新・使用上の戯言

意味がない、という意味を求めて紡ぐ、無意味な言葉の連なり。

カテゴリ: 恋愛系

はいどうも、

思ひ出ぽろぽろっていう映画をもじった

“思い出ボロボロ”っていうボケは、

この日本で何人ぐらいが口に出したのだろうかと悩む、

使用上の注意です。

自虐系ネタブロガーなら多分、一度は口にしてる、はず。



と、まぁ今日も順調に時間を潰すことに成功しつつあるわけだが、

そういえばのんべんだらりと時が流れていた昼下がりに、

突然マイ愛機・ジョニー=ザ=フォン(iPhone)が慟哭した。

気怠くアンニュイな(二重表現)午後のひと時を切り裂いて、

文字通り全身を震わせて(バイブ)光を発する

マイ愛機・ジョニー=ザ=フォン(iPhone)。

うん、ケータイが慟哭するとは穏やかでない。

端的に表現すれば、

iPhone様がプッシュ通知をお届けあそばされたわけですね。

プッシュ通知が分からない御仁は、漏れなくggrks。

さすれば輝かしい未来が訪れる(断言)。



で、「ちょと待ってちょと待ってお兄すぁん」ばりに

マイ愛機・ジョニー=ザ=フォン(iPhone)を確認する俺。

いわく『○○○○○さんはご存じですか?by Facebook』ときた。

ビクッときた。

ドキッときた。

リアルで「うはっ」て言ってしまい、慌てて周囲を見回す俺@職場。

まさに挙動不審。

あ、○○○○○には俺が高校時代に恋い焦がれた想い人の本名が入る。

もうね、びっくりしました。

その名前を見た瞬間、ザ・ワールドが発動していたと思う。

そして時が静止した世界で、

きっとあいつはあの頃と変わらぬ笑顔で俺のハートを盗んでいったんだ。
a195f819


…。



…。



( ゚д゚)ハッ!

「全ては動き出す」
2881749i



Σ(゚Д゚;)エッ?!もうこんな時間?!

「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!」
2fa529d9
俺は仕事中にiPhoneがバイブったからふと目をやると

懐かしい名前が目に飛び込んできたと思ったら、

いつの間にか夜になっていた。

な… 何を言っているのか わからねーと思うが

俺も 何がどうなったのか、さっぱり分からない。

とにかく気づいたら夜だったぐらいの衝撃で、

恋のエネルギーってのはすごい、というお話。

半減期がすげーなげー。



ちなみに想い人はとっくの昔に結婚していて、

今は故郷を遠く離れた土地で幸せに暮らしているそうな。

めでたしめでたし。

それじゃ。

はいどうも、

“愛”なんていう面倒臭いテーマはそろそろ終わらせたい、

使用上の注意です。

どう書いても結局万人の理解は得られないし、

どう考えても人それぞれだから。

まぁそうは言っても自分で始めたエントリだし、

何とか無理矢理にでも終わらせるべく頑張る。



↓↓↓ここから前回までのあらすじ↓↓↓

■第1回

昔の使用上の注意=愛情表現=関係性メンテナンス要素

∵オレからの愛情を疑う女子への対処法の一つ

■第2回

愛情表現=メンテナンスツール

∴愛という感情に対する考察を怠る

+アガペーとか言われてもピンと来ない

∴好み→好き→愛、という浅い理解のまま生きるオレ

→ところが、仕事上“愛”を考えるはめに!

↑↑↑ここまで前回までのあらすじ↑↑↑



正直、商談で「ウチの会社は“愛”を育みたいんです」とか言われても

心のなかでは「?」が乱舞してしまっていた。

「愛ってのは要するに好きの延長だから、え?恋愛を広めるの?」

とか、激しく的外れかつ失礼な思考を繰り広げていたわけである。

もちろんその会社の意図する“愛”とはそんな俗っぽい哲学ではなく、

まさにギリシアの哲人たちが日夜議論を戦わせた(想像)

本来的で根源的な意味での“愛”であって、愛欲とか性愛とかではない。

ただ、分からないで済ませられないのがプロフェッショナルな社会人。

何とか自分なりにクライアントの言う“愛”を理解して、

それを踏まえたコンセプトを打ち立てねばならん、雄々しく、猛々しく。

少なくとも、愛=好きの延長、好きの強化ver.とかいう

中二的思考からは一刻も早く脱却しなければならない状況ですよ。



三十路を過ぎて尚、中二レベルで思考が止まっていた自分を恥じる暇もなく、

必死こいてイロイロと調べてみるに、ひとつの答えへたどり着いた。

何を調べていたのかや、どういう経路を辿って結論へ至ったのかは、

この際良いじゃない。だって説明するのが面倒臭い。

とにかく、今ここに、オレの辞書はアップデートされた。

恋だの愛だのに悩む健全なる青少年諸君。

つい最近まで諸君らと同じ地平で苦しみもがいていたこのオレが、

迷える子羊たる君たちに啓示を与えよう。

愛とは、愛してるとは、こういうことだ!!



愛とは…いつくしみあう心。ひろく、人間や生物への思いやり。

これよ、これ。

ヤりたいとか抱きたいとか、そういう下劣な妄執からは早く超越したまえ。

欲望とか欲求とか低次元なリビドーから己を解放するのだ。

そして君たちのそばにいる人たちを大切に思えたなら、

それが“愛”なのだ!!(ドヤァ



え?ここまで大上段に構えながら長々と引っ張って、

オチはWikipediaかよって?

汝、使用上の注意を許し給え。

汝、使用上の注意を愛し給え。

さすれば未来は開かれる救われる解き放たれる。

アーメン。

はいどうも、

どうやら最近これまで以上に筆が進んでしまうらしい、

使用上の注意です。

しかも、無駄に。

言いたいことを簡潔に、結論から先に、シンプルな論旨と言葉で言いなさい。

昔から色んな人に注意されたなぁ(テヘッ)。

でも気にしない。



↓↓↓ここから前回のあらすじ↓↓↓

使用上の注意=恋愛経験それなり

but 愛情表現は少なかった

→むしろ愛情表現=関係性メンテナンス要素

∵オレからの愛情を疑う女子への対処法の一つ

↑↑↑ここまで前回のあらすじ↑↑↑



で、もう少し“愛情表現=メンテナンスツール”論を掘り下げる。

オレの中で「好きだ」とか「大切だ」とか「愛してる」とか、

それに類する一切の愛情表現キーワードは

大抵の場合機嫌を損ねたパートナーに対する関係修復ツールでしかなく、

相手への親愛の情を表現する本来的な使い方をしていなかった。

となると当然、オレの脳裏では“愛情表現=極めて便利なツール”

としてしか位置づけられず、様々な愛情表現ワードの意味や意義を

探求する動機も理由もきっかけも必要性も生じないのであるから、

特に深く考えず「今言えば機嫌が直るだろ」ぐらいの気持ちで表現していたわけよ。

結果、「特定の他者を好きだと思うのはどういうことか」

「ある他者が自分にとって大切な存在であるというのはどういう意味を持つのか」

「誰かを愛するというのはどういう心の移り変わりなのか」

なんてのは考えずに生きてきた。



あと、高校時代の倫理の授業でアガペー(無償の愛)とかを学んだこともあったが、

宗教と極地的距離を隔てた生活を送っているオレとしては、

「あがぺーナニソレ美味シイノ?」状態で、

見返りを求めない奉仕の気持ち、ぐらいの理解でしかなく。

それよりも愛欲とか性愛についての参考画像はないのかよ、

ぐらいに思ってました。

すまんね、西口先生(倫理担当教師)。

何にせよ顔が好みで一緒にいて楽しければ「何か良いな」で、

それ以上に一緒にいたいと思えれば「好き」で、

失いたくないと思うようになれば「大切だ」で、

「愛してる」なんてのもその延長線だろ?的な浅い理解で、

幾人かの女子とくっついたり離れたり傷つけたり傷つけられたり。

そんな青春期を過ごしていたわけですね、オレは。



ところが、ひょんなきっかけで“愛”について

考えるきっかけが生じたから困った。

まぁ恋愛がきっかけではなく、

“愛”を掲げる企業さんに仕事で出会ったことがその理由なんだけれども。

ともあれ、恐らく人生で生まれて初めてに近いレベルで、

「愛」について考えてみたら何とまぁ。



またしても紙面の都合で失礼する。

ちなみに、吾輩は無計画男である。

オチはまだない。

それじゃ。

はいどうも、

ネタに困ったときは自分の恥ずかしい過去を切り売りしてしのぐ、

使用上の注意です。

じゃぁわざわざブログなんて書かなくても…、

なんていう思いもしないではないが、

それ以上に自己顕示欲が強いのでこうなる。

そして、自分の社会的評価がどんどん下がるのを

唇噛み締めながら見守るのがお約束のルーティン。

どんなに恥辱にまみれようと抑えきれない自己顕示欲に任せて、

今日は柄にもないことを考えてみたので

開陳してみようと思う、柄にもなく惜しげもなく臆面もなく。



まず、前提として使用上の注意ことオレは、

それなりに恋愛経験を積んでいるという点を頭に入れてもらいたい。

あれほど“人並み”を嫌うオレもはやり人の子。

人並みに恋をして、人並みに失恋し、人並みに成就して、

人並みに恋愛経験を重ねてきている、はず。

で、32歳という節目でも何でもない年齢の今、

改めて過去の恋愛経験を点検してみるに、

その時どきのパートナーに対する愛情表現の類が少なかったように思う。

というよりも、愛情表現という名を借りて二人の関係性をメンテナンスする、

ぐらいの意識でいた、確か。



つまりどういうことか。

年頃の女子というやつはピサの斜塔も真っ青なほど不安定であって、

いや、むしろ傾きながらも物理的平穏を保っている

ピサのひねくれタワーの方が数億倍も安定しているだろう。

とにかく、付き合って間もない頃ならまだしも、

数ヶ月を経ようもんなら「本当に私のこと好きなのかしら?」

とかいう面倒臭い可憐な乙女心に翻弄されてしまう、本人が。

まぁそういう疑問を抱かせるに至ったのは

普段ほとんど自分から連絡をしなかったり

平気で他の女の子と遊びに行ったりしていたオレにも

原因の一端があることは否めない。

いや、まぁほとんどの原因はオレに帰責するんだろうけど

この際そういう批判的意見は一切黙殺するので悪しからず。



とにかくまぁ不安に駆られる訳ですよ、彼女たちは。

そういう時、男子諸君はどのように対処すべきか。

これはもう先人たちの累々たる屍の上に燦然と輝く、

我慢とか忍耐とか受容とか無我とか、

そういう類の概念の中に確かな答えがすでにある。

平たく言えば

『我慢して愚痴を聞いて共感して(るフリをして)最後に「好きだよ」』。

これに尽きる(ゲス顔)。



と同時に、紙面が尽きたのでちょっと失礼。

また会おう、恋に悩む青少年よ。

それじゃ。

はいどうも、

猫大好きフリスキー、

使用上の注意です。

何が好きって猫が好き。

猫が飼いたい飼いたい飼いたい。

臆面も外聞も恥ずかしげもなく全世界に向かって

「猫飼いてぇぇっ!!」って叫べるぐらい、猫が好き。



ただ、そこはやっぱり我が不倶戴天の敵にして

我が家の絶対専制君主であらせられるMy Sweet 暴君・嫁が立ちはだかる。

彼女はなんと動物全般アレルギー。

しかも、別に獣がそばにいると鼻水が出るでも

目がしぱしぱするでも蕁麻疹が出るでもない、

ただ「怖いから」とかいうよく分からない理由の、動物アレルギー。

ふざけてやがる。

そりゃぁもちろんオレだって、血も涙も人一倍ふんだんに

ご用意してお客様のご来店をお待ちしている人情派サラリーマンですから、

愛玩動物の存在がパートナーの身体的な不具合を生じるような事態は

全力で回避させて頂きたい所存でありますよ、えぇ。

でも、「怖いから」って何だよコンチクショー。

そんなんだからあなた様は暴君であって独裁者であって、

恐怖の大王として我が家に君臨され奉っておられるのです、くそぅ。



「怖い」なんて何とか克服してくれよ。

その一歩を踏み出す勇気さえあればあら不思議、

家内安全・所願成就が叶うコト請け合い!

それなのに!それなのにっ!!

何度「猫飼育の請願」を提出しても「猫飼育法案」を提出しても、

吉野作造ばりに直訴しても、ことごとく却下却下アンド却下。

そろそろクーデターでも起こしてやって、

どっちが上位なのか思い知らせてやろうか、

などと後ろ暗い企画を温めているとMy Sweet 暴君・嫁が一言。

「猫のどこが良いの?」

よし来たホイ来た、これぞ猫飼育に向けて暴君説得の千載一遇のチャンス。

ここぞとばかりに猫の魅力を語って進ぜよう。



暴君「猫なんて気まぐれで、呼んでも近くに来ないから可愛くない」

オレ「何をおっしゃいますやら我が君。猫の第一の魅力は、その媚びなさ。
   己の気の向くままに行動する気まぐれっぷりが、逆に可愛さになるのです」

暴君「呼んでも来ないくせに、ジブンが遊びたくなったら寄ってくる」

オレ「それが良いのでありますよ。飼い主が呼び疲れて別のコトをすると
   途端にすり寄ってきて邪魔をする。それがまた良い」

暴君「つまり、気まぐれで気分屋で言うコトを聞かないのが猫の魅力?」

オレ「言葉にトゲは感じますが、概ね御意にありまする」

暴君「じゃぁ私がいれば良いじゃない」

オレ「っ…!」



いつの日か我が悲願の成就されるコトを切に願って、去る。

それじゃ。

はいどうも、

何だかよく分からないうちによく分からない連載が始まってしまった、

使用上の注意です。

しかも何だか恥ずかしい。

まぁ書き始めてしまった以上、

何らかの結論なりオチなりを用意するのがブログのマナー。

え?そんなマナーなんてない?

それに今までオチがないエントリばかりじゃないかって?

うるせー(暴言)。



前回はとある女性との別離と再会を描いたが

取り敢えずその続きを書く。

中学時代は顔見知り、高校時代は音信不通、

大学時代の半分をそのまま交流なく過ごし、

残りの半分で再び動き出したオレと彼女の歯車。

お互いに別々の恋をし、別れを重ね、また新たな恋と出会う中で、

家が隣となればお互いの相談役となるのは自然な流れ。

相談という潤滑油を得た二人の歯車は、スムーズに咬み合って回り始める。

深夜の公園で、互いの家で、家の前の路上で、

二人は様々な内容で言葉を重ねていく。



ただ、今さらながらここでひとつ彼女には

謝っておかなければならないコトがある。

この連載タイトルにあるように、オレは素直ではない。

相談をしているように見せかけて、

オレはほとんど本音を打ち明けていなかった。

すまん、○○○よ。

あ、○○○には彼女の本名が入る。

でも、多分だが、彼女もオレのそんな性質を承知していたハズだ。

なぜなら彼女はコトあるごとにこう言っていたから。

「○○よ、素直になれって」と。

あ、○○にはオレの本名が入ります。



そんな互いに互いの心の奥底まで理解しあう関係が、

いつしか深い男女の関係になるのにそう時間はかからなかった。

きっかけは彼女の大胆な行動。

細かいコトはまぁ良いじゃないか。

とにかく、オレと彼女はそういう関係になった。

年相応の幼さと年相応の距離感で二人は肌と時間を重ねていき、

逢瀬を重ねる中で喜びも怒りも哀しみも楽しみも二人分。

当然オレは持ち前のひねくれっぷりを発揮して、

ほとんど本音を表現しない。

それでも彼女はオレの性格を織り込んだ上でオレの真意を推測してくれた。

ところが、そんな彼女がある時甘えたように囁いた。

「なぁ、たまには本音で好きって言って」って。

こっ恥ずかしいが、事実だ。



その時のオレは正直、どうかしていたんだろう。

いつもなら鼻で笑うクソ甘ったるい彼女の提案に乗ってしまった。

「好きやで、○○○」って。

そしたら彼女は何て言ったと思う?

びっくりだよ、本当に。

彼女は心の底から笑いながら言ったのさ。

「きも~いw」って。

一応、オレと彼女の名誉のために補足しておく。

本音を言わないオレとの付き合いが長くなるにつれ、

オレ=いつも冗談ばかりで真面目に応えてくれないキャラ

という図式が彼女の中で完成してしまい、そんなオレが

柄にもなく真面目に好きだとか言ったもんだから、

どうしようもなく違和感を抱いたんだとか何だとか。



とにかく、オレはそれ以来人に本音をもっと言わなくなった。

これこそ、オレが素直にならない理由に他ならない。

というか、こうして恥を忍んで自分の過去をさらけ出し、

引き替えに得られるものが果たして何なのか、

何だかよく分からない。

それじゃ。

はいどうも、

「素直になれよ」とよく言われる、

使用上の注意です。

どうも本音を出すのは難しいもので、

ついつい冗談めかしてしまったりウソをついたり、

はぐらかしたり全体の1割だけ本音を混ぜたりで、

まっさらな本音を全てさらけ出すコトは滅多にない。

そのせいでいらぬ衝突や誤解、あるいは理解不足を招いて

結果的に自らの首をしごく効率的に締めてみたりするんだけど、

三つ子の魂百までとはよく言ったもので無意識的に本音を隠してしまう。

これじゃあイカンなぁと思うときもあるけれど、

早くも三十路2年生の扉を叩いてしまった身としては

もはやこれまでと潔くひねくれ者の汚名をかぶり続けようかと

思わなくもない。



そういえば「素直になれよ」と言われるたびに思い出すコトがある。

いや、正確に言えば『思い出す人』であって、

もっと正確に申し述べれば『思い出す女性』なのだが、

取り敢えず「素直になれよ」エピソードとある特定の女性が

密接に結びついていると考えて頂ければ今は良い。

彼女の家はかつてのMy Sweet 監獄・実家の隣にあり、

小学校卒業と同時にその地へ引っ越してきたオレと彼女は

同じ中学に学んだ、いわゆる同窓生ってやつでもある。

といっても同じクラスになるコトもなく、

オレと彼女の関係はただ家が隣の顔見知り程度だった。

その後県立高校へ進んだオレと、県外の私立進学校へ進んだ彼女は

一旦別離を迎えるコトになるのだが、ひょんなコトから二人の人生は交差する。



大学生活も2年目を迎えたある日。

人生で2度目のアルバイトだったファミレスを

何となく飽きたからとかいうどうしようもない理由で辞めたオレは、

そろそろ次のバイトを見つけようと折り込みチラシに目を走らせていた。

見つけたのは、自宅から徒歩5分のところにあるジャスコの店員。

昔から客として通っていた店というコトもあり、

何となく面白そうだからというどうしようもない理由で応募を決め、

履歴書を書き面接を受け、気づけば紳士下着売り場の一員として

配属されていたのだった。

その隣の紳士服売り場に、彼女がいた。

隣の家の、彼女だ。



中学卒業以来となる再会はここで改めて書くほど

劇的なものでも何でもなくて、「お~久し振り~」ぐらいの

気を抜いていればそのまま過ぎて行くかのような日常の一コマだった。

それでも、中学時代とは違う関係性が年を重ねた二人の間に築かれるのは、

もはや必然だったのかも知れない。

とはいえ、すぐに変化が訪れたのでもない。

再会からは何事もなく1年の月日があっという間に過ぎ、

その間にもオレと彼女は別々に恋を重ね、

それと同じ数だけの別れを重ねていたのだから。

やがてオレが大学を卒業し、未来の見えないフリーター生活を

怠惰に過ごしていた頃、一浪の彼女は卒業を迎える。

そのとき、歴史は動いた。

俺自身にとっても彼女にとっても、

思ってもいなかった方向へ、大胆に。



意外なコトにこのエントリ、続く。

それじゃ。

はいどうも、

最近なぜか結婚について聞かれるコトが多い、

使用上の注意です。

「お前は絶対結婚できないタイプだ」とか

「お前は結婚する前に刺されるタイプだ」とか、

「お前は山ほど婚外子を作る鬼畜タイプだ」とか、

とにかくまぁ様々な方面から頂いた有り難い予想を裏切って

文字通り“突然”結婚したのが2年半前。

正直自分自身だってこんなに早く結婚するとは夢にも思っていなかったし、

周辺の友人知人は冒頭紹介した余計な予想有り難い予想の通りで、

未だに「○○さんって、なんで結婚したんですか?」とか、

「○○さんが奥さんを慈しんでるところが想像できないです」とか、

「○○さんから恋愛を引いたら何も残らないんじゃないですか?」とか、

これはそろそろマジ切れしても罪はないのではないかと思わんばかりの

誹謗中傷と戦う日々を送っている。

あ、○○には私の本名が入る。



まぁ確かに常日頃「一人の人間に縛られる人生はイヤだ」と吹聴し、

何よりも自由と平等と現金を愛するオレとしては、

結婚なんぞ天が与え給うた至高の財宝・自由を

みすみす手放す愚行の極地であって、

古の先人たちが“人生の墓場”と形容するほどの

愚かしい一時の気の迷い、のはずだった。

が、気づけばまさに「勢いとタイミング」。

我が不倶戴天の敵にして邪智暴虐なる独裁者、

My Sweet 暴君・嫁はオレが見せた一瞬の隙を逃さず

慎重に慎重を重ねて底の見えぬほど深く穿たれた堀を埋め、

城壁を破却してついにオレの本丸を陥れたわけだから大したものだ。

ここはもう素直に、敵ながらアッパレと賞賛するしかない。

まぁそうした一連の努力の副作用かして、

今では一度攻め破った城に手入れはいらぬと言わんばかりの

独裁っぷりを遺憾なく発揮しているのはともかくとして。



とにかく。

コトココに至った以上、自分が結婚をしてしまったした事実から

目を背けるワケにもいかず。

何としても自らの選択をミステイクと認めるわけにはいかずして、

何らかの擁護と反論を加えねばならん。

さもなければ自らの過去を否定するコトに繋がりかねん。

とか何とかしょうもない些事について日々考えていると、

色んな人から聞かれるワケデスよ。

「○○さん、結婚ってどうなんすか?」と。

いや、どう?ってどうよ?みたいな愚問が一瞬頭をよぎるがそれはさておき。

えらくまた無限のごとき射程距離を誇る抽象的で曖昧な質問だなぁ、

と思いつつ少ない脳みそと過去のミステイクを糊塗したい狭隘な

プライドを全力でフル回転させながら“粋”な答えはないものかと

隅から隅まで自分の脳味噌を棚卸してみるに。



結婚にも様々な形があるが、取り敢えず“同居”というのは

ある意味スタンダードな最大公約数として理解してもらえるだろう。

で、自由を何よりも愛するオレとしてはこの同居がネックでして。

好きなときに好きなことを好きなだけやりたい、が、現実はさにあらず。

それまで全く別の環境で全く別の価値観を育ててきた二人が同居するのだから、

当然自分の意思や欲求や志向が制限される。

その反動として、たまの日曜日に嫁がいない、となったときの幸福感。

これは本当に幸せな瞬間です。

ただ、人は一人で生きられず。

寂しくなった時に誰かがそばにいる幸福感。

これもまた本当に幸せな瞬間です。



結論:結婚とは、幸せな選択ですよ(ハート)。

う~ん、ウソくせぇ。

それじゃ。

はいどうも、

女々しくたって良いじゃない、

使用上の注意です。

女性の風上にも置けない女々しさを誇ります。

というか、最近の男性は女性化しているらしい。

右を見ても左を見ても、やれ男性が草食化したとか、

肉食男子が減ったとか、女遊びより趣味を優先するだとか、

出世よりも堅実に金を貯めたいだとか、家庭やプライベートの安寧を

優先さたいだとかいう、男性についての報道を目にし、耳にする。

確かにウチの会社の新入社員諸君を眺め回してみても、

先輩諸氏と比べて肉食度というかガツガツ度というか、

ガメツイ度というか、その辺の指数が低い気がしないでもない。

とはいえ、そんな一部のトレンドを“男性の女性化”と言い切ってしまう

メディアのスタンスに若干の違和感を持ちつつも、これだけ色んなところで

言われれば気にしないワケにもいくまい。



というか、最近の男性は人生そのものがハードモードではなかろうか。

終身雇用・年功序列があっけなく崩れ去り、働いてさえいれば

安定が約束された時代は過去の遺物と化した。

と同時に女性の社会進出が進み、管理職・経営層にまで

女性が登場するシーンも珍しくない。

それでもなお、「男性は外に出て稼ぐべきだ」という考え方は

一定程度の社会的影響力を残しているし、女性の側でも

結婚して専業主婦になりたいという願望が(少なくとも私の周囲で)根強い。

ということは女性のうちの何割かは現実に男性にとって

労働上のライバルとして立ちはだかり、かつその一方で

何割かは男性の稼ぎに期待する層として残っているということであり、

日本的雇用慣行が崩壊して雇用が保証されないまま、女性という新たな

ライバルが増えているにも関わらず扶養義務を背負うケースが増えてきた、

ということでもある。

加えて(当然痴漢の存在が諸悪の根源であるにせよ)女性専用車両や

痴漢冤罪問題で善良なる男性は不当に権利を抑制され、映画館に行けば

レディースデーがあってもメンズデーはなく、日常生活でさえ

男性にとっての“ハードモード”が繰り広げられる毎日…。

語弊を恐れずに言えば、女性の方が優遇されるケースが増え、

それと引き換えに男性の立場が相対的に低下した。



それゆえに、男性であること自体が

彼の人生の難易度を上げている、かも知れなくて。

であれば、男性性を維持する必然性を男性が感じなくなって

男性性を敢えて誇示しない傾向が生ずるのは必然ではなかろうか。

当然、選挙権や男尊女卑思考など、女性がいわれなき差別の

被害者であったことは、これまでの歴史で証明されている。

その揺り返しとしての、男性受難であれば甘受せよとの

声があっても別段不思議ではない。

が、生物的強者としての権利を剥奪されつつある今、

その義務を「免れさせろ」というのは当然の叫びであって。

男性が男性性を捨て、よりニュートラルな立ち位置(例えば、

より女性に近い存在としての男性)に我が身を置くのも無理はない。

利益もないのに苦役を進んで甘受することほど

バカな話はないのだから。



ここで、過去の雄々しき男性性を今再び

男性が取り戻すべきか否か、という問題がある。

しかし、この社会情勢・トレンドは恐らく、

今後も維持・拡大・強化されるだろう(なんとなく)。

男性諸兄らもそう思うだろう?

であれば、諸君らはいたずらに“男らしさ”を

追求しなくても良いのである。

女々しくたって良いじゃない。

だ。

それじゃ。

はいどうも、

思えば年を取ったものだ、

使用上の注意です。

最近なぜか妙に昔の記憶が蘇る。

時代はバラバラ。

自我も記憶も定かでなかった幼少時代もあれば、

無限の可能性と希望を秘めた小学生時代、

栄光と挫折と敗北感にまみれた中学生時代、

孤独と歓喜と成功を味わった高校生時代、

さらなる疎外感と友情と怠惰と淫靡に耽った大学生時代、

そして最大の挫折を経てささやかに復活した浪人時代、

新たな希望と新たな苦悩と新たな病魔に襲われた新人時代、

人生の伴侶を得て未知のストレスと喜びを抱えたこの数年と、

これまで歩んできた己の人生が走馬灯のように蘇る。

死ぬの?ねぇオレ死ぬの?

死んでたまるか。

まだやりたいことは山のようにある。

まだ欲しいものが数えきれないほどある。

まだ言いたいことが腐るほどある。

死んでたまるか。



何やら本当に死亡フラグが立ちそうな

ここまでの文章の流れだがそれはさておき。

つい最近蘇った思い出は、高校生の記憶。

当時“恋愛禁止令”が発布されていたクラブ活動で、

オレは多分人生で最も深い恋をした。

恋をすると人は変わるとよく言われるが、

今思えばあの時の自分は自分が自分でないような、

今のオレからすれば想像もつかない空想上の人格のような、

ハイテンションで繊細でナイーブで自信と不安がないまぜに

なったよく分からない言動をする、ちょっと痛い子だった。

目があっただけで喜び、話を交わしただけで歓喜し、

通学の電車でばったり出くわして二人きりの時間を過ごす

だけで昇天してしまいかねない魂の軽さ。

と同時に、冷たい素振りをされた(完全に自分の思い過ごし)

だけでこの世が終わらんばかりに嘆き悲しむガラスハート。

日々、時々刻々、感情のジェットコースターは急上昇と急下降と

回転とひねりと、たまにレールを飛び出して、暴走を続ける。



しかし。



その恋は成就することがなかった。

原因はもちろんオレにある。

恋愛初心者にありがちな発想、成功する見込みがない状況では

フラれるのが怖くてとても告白できないシンドロームに取り憑かれ、

結局「好きです」の「す」の字も言えないまま卒業を迎えたからだ。

まぁもし在学中に告白したところでフラれるであろうことは

後々判明したのだが(それはそれで悲しい)、

にしてもあの時なぜ告白しなかったのか残念でしかたがない。

今後、あの瞬間のような身を焦がすような激情と熱情と

錯誤と錯覚と妄想に囚われることはもうないだろう。

それゆえに今、後悔の波が打ち寄せては引いていく。

なぜ、玉砕覚悟で突っ込まなかったのか。

どうでも良いボケにさえ素早く的確なツッコミを入れるくせに、

どうして恋のツッコミには臆病なのか(上手いこと言った!)。



このエントリを偶然にも目にした恋に悩める諸兄たちよ。

恋愛の酸いも甘いも経験してきたオレからのアドバイスはたった一つ。

『恋をしたら臆病になれ。そして逃げろ。』だ。

しかる後、心から後悔するが良い。

泣いても喚いても、悔やんでも激昂しても、

失った時間は決して戻ってこない。

そうして心に傷を負え。

さすれば旨い酒が飲めるだろう、オレと。

さぁ、オレの仲間になれ!

みんなみんな、失恋してしまえば良いんだ!!!

ハッハー(涙目)。

それじゃ。

このページのトップヘ