新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

2015年05月

はいどうも、

昨日は偉そうにこんなことを言っておきながら

結果は反対派の勝利ということで穴があったら入りたい、

使用上の注意です。

アナがあったらハイりたい。

ということはアナハイ?

アナと焼酎のミックス?

美味しそうな、不味そうな。

なんとも言えない気分。

そして、参考画像は大人の事情により割愛する。



まぁあれだ、ここは素直に謝ろう。

偉そうなことを言って済みませんでした。

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これからはひっそりと生きていきます。

昔の人は言いました。

出る杭は打たれる。

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それじゃ。

はいどうも、

久し振りに晩酌をかっくらいながら

住民投票の結果をwktkしながら待っている、

使用上の注意です。

出口調査の結果では賛成派が多数を占めそうな勢いだそうだけれども、

期日前投票の結果如何では真反対の結論に至る可能性もあるそうで。

とはいえ、都構想がどうだとか橋下市長の政治手法がどうだとか、

大阪の発展がどうだとかそういう話はするつもりもない。

というかできない。

所詮あっしはしがない一市民でしかありませんから。



そうではなくて、今回の住民投票で思うのは、

今の日本における政治活動ってのはある種広告業界とよく似ていて、

いかにメッセージをシンプルに尖りきるかがポイントなのかなぁって。

情報の流通量がもうそれこそ文字通り数百倍に増えた現代で、

広告情報と同じく政治に関する情報も腐るほどあるわけで。

日々情報の洪水に飲まれてアップアップいってる消費者は、

ほぼそのまま有権者であるからして処理できる情報量はほぼ同じ。

となると必然的に政治的コミュニケーションは

現代の広告コミュニケーションと同様のスタイルを取らざるをえない、

ようなそうでもないような。



『明日の広告』っつー本で看破されてたけれども、

広告コミュニケーションは情報の受け手に対して「聞けよコノヤロー」が

通じる時代なんてとっくの昔に終わりを告げていて、

むしろ今は「聞いてくださいお願いします」って感じだと。

しかも「オレが言いたいのはコレとコレとコレとコレと、

ついでにコレも聞いてけよコノヤロー」がまかり通っていた昔と違い、

「みなさんが知りたいのはズバリ、コレですよね」的なコミュニケーションに

変貌してしまっている、とのことで。

このコミュニケーションのシンプル化+ベネフィットアピールが、

政治の世界にも起きているのではなかろうか。

いわく、「オレを当選させたらコレとコレとコレとコレと、

ついでのコレも実現してやるから票を寄越せコノヤロー」という世界だったのが、

今や「みなさんが実現して欲しいのは、ズバリコレですよね」と。



で、何が言いたいのかと言いますと今回の住民投票で

賛成派のアピールと反対派のアピールを比べてみたところ、

賛成派の活動に軍配が上がるのではなかろうかと。

活動期間中に触れ得た情報を元にざっくりと双方の言い分をまとめると…

賛成派:大阪市を発展的に解消して未来の大阪を作りましょう

反対派:歴史ある大阪市がなくなる、市税が府税に吸収される、
    住民サービスが低下する、現状は別に二重じゃない etc…

てな感じではなかろうかと。

で、そう考えるとやっぱり、アピール上手は賛成派の方だったのではないかと、

そう愚考するわけで。

住民投票の結果はどうあれ、

政治的アピール勝負の結果は賛成派の勝利だったよね、っていう。



思うに、賛成派が上手くメッセージを絞り込むなら…

「今までスミマセン。これから頑張ります」

じゃなかったかなー。

賛成派の主張にいちいち個別で反論するから論点がぼやけたよねー。

以上、政治的コミュニケーションと広告コミュニケーションが

似通っているよね、っていうお話。

それじゃ。

はいどうも、

前職時代の同期同士が長い恋を実らせて結婚したと聞いては

自らの過去を振り返って軽く罪悪感に苛まされる、

使用上の注意です。

関係各位に謹んで申し上げる。

正直すまんかった(AA略



にしてもまぁ世の中には様々な人間がいるもので、

まさに十人十色千差万別。

人生はもちろん、仕事から対人関係から恋愛から晩飯に何を食うかまで

人によって考え方は全く違っているのであって。

一途に想い合った末結ばれる人間がいれば、

若さをいいことにあっちへフラフラこっちへフラフラする人間もいる。

しかも難しいことにその人個人の内的世界においても

互いに相克する価値観が常に対立していたりしていなかったり。

時と場合、背景と状況、属性とポジションといった

不確定要素に応じてその都度判断と決断を重ねた結果、

その人なりの生き方が具体的な形を持って現れたり、現れなかったり。

自分対自分という純粋内心世界でさえ矛盾を孕んでいるのであるからして、

所詮他人同士なんて矛盾しないわけがない。

そこに人の争いやら諍いやら食い違い、仲違いを生じさせる理由がある。

しかも、結局人は一人では生きられぬがため、

自己矛盾と他者衝突を内在しつつ

何だかんだと一秒一秒息を吸って吐かねばならぬのであって、

最終的にいつも行き着く先は同じく「人生って難しい」である。



とは言いながら、そうした自分が自分を、

または他者が相手を相容れない、というコンフリクト状態を踏まえればこそ、

「よそはよそ、うちはうち」なる名言を生み出す余地というか、

素地になっているのも事実であり。

内在あるいは外在の矛盾を前提とするがゆえに

自分あるいは他者を許すための大義名分が生まれるというのも面白い。

ついでに、矛盾する事実が人と人とのコミュニケーションを

活性化させ、関係性を発展させ、相互理解を深め、

落とし所なり妥協点なりを見出させるファクターとなっている、

という構造も論理的に成り立つ。



軽快な音楽。

溢れる笑顔。

そこかしこで咲き乱れる楽しげな会話の花々。

そして、入籍したばかりの二人。

私こと使用上の注意とは正反対の20代を過ごした(と思われる)新郎新婦が、

近しい仲間たちにその仲睦まじさを披露してくれている中で得られた、

結論めいた感慨をここで開陳する。

自分と自分、あるいは自分と他者は絶対的に矛盾する存在であることを

念頭に置きながら日々の暮らしを営んでいけば、

双肩にのしかかる重荷はその大部分を下ろすことができよう。

むしろ矛盾を楽しむが良い。

さすればコミュニケーションが生まれ、

致命的な見解の相違さえ生じなければ彼または彼女との関係性が

次のステージへと昇華されるであろう。

その一方で矛盾の結果、本質的な齟齬が生まれたときは、

最初から縁がなかったと断じれば良い。



最後になった。

おめでとう。

それじゃ。

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