はいどうも、

いよいよ本格的に書くことがなくなってきた、

使用上の注意です。

困った時は無心になって、

頭の中に思い浮かぶうたかたを拾い上げるべし。



ところで「うたかた」は、「泡沫」と書く。

逆に、「泡沫」と書いて「うたかた」と読む。

これって何かすげーセンスよな。

「ほうまつ」って読んでしまうと何だか

どうでも良くて軽くて吹けば飛ぶような何か、

をイメージしちゃうけど、ひとたび「うたかた」と

読んでみると一瞬にして言葉のまとう空気が変わる。

例えるなら「ほうまつ」がしょぼくれたおっさん。

「うたかた」は悠々自適な吟遊詩人。

う~ん、これで上手く例えられたとは

お世辞にも思えんな、我ながら。



それにしたって日本人の言葉のセンスはホントステキ。

「たおやかな」立ち居振る舞いの女性がいる、

とか言われたらそれだけでその人に惚れてしまいそうになる。

顔を見ていなくてもお話ししたことがなくても!

そして雪は「しんしんと」降り、雨も「しとしとと」降り、

日は「さんさんと」降り注ぐ。

何となれば愛も「さんさんと」注がれる。

このセンス!

日光の温もり、柔らかさ、優しさを

愛に例えるなんてもう、悶えるわ。

とはいえ、その素晴らしさに気づけるのは

他ならぬ自分自身が日本人であり、

その言語環境にどっぷりと浸かっているから、

といえなくもない、のだろう、たぶん。

だって、金髪碧眼の威丈夫が

「Oh! Beautiful shrine! ミヤビヤカデスネー!」

なんてカタコトの日本語で言ってたら、

何かイラッとするし。

ってえ?俺だけ?

俺だけ?

俺だけか。



とまぁそんな偏狭で狭隘な器を誇る俺としては、

この美しい日本語文化を守りたいと思うのだ。

その決意はマジ本気なんすよー、ってぇか、

本気と書いてマジ?みたいな?っていうか?

となると「マジ本気(マジ)なんすよー」であって、

それは「マジマジなんすよー」と読むのであって、

恐らく何かを「マジマジと」見つめているのかも知れず、

であれば間違いなく視線の先にあるのは“日本語文化”!

一見日本語の美しさを破壊している、かのように見せかけて

実はきちんと日本語文化を見守っている、

という高度なボケですよ、みなさん。

分からない人は置いていきますよ。

義務教育じゃないですからね。



と、ここまで書いてみて、思う存分思考の翼を

広げてフルスロットルで妄想すると、こういうワケの

分からない文章ができあがる、ということが証明された、と。

その証明作業は本当に必要だったのか?と問われれば、

んなもん不要だったに決まってんじゃん、

と答えるにやぶさかではない。

知ってるよ、それぐらい。

へっ。



ふてぶてしく去る。

それじゃ。