はいどうも、

2015年もいよいよ押し詰まってきたので

なんだかんだで多角的な視点が大切なんだ、

とかそういうことを言ってみたい、

使用上の注意です。

“社会”という大波と暴風が逆巻く嵐の海に漕ぎいでて早10年。

酸いも甘いも辛いも苦いもよく分からない不思議な味も、

それなりに味わってきた、と思わなくもない。

悶絶するほど酸っぱい出来事や気絶するほど苦い体験や、

変な汗が滝のように流れる辛いイベントを通り抜けてきたわけで、自分なりに。

つーか改めて振り返ってみて、文字化してみるとなんだか

マイナスな体験しかしていないような、

気もしないでもないが気にしない。

とにかく、10年間の有難うを込めて

まだ将来に光り輝く無限の可能性を秘めた後進に贈りたい。

『何事も裏表よね』

という哲学を。



例えば法の抜け穴をかいくぐって

グレーゾーンを脇目もふらずひた走る企業なり組織があったとして。

そこで働く人たちはやっぱりサービス残業とかサービス休日出勤とか

サービス有給放棄とかしてるわけで。

従業員としては青息吐息で全力前進するしかなく、

というかそうしないと仕事が回らない。

仕事が回らなければ業績が上がらないのであって、

業績が上がらなければ、多いとか少ないとかは別にしても

サラリーが手に入らない。

だからサービス業的勤労生活を送ることに対する

不平とか愚痴とか不満とかボヤキとか不信とかはとにかくまぁ一回

ぐっと胸の奥にしまいこんで、

グレーゾーン全力疾走型企業に青春を捧げるしかないわけです、ええ。



と、こうやって描写すると数年前から突然流行りだした

ブラック企業のレッテルが想起されるわけであるのだが、

この裏面を探ってみる。

つまり、物事を多面的に捉えてみようという試みだよ、ワトソン君。



当然ながら従業員個人にとって無理な勤務は、心身の疲労を拡大再生産する。

そしてそういうグレーゾーン全力疾走型企業ってのは得てして

サラリーも大変お買い求めやすい価格に仕上がっているのであるからして、

物質的な充足もあまり期待できない。

何が社会のためだ、何がお客様のためだ、何が幸福な人生だ。

ここまでが表面。

だが、まぁちょっと待て。

全くの逆方向から上記の現象を観察してみるに、

彼は疲労と困憊とストレスと何種かの基礎疾患と引き換えに、

常人でない仕事量という経験値を得ている、ことは間違いない。

余人を持ってして代えがたい仕事、というのはなかなかあるものではないが、

だからといって人一倍仕事ができる凡人というのはどれほどいるのだろうか。

その意味で(ある意味無理やりというか自由意志とは関係なくではあるが)

凡人が凡人たる仕事量の数倍にものぼる仕事をこなした彼または彼女は、

もはや凡人ではなく超凡人とでも言うべき存在にレベルアップしたのであって。

テレレレッテッテッテー(ドラクエ風

だ。



別にブラック企業を肯定するつもりはない。

かといって全否定する必要もないような。

問題は自ら火中の栗を拾う覚悟を決めた、

自由意志に基づく就労・勤労であるか否か、ではなかろうかと。

結局、いかにして良い面に目を向けるか。

いかにして前向きに行動できるかが、その後の人生を変えるのではないかと。

物事の裏表を見つめてみるに、そう考えた次第。

依って件の如し。

それじゃ。