新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2014年10月

はいどうも、

意思疎通というのは本当に難しいものですね、

使用上の注意です。

というか簡単に“意思を疎通する”といってはみても、

それってつまり相手が何を考え何を思うかを発した言葉や態度・表情から推測し、

こちらの考えや思いを歪みなく過不足なく誤解なく伝えるってことですから、

はっきり言って無理ゲー。

大体「歪みなく過不足なく誤解なく」気持ちを伝えられたら

この社会から犯罪はなくなるんじゃねーのかと。



いや、ちょっと待て。

犯罪の中には金銭苦とか生活困窮とかの

コミュニケーションとは無関係の原因から発生する類のものもあるのだから、

犯罪が全くなくなることはない、か。

より正確に言えば怨恨や痴情のもつれ的なコミュニケーション不全が

大いに関与するタイプの犯罪はなくなるかも知れない、か。

まぁそれにしたって

「目が合ったから腹が立った」20歳無職、とか

「あの子はオレのことが好きなはずなのに無視されたから殺した」21歳無職、とか

そもそも意思疎通のかけらも成立していない状態で起こりうる犯罪も

考えられるのであるからして、

意思疎通が完全に成立したとしても防げる犯罪はさらに限られてしまうのであり、

結局世の中の犯罪の多くは意思疎通と無関係に発生しているような気がしてならず、

いくら意思疎通を完璧に仕上げたところで不幸な人たちは減らせない、か。



と、こうやっていつの間にか犯罪被害者の不遇に思いを馳せている時点で

オレが当初思い描いた“意思疎通は難しい”というテーマが

薄らぼんやりとぼやけてしまってはみたものの、

やっぱり“考えや思いを無加工で伝えきる”意思疎通は難しい、

という持論が強化されたという訳の分からない論理構造に仕上がってみた。

とはいえ、意思疎通が難しいという話から始めて

次に言語を上手く操ることのできない赤子との意思疎通はもっと難しい、

という話を展開し、最後は赤子が発する僅かなシグナルを推測し慮って

右往左往した挙句何にも得られなかったよテヘッ、的なオチに持って行こうと

思っていたのだが、この体たらく。

思ったことをただ伝えるのがこんなに難しいとは、、、

伝える作業の難易度が思いの外高いことに、

思い悩む今日このごろである。



賢明なる読者諸君。

諸君らの中にコミュニケーションで悩む御仁がいたとすれば

ぜひ次の言葉を胸に刻んで欲しい。

『余計なことは言うな』

それじゃ。

はいどうも、

台風というやつにそれほど恐れを感じない、

使用上の注意です。

生まれつき地方の新興ベッドタウンで育ったために

氾濫する河とか用水路とかに縁がなく、

土砂崩れが予見される土の急斜面も

暴風に煽られて飛んでいきそうになる古い雨戸も瓦も、記憶の中にない。

従って台風とは学校が休みになるかならないかを決定づける気まぐれな存在、

以上でも以下でもなく、恐怖の対象ではなかった。

台風と聞かされておぼろげに思い起こされるのは、

ステンレス製の雨戸を閉じきった薄暗い部屋で

ごうごうと吹き渡る風の轟音に耳を傾けながら

幼い姉と二人で両親の帰りを待つ夕暮れどきのワンシーン。

それは恐怖と紐付けられた感情であるはずもなく、

ただただ絶対的な庇護者たる親の帰宅を待つワクワクと、

非日常的空間に身を置くことの高揚感。

それが、俺の台風に関する原体験。



とはいいながら、過去に台風が我が国にもたらした被害は

十分に恐怖の対象となるべき規模を持っているのもまた事実。

パッと思い浮かぶだけでも、古くは伊勢湾台風や室戸台風があるし、

近年も毎年のように台風で死者が出ている。

それに、アスファルトによる舗装が行き渡り、

里山や鎮守の森が姿を消しつつあるこの日本の、

国土としての保水力は驚くほどに弱体化しているのであるからして、

短時間に大量の雨水をもたらす台風はやはり、

恐れられてしかるべきなのではなかろうかと思うわけですよ。



にも関わらず、だ。

治水や護岸工事がある程度進行した都市に人口が過密気味なのもあり、

河川の氾濫やら土砂崩れの危険にさらされる人は

確実に減少している、と思う。

第一次産業に従事する人口が減っているということはつまり、

いわゆる「田んぼ(または用水路)の様子を見てくる」という

死亡フラグを立ててしまう人もまた、同じく減少しているのであろう。

それに、そうした統計的な危険性だけでなく、

強い雨が打ち鳴らす水音や、強い風が扉を打ち付ける音も、

気密性の高い現代家屋において人の恐怖心を煽るだけの威力を持っていない。

結局、今となっては台風も一部の子どもたちが翌日の学校を休む大義名分を

与えるかも知れない福音の使者とさえ待ちわびられる存在でしかなく、

そうした経験を持つ大人の割合が増えるに連れ

台風の台風たるアイデンティティは少しずつ崩壊していっている、

のかも知れない。



で、あればこそ。

祇園精舎の鐘の声には諸行無常の響きがあるそうだが、

何事も変化の魔の手からは逃れられず、

台風という自然現象でさえ例外ではない。

だからこそ、“変わりゆく”という前提で物事を捉え、

解釈し、再構成して新しい価値を生み出さねばならんのだ。

とか何とか、絶妙の変化球で日本を直撃した台風19号の、

猛烈な雨と風を安全な室内からぼんやりと眺めながら考えた、

昨日の夜。

それじゃ。

はいどうも、

意外と涙もろい、

使用上の注意です。

まぁ人一倍感受性が強いというか感情移入が上手いというか、

弱ってる人困ってる人の辛く苦しい心にそっと寄り添い、

自分の痛みとして捉えてしまうクセがあるんですな、僕には。

なんとも心優しい生き物であることだろうか、この僕は。

「嘘つけ」とか言う奴は8年ほど高野山で修行でもしてくるが良い。



というか、常日頃「お前は冷たい」だとか「人の心がない」だとか、

「冷血漢」だとか「鉄面皮」だとか口を極めて罵ってくる親友Aには、

心の底からの反省と悔悟とを要求し、もって転向を求めたい気分だ。

「おぉ○○よ、お前は人の痛みを我が事のように捉えてしまう、

 何と心の優しい生き物であることだろうか」とか、言わせてみたい。

ふむ、他人に言わせたいセリフといえば「ぎゃふん」しか

思い浮かばない傾向にあるこの俺にしては、

なかなか高等で複雑な要求に仕上げてみましたがどうですか?

あ、「○○」には使用上の注意の本名が入ります。



それにしても我々が生きるこの世の中には、何と痛みの多いことか。

東西南北上下左右、不幸に満ち溢れておるのじゃよ!

子を殺めてしまう親がいるかと思えばその一方で、子に殺められる親がいる。

小学校時代のいじめっ子が中学に上がるといじめられ、

高校ではその他大勢となり、大学デビューを頑張ったと思えば

就職に失敗してしがない派遣社員を続けている。

好きでもない女とろくでもない結婚をした末に、

食えない子どもが生まれてはイケてない人生を嘆く男がいる。

かと思えば好きでもない男とろくでもない結婚をした末に、

食えない子どもが生まれてはイケてない人生を嘆く女がいる。

ふと自分の周囲を見回してみれば、何と痛みの多いことか。

気を抜けばそれらの痛みが放つ禍々しいオーラの渦に飲み込まれ、

俺の心はミクロン単位で砕け散っては虚空の彼方に吸い込まれそうなのに、

俺は他人の苦痛をも抱え込んでしまう。

自らの懊悩をも抱えつつ、だ。

悲しい。

悲しいぞ。

悲しすぎるぞ。



いくら禍福は糾える縄の如しと言われようと人生万事塞翁が馬と諭されようと、

結局この世の中から辛いことは消えてなくならず。

多少の幸福に心癒されたとしても、

それ以上の速度と質量で襲いかかる他人のものも含めた苦痛は

俺の心を蝕んでいく。

生きるとは、行であり修行であり業であろう。

逃れられぬ。

滂沱の涙を流しながら、

それでもなお前を向かねばならず、

なお他人の痛みを直視せねばならぬ。

生きるって、しんどいにゃー。

それじゃ。

このページのトップヘ