はいどうも、

久し振りに夜更かしをしてみたら

やっぱり夜はろくな考えが浮かばない、

使用上の注意です。



この数年、色々と人生の舞台が転回したこともあって、

周辺環境がまさに激変したなぁ、とか思ってみたり。

大きかったのは、転職。

人生の中で20代から60代までの40年以上を費やす仕事は、

つまり人生の半分を使って取り組む一大事業なのであるのは間違いない。

ただ、その事業が終始一貫同じ舞台で踊り続けなければならないものでもなく、

海外の労働者は気に入らない舞台をさっさと自ら降板してまた新しい、

自分に相応しいであろうと思われる舞台へ移ってしまう、らしい。

翻って日本では、感覚的にはつい十年ほど前まで、

一度踏んだ舞台を降りることは許されず、

降板者はさながら人生の落伍者かのように扱われ、

「お前なんてどこの会社に行っても通用しない」なんて、

一度も舞台を変えたことのない先輩役者に根拠のない憶測でしかない

謂れのない非難を浴びるしかないという悲惨としか言えない状況が続いたわけで。



それを思えば彼らの言に言う“落伍者”の仲間入りをしたオレなんて人間は、

結局逃げ出した負け犬だの根気のない今時の若者だの

拾ってやった恩を仇で返す不忠義者だの言われても、

負け犬らしく尻尾を丸めてくーんくーん鳴いてることしか

できない社会的弱者であった、だろう。

感覚的に、十年ほど前ならば。

それでもまぁ今もなお、極々一部の極めて保守的で日本的労働慣行の宿痾とも

いえるような方々は、やっぱりオレを貶して貶めて憎んで恨んで

遠慮会釈も容赦も情けもない言葉という名の刃で切り刻もうとする。

オレは大根でも玉ねぎでもねぇっつーの。



結局何が言いたいのかというとオレは、前の舞台に関わっていた

幾多の人間に対して、オレという人間を別の舞台に立っても通用する

役者に育ててくれた恩義を忘れたことはないし、

これからも忘れることはない、と誓いたいところだが、

その恩義に縛られてあのままあの時の舞台に立ち続けていたらオレは多分、

とても大切で二度と手に入らない何かを失っていたと思うし、

舞台を変えるという一大決心をしたお陰でオレは、

その何かを今手に入れつつあると実感している、ということ。

だからもし、今自分が立っている舞台に疑問やら不安やら不信やら不満を

持っている若い人がいたならば、まずは外の世界を覗いてみると良いよ、と。

そしてぶーぶー言いながらでも良いから今の舞台で一生懸命汗をかいておけば、

別の舞台なのか今の舞台なのかは分からないけれども

いつか必ず役に立つ日が来ると思うよ、と。

縛られず、後ろを向かず。



年を取ると説教臭くなる、というのはホントなんだな。

それじゃ。