分けることから始めるべきではなかろうかと。

とにかく分ける、袂を分かつ。

それが最初の一歩になりやしないかと、思うわけですよぼかぁ。

それじゃ。