新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2014年08月

はいどうも、

どうにも夏バテが本格化中、

使用上の注意です。

ただでさえ暑いのは苦手なのに、

その上この蒸し暑さとくればバテるのも道理。

記憶の混濁さえ起こってくるってものである。

だからこんな画像もアップしちゃう。

DropShadow ~ 20060125

多分、バテてたんだよ、きっと。

それじゃ。

はいどうも、

子どもが嫌い、

使用上の注意です。

世間から後ろ指さされようと罵られようと蔑まれようと、嫌いなのである。



なぜか。

順番に説明していこうじゃないか、諸君。



1.子どもは、朝が早い。

三度の飯より睡眠が好きな使用上の注意にとって、

二度寝三度寝はナニモノにも代えがたい貴重な行為である。

が、彼らにとってそんなことは歯牙にもかからない瑣末な事情であり、

太陽が昇る前からギッコンバッタンと騒いでは眠りを妨げる。

まぁ1億歩譲ったとして、勝手に彼らがそれぞれに遊ぶ分にはよしとしよう。

俺とて話の分からぬ大人にはなりたくない。

しかし彼らは遊ぶに飽きたらず、最終的に起こそうとする。

使用上の注意こと、この俺を。

悦楽のひとときを二度寝三度寝のまどろみの中で堪能しているこの俺の、

引き締まった肉体の上に己のたるんだ肉体を乗せてくる。

必然的に突然降って湧いた荷重に驚嘆し、

緊急メンテを実施すべく機能を停止する俺の呼吸器関連臓器(つまり肺)。

となれば酸素の供給が絶たれた俺の脳髄は警報を打ち鳴らし、

肉体の主(つまり俺)に覚醒を強いる。

かくして二度寝・三度寝と命名された極楽は終焉を迎え、

ひときわ寝覚めと機嫌の悪い大人が今日も無事量産される始末である。



2.子どもは、己に忠実すぎる。

基本的に躾の厳しい家に育った使用上の注意ことこの俺は、

食事時のマナーについては少しうるさい。

といっても「食事中はしゃべってはいけません」とか

「食事中は食器で音を立ててはいけません」とかいう、

時代錯誤も甚だしい厳格なものではなく、

精々「食べ物で遊ぶな」「周囲を汚すな」ぐらいのものではあるのだが。

それにしたって、彼らの食事は凄惨の一言に尽きる。

好きなモノは目をむいて我を忘れてむしゃぶりつき、

だし汁や肉汁やその他何か分からない汁を周囲に発散しながら喰らいつき、

嫌いなモノは目をむいて我を忘れて暴れ出し、

調味料や汗やときには食材そのものを周囲に投げつける。

食事が終わる頃には何らかの事件が起こったのではないかと

第三者に類推されてもおかしくない悲惨な空間が現出してしまうのだ。

それも毎回。

食べたいものは食べたい。

食べたくないものは食べたくない。

それが彼らの正義であり、ルールであり、真理なのであるからして、

大人の側の論理など“子供銀行券”ほどにも役には立たない。

かくしてマイ・スイート・ホームは汚物と食材と何か分からない汁にまみれ、

心の汗を流しながら拭き掃除に精を出す大人が今日も無事量産される始末である。



3.子どもは、狡猾だ。

あれやこれやと書き連ねたが、彼らは天使の笑顔で全てを忘れさせてくる。

これが一番厄介だ。

ニッコリと微笑まれれば、何をしてもされても許してしまう。

むしろ、許さない俺の方が悪いかのように思えてくるから罪深い。

あな恐ろしや。あな恐ろしや。

くっそ。

これ以上騙されてなるものか。

彼らは悪魔の下僕。

己の欲望を極限まで追い求める強欲亡者。

なればこそ俺は彼らの計略にはまるまい。

嫌いなものは嫌い、嫌なものは嫌。

子どもなんて大っ嫌いなの!









<ニッコリ>

あぁ~、かわいいな~。


それじゃ。

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