はいどうも、

幼少期に両親から厳しく躾けられた子どもは結局、

何歳になっても誰かに与えられる規範意識に縛られるのではないかと考える、

使用上の注意です。

つまり、何をするにしても許されるのは自分以外の第三者=権威が

許可した行為のみ、という意識に自縄自縛されている、という仮説。

自発的・自律的な主張や判断を無意識的に禁じてしまい、

誰かからの指示や許可がなければ一歩も動けない(あるいは動かない)

大人になってしまうのではないだろうかと。



「最近は指示待ちの若者が増えてきた」ってよく聞くけど、

それも幼少期の過ごし方(育てられ方)に原因があるのかも知れん。

戦後復興期は家族総出で日々の生活を維持することに汲々としていた、

からこそ、子育てにもある程度の距離感があったはず。

しかも親世代の上にはさらに祖父母世代が併存していたわけで、

子どもから見れば親という権威・権力の上に、それを上回る祖父母が君臨している。

もっと言えば強固な地域コミュニティが影響力を持っていた時代でもある。

そうした親・祖父母・地域という複雑に入り組んだ多重権力構造は

ある種の空白地帯を生み出し、それが子供の価値基準を育てていた、気がする。

そのとき子供に求められたのは、自らがどうなりたいかという目的意識と

その具現に必要な権威・権力を選択する判断能力であろう。

だから、自らを利する権威を主体的に選択し、その時々で最適な言動を

自律的に選びとる能力が磨かれるわけですよ。



高度経済成長を経て生活にある程度のゆとりが得られた親世代。

専業主婦という存在が登場し、彼らが家庭内の一切を差配するようになったとき、

子どもに振り分けるリソースが飛躍的に増加した。

結果として親と子供の距離は良くも悪くも接近し、しかも

核家族化の進行や地域の崩壊がそれに拍車をかけた、と思う。

親に怒られてもかばってくれる祖父母は遠く、

親の監視下を離れた子供を縛る(時には守る)権威としての

地域コミュニティはもはや形骸化してしまった。

必然的に子供に対する親の干渉領域が増加し、親の権威は絶対化する。

こうなれば子供は、単一構造の虜囚にならざるを得ない。

アレをしたらダメ、コレをしたらダメが連発され、

選択できる他の権威がないからこそ子供は自発的な判断能力を奪われていく。

やがてその積み重ねは”自分がどうなりたいか”という目的意識さえ喪失させる。

だって、親の権威に従う他に選択可能な道がないのだから。

その結果が強烈な規範意識に縛られる子供(今の若者)と、

指示待ち大人の増加、ではなかろうか。

真の”ゆとり世代”とは、親世代を言うのかも知れん。



が、ここまで書いて何だが、こうした考え方はオススメしない。

何でも他人のせいにしていたら、イカン。

良い子のみんなはマネしちゃダメだぞ?

つまりこのエントリは、タイトルにもあるように反面教師ネタである。

その点を改めて強調しつつ、オレは悪くない感をアピールしながら

こそこそと逃げる。

アディオス。