はいどうも、

人生はひょんなことでひょんな方向へ転がり出すらしい、

使用上の注意です。

「いや、そうひょんひょん転がってられっかよ」と

思わないでもないけれど、

たかだか30年と少しのサランラップよりも薄っぺらい

マイ・ライフについて「よいこらせ」と振り返ってみれば、

「まぁ確かに」って思わなくもない。

というか、同意せざるを得ない。

果たして10年前、あるいは20年前に

今の自分を想像できていたかと問われれば、

全力で「いいえ」を連呼せざるを得ず。

じゃあこの先10年後、あるいは20年後に

自分がどうなっているかを想像できるかと問われてみても、

やっぱり「いいえ」を連呼せざるを得ないのであって。

結局人のチカラならざる何かによって、

俺の人生ゲームにおける例のクルマは

ひょんひょんと進んでいく転がっていく滑っていく。

人生ゲーム_03


その先にたどり着くのは果たして理想のゴールか、

はたまた苦役待つ貧乏農場か。

それは誰にも分からない。

90l90B683Q815B8380-3



と、そう書いてみたところで

「一体お前は何を言っているんだ?」って思う人もいるだろう。

「一体お前は何が言いたいんだ?」って思う人もいるだろう。

自分でもよく分からない。

ただただ風邪を引くまま風の向くまま気の向くまま

キーボードという名の現代の筆を滑らせた結果が

冒頭の文章であり開陳であり心情の吐露であり。

それ以上でもそれ以下でもないのだが、

それはまぁ確かにあまりにも不親切極まりない。

もう少し背景なり側面なり動機を説明した方が良かろうもん。



時を遡ることウン百年4年と少し。

何をトチ狂ったかブログ上で連載小説なんてものを公開していたこの俺に、

一人の心優しい高校生が手を差し伸べた。

誰が読んでいるのかいないのか、

ネット世界の辺境の辺境の、

そのまた辺境の過疎ブログを訪れた彼女は、

そこで愚にもつかない駄文を吐き散らす俺に対して

とびっきりの惨事を賛辞を贈ってくれた。

で、そこから始まる魂と情熱の物語、

はなかったんだけれども、何気ないコメントのやり取りが続いて。

つーか逆に、その人の文章と考察と視点と生き様に、

衝撃を受ける俺(当時28歳)。

まさに賛辞を送られた側と送った側の立場が逆転した瞬間、である。

あれよ、あれですよ、

俺の中では彼女の方が称えられるに相応しい。

おっと、俺を呼ぶ声がする。

全く、これ以上ないってぐらいムダ話を展開するのに忙しいのに…。

「何だ?本題がない?よく探せ!」



探索中。



そうそう、このエントリの背景ね。

だからそのブログで知り合った尊敬すべき畏友がね、

久し振りに…、ってまた俺を呼ぶ声がする。

何すか、忙しいんすよ、俺だって…

「何?紙面がもうない?」

それは仕方がない。

それじゃ