新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2015年02月

はいどうも、

らっらっらっ

らっヴぃざぽいずん

らっらっらっ

らっヴぃざぽいずんべいべー

使用上の注意です。

何言ってんだてめーとか言うは、取り敢えずコレをどうぞ。





あえて

べびべびべいびべいびべいびべいびべいべー



を選ばなかったのは、

オレがオレであるゆえんというか、

ひねくれ根性というか、

天邪鬼というか。

まぁ別にね、

どんれっみーだーんまいすうぃべーいびーばんびーな



でも良かったんだけどね。

そこはもう何となくよね。



ただ、ぶっちゃけ言わせていただけるのであれば、

オレの中でベストチョイスは

ふらいはーふらいはー



だったりもするわけで、

あんまり誰にも言ってないけど、

高校時代の思い出が詰まってるわけで。

今となっては昔の話になりにけり。

まさに一人今昔物語。

さらば青春の光。



おぉ、珍しくキレイにオチた。

それじゃ。

はいどうも、

ネガティブ系ポジティブ人間、

使用上の注意です。

いわく何らかの事象に直面したとき、

直感的にネガティブな感情に襲われるが

一定の閾値を超えるとポジティブに行動し始める人間のこと。

それがオレ。

おい、別に多重人格とか裏があるとかではない。

単にバランスのとれた人格と言っていただきたい。



それはともかくとして。

何故か気が向いてブログのアクセス状況を見てみたら、

虚無感に対する正しくない対処法」とかいう

エントリが微妙に人気なことに気づいた(二度目)。

前回気づいた時は「オレに救いを求める方がどうかしてるぜ

とかいうエントリでお茶を濁してみたが、

ここまで継続的にアクセスが集まるのであれば

期待に応えねばならん。

ねぇそうだろう?



では早速。

繰り返しになるが、虚無感はヒマなときに訪れる。

心のエアポケットにストンとハマった時、

何をする気もなくなる。

だから仕事をし続けよう、

ってのが正しくない対処法として提示したものだが、

よくよく考えるとこれって非常に危険。

社畜根性が身に染み付いた人間ならば問題もなかろうが、

そうでないヒトがそれを実践してしまえばあら不思議。

新たな社畜が次々と量産されること請け合いである。

まさに社畜量産思想。

量産型社畜製造ライン。

社畜哀史。

社畜工船。

自らが社畜の悲哀を知り尽くしたオレなのに、

いや、だからこそ、仲間を欲していた、のか?

そうなのか?オレ?



この先の独白は恐らく言うまでもなく脱線につぐ脱線なので割愛するとして。

じゃあ社畜にならず虚無感を上手くあしらうにはどうすれば良いのだろうか。

多分、根本的な発想は同じで良いはず。

本質的には時間的余裕が心理的空白を産み、

その隙間に虚無感が居座ってしまうのであるからして、

ヒマをなくす方向で考えれば良いだろう。

とはいえ、それを仕事なり勤労で埋めるのは前述のとおり

社畜を量産する悲劇を招くので、別の方向で考えてる。

はい。

そこで、出会い系ですよ奥さん。



虚無感に襲われそうになったら出会い系に登録。

手っ取り早く直接会えそうなアカウントを探し、

猛アプローチをこなすべし。

そしてアポイントが取れればしめたもの。

虚無感と差し向かいで考えこむヒマなど、

あっという間になくなるであろう。

自分以外の第三者と会う約束をしてしまえば、

否が応でも自由な時間はなくなってしまうのだから。

さぁ賢明なる読者諸君。

諸君らの進むべき道はひとつしかない。

レッツ、出会い系。



まぁ、代わりにヒトとして大事な何かを失いそうだが、

当ブログは一切関知しないからそのつもりで。

それじゃ。



追伸:大切なことなので改めていう。

このエントリは完全にネタだ。

くれぐれも本気にしないよう、

諸君らの賢明な判断を願う。

はいどうも、

書きたいことは相変わらずあまりないけれど、

書こう書こうと気ばかりが急く、

使用上の注意です。

何にも言いたいことなんてないのに、

ただただムダな世間話を続ける有閑マダムの気分。



有閑マダムといえばその昔、

「有閑倶楽部」とかいう少女漫画がありましてな。

3歳上の姉が好きで単行本を集めていたのもあって、

ちょこちょこと読んでいたり読んでいなかったりな作品でして。

マンガの詳細や作者の概要はまぁ適当に調べてもらうとして、

この「有閑倶楽部」に対してはひとつ、

大きな勘違いをしていたことをここに暴露してみよう。

姉が「有閑倶楽部」にはまってからオレがマンガを目にするまで、

「夕刊クラブ」って思ってた。

毎夕届けられる夕刊を読み合い、

感想を述べ合う高尚なクラブ活動だと思ってた。



と同時に、新聞特に全国紙なら目玉は朝刊のはずなのに、

わざわざ夕刊をチョイスするメンバーのひねくれっぷりに、

少しばかり畏敬の念を抱いたりもした。

あと、学校の成績が良くても時事ニュースや社会常識に

疎い姉のことを内心密かにバカにしていたオレとしては、

「夕刊クラブ」なんていうハイセンスでハイソサエティな

マンガを姉が見るなんて、どういう風の吹き回しだろうか、とか思ってた。

我ながら、なんとベタな展開。

ただ、実際に「有閑倶楽部」を目にして、

「有閑」って何だ?とか思ったオレが、

我が家で一番バカなヒトだったんだろうと、今更ながら思うわけで。



年を重ねると知恵が着く。

知恵が着くと見えなかったことが見えてくる。

あの頃のオレには見えなかった自分の愚かさが、

今目の前に克明にありありと、見えている。

こういう人間にはなりたくないなぁ、うん。



うむ。

何のためはかよく分からないまま、

意図せず反省を強いられた現実に、

少し愕然としつつ、

働く。

それじゃ。

はいどうも、

残業代ゼロ法案、

いわゆるホワイトカラーエグゼンプション、

つまり高度プロフェッショナル制度と聞くと、

どうしてもネガティブな印象を抱く、

使用上の注意です。

だってねえ、ほら。



もちろん政府や経済界の言い分にも一理ある、とは思う。

もし仮に残業代が必ず支払われると保証されれば

一部の不届き者が用もないのに会社に居座り、

だらだらと仕事をする振りをする、なんて容易に想像できるから。

これはもう、実体験として分かる。

そして国全体が右肩上がりで成長を続けていて余力がある状況ならばまぁ、

1億歩譲ってそういう輩の存在も許容されよう。

だって頑張れば頑張った分だけ自分の給与が増えるんだし。

ところが現実はさにあらず。



GDPの年率成長がコンマ数パーセント上がった下がったで

上を下への大騒ぎな我が国の現状において、

何もしてない不良社員にのんべんだらりと残業代を与える余裕などないわけで。

乾いた雑巾をさらに絞り込んででも利益を確保することで

何とか経済成長を遂げようとしているのであるからして、

怠け者の残業代に自らの稼ぎが費消されるなど言語道断。

自分が定時で120の成果を挙げたとしても、

長時間残業で80の成果しか挙げられないクソ社員に支払う残業代のせいで

会社の業績が落ち込めば最終的な対価が減ってしまう。

そうであれば“岩盤規制”と称される労働分野においても

改革の大鉈が振るわれるのもある程度仕方がない、のではないかと。

そう愚考してみたり。



ただ、とはいえ、だ。

はいそうですかと高度プロフェッショナル制度を首肯してしまうと、

袈裟の下から鎧がチラリ。

例えば、政府が想定する案に沿って考えても…

・希望しない人には適用しない

 会社「キミ、来期から高度プロフェッショナル制度対象ね」

 ボク「え、ちょっと不安です」

 会社「嫌なら異動だね」

 ボク「…」



・年104日の休日取得

 会社「成果に比例して給与を支払うよ」

 ボク「その目標数値は休みなしで働いても、ほぼ達成不可能かと」

 会社「休日は104日あるから休んでね、休んでるね、休んだね」

 ボク「…」



・1ヶ月の在社時間に上限
・終業から翌日の始業までに一定時間の休息

 会社「1ヶ月に○○時間以上在社しちゃダメだよ、明日まで休んでね」

 ボク「え、でも間に合わない」

 会社「帰ってね。帰ってるね。タイムカード切ったね」

 ボク「…」



とかいうのが日本のそこかしこで起こりそうな気がするのであって。

もちろんこれは勝手な妄想であるから、

会社側の発言が何らかの法に触れる可能性はあるけれど気にしない。

ってか、労働時間を減らしたい、家庭と仕事の両立を支援したい、

という政府の大義名分が本音なら、残業代を3倍増し+支払いを義務にして、

「残業させるぐらいなら納期をずらした方が安くつく」

「だらだら残業は許さず帰らせよう(きちんと管理職が管理しよう)」

って雇用主(&管理職)に思わせる方が良いと思うんだよなぁ。

とか、まぁ、ぐだぐだと思ってみたりしたけれど、

今の年収テーブルから考えて、

自分が対象になることはないんだけどねー!

それじゃ(悔し涙

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