新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

カテゴリ:日記系

はいどうも、

昨日の更新でストップしていると

文字通り三日坊主になってしまうところだった、

使用上の注意です。

え?何のことかって?

ブログ連続更新ですよ、兄貴。



それにしてもこう、思い立っては突然更新が続き、

そしてまたピタリと更新が止む連続不定期更新ブログ。

はっきり言ってこれで定期的な読者なんてつくはずもなく。

更新しているかどうか、アクセスしてみるまで分からない。

ロシアンルーレットブログ。

いや、まぁ別にそんな大層な結末は待っていないんだけれども、

そう書くと少しスリリングでヴァイオレンスなムードを演出できる、

わけがない。



そうして自分で広げたテーマを自分でバッサリとぶった切っていると、

結局何が言いたいんだかよく分からない文字列の出来上がり♪

以外の結末を迎えられる気がしない。

あわよくばハッピーエンドで終わりたいんだが、

いかんせん議論の行方があっちへフラフラこっちへフラフラ。

二転三転紆余曲折、毀誉褒貶を経て辿り着くのは、エルドラド?

またの名を睡眠の世界。

いつだってあっという間に眠りの国へ誘うよ(読者を)。



( ゚д゚)ハッ!

そうかなるほど分かったぞ。

長年悩み続けた自分のブログの存在意義が、

ついに白日のもとにさらけ出されるときがきた。

愚にもつかない箸にも棒にもかからない駄文をつらつらと書き連ね、

論旨は曲がり回ってひねくれねじれ、

アッチへ行ったかと思いきや次の刹那にはコッチへ行き、

結局やっぱり何度読んでもよく分からない、このブログ。

その存在意義とはつまり、眠剤(睡眠導入剤)だったのではなかろうか!



ガラッ
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話は聞かせてもらったぞ!

人類は滅亡する!

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そうか。

よし、寝よう(決意)。

それじゃ。

はいどうも、

思ひ出ぽろぽろっていう映画をもじった

“思い出ボロボロ”っていうボケは、

この日本で何人ぐらいが口に出したのだろうかと悩む、

使用上の注意です。

自虐系ネタブロガーなら多分、一度は口にしてる、はず。



と、まぁ今日も順調に時間を潰すことに成功しつつあるわけだが、

そういえばのんべんだらりと時が流れていた昼下がりに、

突然マイ愛機・ジョニー=ザ=フォン(iPhone)が慟哭した。

気怠くアンニュイな(二重表現)午後のひと時を切り裂いて、

文字通り全身を震わせて(バイブ)光を発する

マイ愛機・ジョニー=ザ=フォン(iPhone)。

うん、ケータイが慟哭するとは穏やかでない。

端的に表現すれば、

iPhone様がプッシュ通知をお届けあそばされたわけですね。

プッシュ通知が分からない御仁は、漏れなくggrks。

さすれば輝かしい未来が訪れる(断言)。



で、「ちょと待ってちょと待ってお兄すぁん」ばりに

マイ愛機・ジョニー=ザ=フォン(iPhone)を確認する俺。

いわく『○○○○○さんはご存じですか?by Facebook』ときた。

ビクッときた。

ドキッときた。

リアルで「うはっ」て言ってしまい、慌てて周囲を見回す俺@職場。

まさに挙動不審。

あ、○○○○○には俺が高校時代に恋い焦がれた想い人の本名が入る。

もうね、びっくりしました。

その名前を見た瞬間、ザ・ワールドが発動していたと思う。

そして時が静止した世界で、

きっとあいつはあの頃と変わらぬ笑顔で俺のハートを盗んでいったんだ。
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…。



…。



( ゚д゚)ハッ!

「全ては動き出す」
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Σ(゚Д゚;)エッ?!もうこんな時間?!

「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!」
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俺は仕事中にiPhoneがバイブったからふと目をやると

懐かしい名前が目に飛び込んできたと思ったら、

いつの間にか夜になっていた。

な… 何を言っているのか わからねーと思うが

俺も 何がどうなったのか、さっぱり分からない。

とにかく気づいたら夜だったぐらいの衝撃で、

恋のエネルギーってのはすごい、というお話。

半減期がすげーなげー。



ちなみに想い人はとっくの昔に結婚していて、

今は故郷を遠く離れた土地で幸せに暮らしているそうな。

めでたしめでたし。

それじゃ。

はいどうも、

どうしようもないことをあれこれと考えては時間を浪費するのが好き、

使用上の注意です。

時間を無駄に使うことこそ、

罪多き人類に許された最高の贅沢なのではなかろうか。



社会人という名の社畜人生も10年を越え始めると、

“自分の時間”というものが年々短くなってきていることに気づく、ふと。

毎日毎日「取引先のため」「お客さんのため」「上司のため」

「家族のため」「見知らぬ誰かのため」に自分の時間を使っては

せっせせっせと某かの作業に没頭する生活。

お元気ですか?
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画像は井上陽水先生



特に、三十路行路も中盤に差し掛かると仕事面で脂が乗り始め、

次から次へと案件が降って湧く状況になって泣く。

そんな社会人諸氏が多いのではなかろうかと。

当然、使用上の注意こと○○も例外ではない、はずであるからして。

「○○さん、あれはどうなった?」

「○○くん、例の件頼めるかな?」

「○○先輩、早くあの仕事片付けてくださいよ」

「○○、報告書はまだか?」的な。

ふむ。

若干後輩からも軽んじられているような気がするのは気のせいか?

気のせいか。

あ、○○には俺の本名が入ります。

とはいえ、そうやって日常の雑事に追われていると

自分の時間というものがなかなか確保できず、

珍しく完全フリータイムがやっと手に入ったと思ったら、

とにかく眠る。

「ブログ書いてるじゃん」とか言うやつは、

タンスの角に小指をぶつけて泣いてしまえ。



いかんいかん。

これじゃあ単なる疲労の拡大再生産ではないか。

もっと自分だけのために、自分の時間を浪費せねばならぬ、無駄に。

よし、これは良いきっかけ。

ここで気づいたが百年目。

今まさに、自分の時間を過ごそうじゃないか、無駄に。

どうしようもないことを考えてみようじゃないか、淡々と。

テーマはそうさねぇ。。。



例えば「よっしゃー」って言ったとき、

どこまでが「シャ」でどこからが「アー」なんだろうか。

「キタ━(゚∀゚)━!」って叫んだ時も、

「タ」から「(ア)ー」へ、いつ移行するんだろうか。

あと、「謀ったな。シャア」って言ったときは、

「シャ」と「ア」を明確に分けることができるんだろうか。

そもそも「シャ」とか「タ」の発音の中には

すでに「ア」の要素が入っているわけだが、

「sh」「t」の発音が始まって何秒後に「a」が始まるんだろうか。

まさか「シャ」と発音したその刹那、すでに「ア」が始まっている。

後の先?先の先?何やだかっこいい。

Σ( ゚д゚)ハッ!
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キュピリリリーン!!



もうこんな時間!?

そして案件が山積み?!



謀ったな!シャア!!
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殉職。

それじゃ。

はいどうも、

コミュニケーションコストの削減に取り組む、

使用上の注意です。

何を言っているのか自分でもよく分からないけれども。

何となく言いたいことはぼんやりと見えないでもない。



それはさておき。

つまりですね、例えばですよ、このブログにおいてですなぁ、

「昨日、急ぎの仕事が一番上からご指名でいきなり降ってきて

 無我夢中で対応に追われてるうちに雨が降り出したから、いつもより

 遅い時間に家に帰り着いたころには、すっかり濡れネズミになっちゃったよ」

って書いたとしようじゃないか、諸君。

なんでもない日常をスリリングに描き出した手に汗握る名文、

と言えなくなくなくなくもないけどそこは本題から外れるから良い。

コミュニケーションコストの削減という視点から

上記の一文を検証してみたい。



まず、コミュニケーションとは自らの意思を思った形のまま相手へ届け、

かつ相手の意思を改変せずに受け取ることであるからして、

相手の理解を妨げる余計で不要な修辞や言い回しは避けるべきであり、

端的に伝えたいメッセージを表現するのが良い、ように思える、一見。

だがしかし。

コミュニケーションの周辺要素として対話者との関係性という

不確定要素が密接に絡むわけであるからして、

親しい相手なのかそうでないのかでも、

そのスタイルは変化して然るべきなのは言うまでもない。



結果として、コミュニケーションにおいては

1.思ったこと(意思)を互いに(正確に)やりとりする

2.関係性に応じて適切な緩衝材(修辞、言い回し)を用いる

ことが重要になるのではないか、そう愚考する次第である。

従って、コミュニケーションコストの削減とは、

この2点を踏まえた上で最低限の情報量にそぎ落とし、

かつコミュニケーションの本質的な目的を達成するという

非常に高度で困難な挑戦に他ならないのである。



さて、ここで本題に立ち返る。

コミュニケーションのコストの削減

使用上の注意こと○○の平凡で代わり映えのしない日常を

手に汗握るサスペンスに仕立てあげた冒頭の一文。

あ、○○には俺の本名が入りますよ。

これをコミュニケーションコストの削減という観点から

リライトしてみようじゃないか、諸君。

エントリ開始からここに至るまで、

数多の紙数を浪費している点については目を瞑ろう。

気高く、雄々しく。

レッツ、リライト。



「昨日、急な残業、雨降る、濡れて帰る」

オチ?

黙秘します。

それじゃ。

はいどうも、

らっらっらっ

らっヴぃざぽいずん

らっらっらっ

らっヴぃざぽいずんべいべー

使用上の注意です。

何言ってんだてめーとか言うは、取り敢えずコレをどうぞ。





あえて

べびべびべいびべいびべいびべいびべいべー



を選ばなかったのは、

オレがオレであるゆえんというか、

ひねくれ根性というか、

天邪鬼というか。

まぁ別にね、

どんれっみーだーんまいすうぃべーいびーばんびーな



でも良かったんだけどね。

そこはもう何となくよね。



ただ、ぶっちゃけ言わせていただけるのであれば、

オレの中でベストチョイスは

ふらいはーふらいはー



だったりもするわけで、

あんまり誰にも言ってないけど、

高校時代の思い出が詰まってるわけで。

今となっては昔の話になりにけり。

まさに一人今昔物語。

さらば青春の光。



おぉ、珍しくキレイにオチた。

それじゃ。

はいどうも、

ネガティブ系ポジティブ人間、

使用上の注意です。

いわく何らかの事象に直面したとき、

直感的にネガティブな感情に襲われるが

一定の閾値を超えるとポジティブに行動し始める人間のこと。

それがオレ。

おい、別に多重人格とか裏があるとかではない。

単にバランスのとれた人格と言っていただきたい。



それはともかくとして。

何故か気が向いてブログのアクセス状況を見てみたら、

虚無感に対する正しくない対処法」とかいう

エントリが微妙に人気なことに気づいた(二度目)。

前回気づいた時は「オレに救いを求める方がどうかしてるぜ

とかいうエントリでお茶を濁してみたが、

ここまで継続的にアクセスが集まるのであれば

期待に応えねばならん。

ねぇそうだろう?



では早速。

繰り返しになるが、虚無感はヒマなときに訪れる。

心のエアポケットにストンとハマった時、

何をする気もなくなる。

だから仕事をし続けよう、

ってのが正しくない対処法として提示したものだが、

よくよく考えるとこれって非常に危険。

社畜根性が身に染み付いた人間ならば問題もなかろうが、

そうでないヒトがそれを実践してしまえばあら不思議。

新たな社畜が次々と量産されること請け合いである。

まさに社畜量産思想。

量産型社畜製造ライン。

社畜哀史。

社畜工船。

自らが社畜の悲哀を知り尽くしたオレなのに、

いや、だからこそ、仲間を欲していた、のか?

そうなのか?オレ?



この先の独白は恐らく言うまでもなく脱線につぐ脱線なので割愛するとして。

じゃあ社畜にならず虚無感を上手くあしらうにはどうすれば良いのだろうか。

多分、根本的な発想は同じで良いはず。

本質的には時間的余裕が心理的空白を産み、

その隙間に虚無感が居座ってしまうのであるからして、

ヒマをなくす方向で考えれば良いだろう。

とはいえ、それを仕事なり勤労で埋めるのは前述のとおり

社畜を量産する悲劇を招くので、別の方向で考えてる。

はい。

そこで、出会い系ですよ奥さん。



虚無感に襲われそうになったら出会い系に登録。

手っ取り早く直接会えそうなアカウントを探し、

猛アプローチをこなすべし。

そしてアポイントが取れればしめたもの。

虚無感と差し向かいで考えこむヒマなど、

あっという間になくなるであろう。

自分以外の第三者と会う約束をしてしまえば、

否が応でも自由な時間はなくなってしまうのだから。

さぁ賢明なる読者諸君。

諸君らの進むべき道はひとつしかない。

レッツ、出会い系。



まぁ、代わりにヒトとして大事な何かを失いそうだが、

当ブログは一切関知しないからそのつもりで。

それじゃ。



追伸:大切なことなので改めていう。

このエントリは完全にネタだ。

くれぐれも本気にしないよう、

諸君らの賢明な判断を願う。

はいどうも、

書きたいことは相変わらずあまりないけれど、

書こう書こうと気ばかりが急く、

使用上の注意です。

何にも言いたいことなんてないのに、

ただただムダな世間話を続ける有閑マダムの気分。



有閑マダムといえばその昔、

「有閑倶楽部」とかいう少女漫画がありましてな。

3歳上の姉が好きで単行本を集めていたのもあって、

ちょこちょこと読んでいたり読んでいなかったりな作品でして。

マンガの詳細や作者の概要はまぁ適当に調べてもらうとして、

この「有閑倶楽部」に対してはひとつ、

大きな勘違いをしていたことをここに暴露してみよう。

姉が「有閑倶楽部」にはまってからオレがマンガを目にするまで、

「夕刊クラブ」って思ってた。

毎夕届けられる夕刊を読み合い、

感想を述べ合う高尚なクラブ活動だと思ってた。



と同時に、新聞特に全国紙なら目玉は朝刊のはずなのに、

わざわざ夕刊をチョイスするメンバーのひねくれっぷりに、

少しばかり畏敬の念を抱いたりもした。

あと、学校の成績が良くても時事ニュースや社会常識に

疎い姉のことを内心密かにバカにしていたオレとしては、

「夕刊クラブ」なんていうハイセンスでハイソサエティな

マンガを姉が見るなんて、どういう風の吹き回しだろうか、とか思ってた。

我ながら、なんとベタな展開。

ただ、実際に「有閑倶楽部」を目にして、

「有閑」って何だ?とか思ったオレが、

我が家で一番バカなヒトだったんだろうと、今更ながら思うわけで。



年を重ねると知恵が着く。

知恵が着くと見えなかったことが見えてくる。

あの頃のオレには見えなかった自分の愚かさが、

今目の前に克明にありありと、見えている。

こういう人間にはなりたくないなぁ、うん。



うむ。

何のためはかよく分からないまま、

意図せず反省を強いられた現実に、

少し愕然としつつ、

働く。

それじゃ。

はいどうも、

残業代ゼロ法案、

いわゆるホワイトカラーエグゼンプション、

つまり高度プロフェッショナル制度と聞くと、

どうしてもネガティブな印象を抱く、

使用上の注意です。

だってねえ、ほら。



もちろん政府や経済界の言い分にも一理ある、とは思う。

もし仮に残業代が必ず支払われると保証されれば

一部の不届き者が用もないのに会社に居座り、

だらだらと仕事をする振りをする、なんて容易に想像できるから。

これはもう、実体験として分かる。

そして国全体が右肩上がりで成長を続けていて余力がある状況ならばまぁ、

1億歩譲ってそういう輩の存在も許容されよう。

だって頑張れば頑張った分だけ自分の給与が増えるんだし。

ところが現実はさにあらず。



GDPの年率成長がコンマ数パーセント上がった下がったで

上を下への大騒ぎな我が国の現状において、

何もしてない不良社員にのんべんだらりと残業代を与える余裕などないわけで。

乾いた雑巾をさらに絞り込んででも利益を確保することで

何とか経済成長を遂げようとしているのであるからして、

怠け者の残業代に自らの稼ぎが費消されるなど言語道断。

自分が定時で120の成果を挙げたとしても、

長時間残業で80の成果しか挙げられないクソ社員に支払う残業代のせいで

会社の業績が落ち込めば最終的な対価が減ってしまう。

そうであれば“岩盤規制”と称される労働分野においても

改革の大鉈が振るわれるのもある程度仕方がない、のではないかと。

そう愚考してみたり。



ただ、とはいえ、だ。

はいそうですかと高度プロフェッショナル制度を首肯してしまうと、

袈裟の下から鎧がチラリ。

例えば、政府が想定する案に沿って考えても…

・希望しない人には適用しない

 会社「キミ、来期から高度プロフェッショナル制度対象ね」

 ボク「え、ちょっと不安です」

 会社「嫌なら異動だね」

 ボク「…」



・年104日の休日取得

 会社「成果に比例して給与を支払うよ」

 ボク「その目標数値は休みなしで働いても、ほぼ達成不可能かと」

 会社「休日は104日あるから休んでね、休んでるね、休んだね」

 ボク「…」



・1ヶ月の在社時間に上限
・終業から翌日の始業までに一定時間の休息

 会社「1ヶ月に○○時間以上在社しちゃダメだよ、明日まで休んでね」

 ボク「え、でも間に合わない」

 会社「帰ってね。帰ってるね。タイムカード切ったね」

 ボク「…」



とかいうのが日本のそこかしこで起こりそうな気がするのであって。

もちろんこれは勝手な妄想であるから、

会社側の発言が何らかの法に触れる可能性はあるけれど気にしない。

ってか、労働時間を減らしたい、家庭と仕事の両立を支援したい、

という政府の大義名分が本音なら、残業代を3倍増し+支払いを義務にして、

「残業させるぐらいなら納期をずらした方が安くつく」

「だらだら残業は許さず帰らせよう(きちんと管理職が管理しよう)」

って雇用主(&管理職)に思わせる方が良いと思うんだよなぁ。

とか、まぁ、ぐだぐだと思ってみたりしたけれど、

今の年収テーブルから考えて、

自分が対象になることはないんだけどねー!

それじゃ(悔し涙

はいどうも、

最近“書きたい欲求”が薄れつつあるような気がしている、

使用上の注意です。

念のため予め申し上げておくが、

“カキたい欲求”ではない、決して。

そんな下ネタを自らのブログ冒頭から堂々と掲載できるほど、

大きな人間ではないのですよ、私は。

それともちろん、“牡蠣鯛欲求”でもないので悪しからず。

つーか牡蠣鯛欲求ってなんだよ。

鍋に牡蠣と鯛を突っ込んでぐつぐつ煮たい欲求か。

一兆歩譲ってそんな欲求があるとすれば、

心理分析的にどうなんだね、フロイト君。



そういえばさっき、“フロイト”を変換しようとして

“風呂意図”が出てきたけど本題とは全く関係がないので

あまり深く掘り下げないようにしたい、ぜひ。

風呂意図を一度でも掘り下げようものなら今日のテーマはどこかへ飛び立ち、

後にはカオスな文章が残るだけに決まっているのだから、絶対。

だから決して風呂意図に触れてはならぬ触れてはならぬ。

触らぬ神に祟りなし。鰆に髪も計りなし。早良親王に祟りあり。

「祟りじゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

ほら、もう低温火傷しかけてる。



話を強引に戻そう。

“書きたい欲求”が最近薄れつつあるような気がしている話ですよ。

もちろん“カキたい欲求”は衰えを知ら、ってゲフンゲフン…。

い、以前は読書量が増えれば増えるほど

つまりインプットされる情報量が増えれば増えるほど出したい欲求が、

つまりアウトプットしたくなっていた。

まぁ文章表現欲求という世界において、ムラムラしていたわけだ。

で、出したいなら出せば良いとばかりに、

ブログという名の箸にもかからぬ駄文を

せっせせっせと量産してはインターネットの大海に晒してきたわけですよ、旦那。

それなのに。

最近は色々とアレがソレしてこうなって時間ができて、

読書量が飛躍的に増えたにも関わらず、

ブログの更新はとんとご無沙汰。

これでもかこれでもかと挿入される情報の大洪水。

それでもぴくりともしない筆運び。

これは一体どういうことだ。



まさか、これは、ひょっとして。

最近年齢の割にソッチの欲求が高まってきているなぁと思っていたが、

もしや情報発信という欲求が体内で誤変換されているのでは…。

“カキたい”や、“牡蠣鯛”や、“風呂意図”のように。。。

となれば今の俺に必要なのはブログ更新などではない。

もちろん自分で自分を慰める秘められた行為でもない。



IMEの再インストールだ。

さぁ、インストールディスクを探すことから始めよう。



えぇっと、、、次回から真面目になります(多分)。

それじゃ。

はいどうも、

最近読書ペースが早くなっている、

使用上の注意です。

まぁ話せば長くなるのだが色々とアレがソレした結果、

読書時間が増えた。それも圧倒的に。

今までの自分は来る日も来る日も仕事がテッペンを回り、

倒れこむように帰宅しては僅かな休息をむさぼり、

そしてまた翌朝には何食わぬ顔して出勤する毎日だったのであるからして、

いつ本を読めと?的な。

ただ、そんな話はどうでも良い。

それもまた今では良い思い出に近いので。

ソレがあるから今がある、と本気で信じてもいるし。

これ以上は語るまい。



で、だ。

読書量が増えると当然お財布さんがポロポロと涙を流すハメになる。

なぜか?

お金さんがハイペースで旅立つので、

あっという間に俺の財布はウルトラ・ライト・サイフに変身するからだ。

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※これはウルトラ・ライト違い

ここで俺は閃いた。

「そうだ、古本屋に行こう」

と、至極当然の結論に落ち着き、喜び勇んで古本屋のドアをくぐる俺。

そこに広がっていたのは本好きのためのエルドラド。

1冊100円(税抜)という夢の様な価格で、

少し恥ずかしそうに並ぶ本たちの姿である。

俺の心は早鐘のように鼓動を重ね、雲の上を歩くように浮き立つ足。

目はお目当ての本を探してアッチへキョロキョロ、コッチへキョロキョロ。

これは噂のキョロ充かと(誤った)独り合点を打ちながら店内を彷徨う俺。

しかも最近の古本屋は、在庫処理やらなんやらで10冊以上の購入なら

70%オフとかいう狂気の沙汰としか思えない価格設定で勝負してくるから困る。

結果、1回の買い物で20冊以上の本を購入する俺。

で、むさぼり読む俺。



ところが、だ。

かつて読書に感じたような高揚感とか満足感とかカタルシスとかが、

イマイチ薄い。

来る日も来る日もページを捲っては小さなため息をつく。

「なぜだ?なぜこんなにも感動が薄い?

 俺はもっと心動かしたいんだ!もっと心震わせたいんだ!

 もっと心揺さぶりたいんだ!!!」

まぁ叫ぶだけでは能がない。

ここはひとつじっくりと原因を考えてみようじゃないか、ワトスン君。



以前:本は書店で新品を購入→毎回何がしかの感動

現在:本は古本屋で中古品を購入→何か違う

以前ならば平均して80点以上の感動を手に入れていた、ように思うが、

今は良いとこ65点。

ひどい作品になると「二度と読むか!」となり果てぬ。

なぜか。

以前と現在を比較するに、やはり違いは新品なのか中古なのかということ。

しかし、新品だから感動できて中古だから感動できないなんてことはない。

良い作品は一度誰かに読まれていようがいまいが良いのであって、

属性の変化によってその価値が揺らぐことはない、はず。

ふむぅ。



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キュピリリ~ン!

ここで俺は閃いた。

新品=高い=金に限りがある=購入する書籍は厳選する=ハズレが少ない

中古=安い=たくさん買える=守備範囲を広げて買っちゃう=ハズレも多い

そうか、そうなのか、そうだったのか!!

読書家としてまたひとつ階段を登った気分である。

曰く、『古本といえども購入の選択ハードルは下げるべからず』。

書を求めんがため、書を捨てて街へ出た甲斐があった。

さぁ、今日も今日とていざBOOK OFFへ。

よ~し、今回も順調に無駄な時間を過ごしたぜ。

それじゃ。

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